多くの人が知らない「じつは、1回の産卵で死なないサケ」がいる…生物が「生殖活動を進化させる」予想以上の理由

ゼウスの愛人セメレーの悲劇
古代ギリシアの都市テーバイを建てたカドモスには、4人の娘がいた。主神ゼウスは、そのうちの一人であるセメレーを愛し、人間の姿になってセメレーのもとに通った。ゼウスの妻であるヘーラーはこれに嫉妬し、セメレーをそそのかした。
そそのかされたセメレーは、自分の願いを一つ叶えてほしい、とゼウスに頼んだ。どんな願いでも叶えるとゼウスが約束したので、妻のヘーラーに求婚したときの姿で来て欲しいとセメレーは頼んだのである。
しかし、ゼウスの本当の姿は雷なので、その姿を見せれば人間は死んでしまう。しかし、約束を破ることはできない。しかたなくゼウスは、雷となってセメレーを訪れたのだが、果たしてセメレーは焼け死んでしまった。
しかし、このとき6ヵ月だった胎児は、火の中から救い出され、ゼウスの太腿のなかに縫い込まれた。それからしばらくして生まれた子供が、ディオニューソスであった。
1回繁殖の生物
生殖には、つねにコストが伴う。生物が支払うことができる最大のコストは自らの命であり、セメレーが生殖に払った代償はあまりにも大きかった。とはいえ、生殖が死の始まりとなるパターンは、自然界にも珍しくない。
そのような生殖パターンは、焼け死んだセメレーを語源として、セメルパリティ(一回繁殖)と呼ばれている。
1回繁殖というのは、一生のあいだに1回だけ繁殖することで、その場合、親が繁殖後に死ぬ場合が多い。
例としてはトンボやセミ、タイヘイヨウサケ属の一部(サケやギンザケなど)やウナギ、イカやタコなどがいる。植物でもヤシや多くのタケの他に、いわゆる一年生植物が典型的な一回繁殖の例となっている。
一年生植物の一回繁殖
一年生植物といっても、種子の状態では、何十年も地中で過ごすことがある。しかし、発芽してからは、生長して、花を咲かせて、種子を作って、枯れるまでを、わずか数ヵ月で駆け抜けるのである。どうしてそんなことができるのか、一見不思議に思えるが、その仕組みは比較的単純である。
植物は分裂組織で生長する。分裂組織は、細胞分裂によって多くの細胞を作り出す組織で、芽や枝の先端にある。しかし、花には分裂組織がない。花が咲いたら、その芽や枝は、もはや生長できなくなるのだ。
一年生植物の場合、発芽してからしばらくすると、ほとんどの芽が花を作り出すので、生長は止まってしまう。また、花を咲かせたり種子を作ったりするには多くの資源が必要なので、ほとんどの資源は花や種子で消費されてしまう。
このような爆発的な生殖活動を行うことにより、すべての資源は消費されて、植物は枯れてしまうのだ。
ちなみに多年生植物では、一部の芽だけが花を咲かせ、その他の枝は花を咲かせずに資源を温存する。つまり、生殖にかかるコストを節約することによって、何年も生き続けるのである。
多年生植物のように、一生のあいだに何回も繁殖することをイテロパリティ(多数回繁殖)という。
タイヘイヨウサケの一回繁殖
前述したように、タイヘイヨウサケも一回繁殖する生物として有名である。川で生まれたタイヘイヨウサケは海へ下り、外洋を3年ほど回ったのちに、死出の旅に出る。つまり、生まれた川に戻ってくる。
そこで、メスは川底を掘って卵を産む。オスは卵に精子をかける。それからメスは尾鰭で卵に砂利をかけて、卵を隠す。こうして産卵や放精を終えたタイヘイヨウサケは、それから数日以内にほとんどの個体が死んでしまうのである。
こうして、子どもたちのために親の命が尽きていくタイヘイヨウサケの行動は、種を保存するために進化したのである、という説明を聞くことがある。次の世代のために、年配の個体が道を譲ることは、自然界の掟なのだ、と言われることもある。
