現代科学が説く性善説が社会を変える~『Humankind 希望の歴史』を読む
安心安全を世界が称賛する日本社会は、性善説に基づく世直しのお手本を示し続ける責務がある。
■1.「人間は根本的に暴力を嫌悪する」
世界46カ国でベストセラーとなったルトガー・ブレグマンの『Humankind 希望の歴史』を読むと、現在のロシアとウクライナの戦争で起こっている現象の一端も、理解できます。
まず、ロシア将兵の志気の低さ。ロシア軍の侵攻当初、こんな光景がビデオで流されました。ウクライナ人の女性が、機関銃を持つロシア兵に「いったいここで何をしているの? 占領軍ね!ファシスト!」と詰問します。それに対して、ロシア兵は「話をしても、どうにもならない。事態がこれ以上、悪くならないようにしましょう」と、たじたじです。[BBC]
その後、ロシア兵による残虐な戦争犯罪も伝えられてましたが、このロシア兵は善良で、目の前の女性に銃を向けることなどできませんでした。全般的にロシア兵の士気は低く、一部は命令拒否までしていると報じられていますが、その一因として、ロシア兵の多くは、かつての同胞だったウクライナ人を攻撃する事にためらいを感じているのではないか、と考えます。
第二次大戦中の米軍の調査でも、太平洋戦線とヨーロッパ戦線で、戦場で銃を撃ったことのある兵士は全体の15~25パーセントしか、いませんでした。
大多数の兵士は目の前の敵を撃つことにしりごみし、その様子にいらだった将校が「何をしている! さっさと撃て!」と怒鳴っても、兵たちが撃つのは上官が見ている時だけでした。同様な現象は、英軍でもフランス軍でも見つかっています。
人間が他人を殺せるのは、相手の姿が見えない時です。第二次大戦での英軍兵士の死因は、迫撃砲、手榴弾、空爆など遠くから攻撃できる武器が75%を占めていました。
ベトナム戦争に向かう