たしかにタイヘイヨウサケの行動は、種のために役立っているかもしれない。年配の個体が道を譲ることは、次の世代のために有益かもしれない。でも、AがBの役に立っているからといって、AがBのために生じたとは限らない。
太陽の光は私たちの役に立っているけれど、太陽が人間のために作られたわけではないだろう。では、実際のところ、一回繁殖は何のために進化したのだろうか。
一回繁殖と多数回繁殖を比較すると
ここで、一回繁殖と多数回繁殖を比べるために、かんたんな計算をしてみよう。例として想定するのは一年生植物と多年生植物だ。
ある一年生植物は、2個の種子を作って枯れるとしよう。つまり1年後には、1個体が2個体に増えるわけだ。翌年は、その2個体がそれぞれ2個ずつ種子を作る。したがって、2年後には4個体になる。
さて、ここで突然変異が起きて、1年経っても枯れない変異体が現れたとする。この多年生の変異体は、自身が年を越すためにも、いくらか資源を取っておかなければならないので、種子は1つしか作れない。
つまり1年後には、変異体自身と種子を合わせて2個体になる。翌年は、その2個体がそれぞれ1つずつ種子を作る。したがって、元からいる2個体と合わせて、2年後には4個体になる。
この場合は、一回繁殖と多数回繁殖によって残る個体は同数になり、どちらが有利ということはない。ただし、これは単純化した話であって、実際にはいろいろと条件が変わってくる。
一年生植物と多年生植物はどちらが有利?
たとえば、多年生植物が何年もかけて大きく育った場合、動物に踏み潰されたりしなくなるので生存率が高くなり、多年生植物が有利になるかもしれない。
あるいは、一年生植物が多年生植物よりかなり多くの種子を作れば、増加率が高まって、一年生植物が有利になるかもしれない。つまり、条件によって、どちらも進化する可能性があるということだ。
ところで、この計算は、自然淘汰が個体に作用することを想定している。個体に作用する自然淘汰というのは、自身の子を増やすように作用する、通常の自然淘汰のことだ。
種のための進化とか、次の世代のための進化といった、あいまいなものを持ち出さずとも、通常の自然淘汰で説明ができるのだ。
サケにおける一回繁殖の進化
また、タイヘイヨウサケの行動をよく観察してみると、一回繁殖が種のために進化したとはとても思えなくなってくる。
メスは産卵場所を巡って争うし、オスはメスを巡って争う。このように個体同士で争いが起きるので、サケの、とくにオスの上下の顎は鉤状に曲がった状態(鼻曲がりという)になり、武器として使われる。この争いで命を落とす個体もいる。
さらに、メスは砂利の下に卵を産むが、そのとき、先に卵が産んであると退けてしまう。退けられた卵は、もちろん死んでしまう。先に卵が産んである場所を避けて、少しぐらい条件が劣っていても別の場所で産卵した方が、種としての出生率は上がるはずだが、そうはしないのである。
一回繁殖が通常の自然淘汰(個体に作用する自然淘汰)で進化したことは、近縁種の生態からも支持される。タイヘイヨウサケの近縁種であるタイセイヨウサケには、多数回繁殖の個体もいるからだ。
一部のタイセイヨウサケは、川で生まれ、海へ下り、ふたたび川を遡上して産卵や放精を行った後に、また海へ下るのだ。
この遡上、産卵、降海を何回も繰り返す個体もいる。一回繁殖と多数回繁殖を行う個体がいる理由は、はっきりとわからないものの、どちらも同じぐらいの有利さだったので、どちらでもよかったのかもしれない(あるいは偶然が作用した可能性もある)。
これらの行動や特徴は、自分の子孫を増やすために進化したものと考えた方が納得できる。種を存続させるために進化したと考える必要はないし、むしろその方が考えにくいのである。
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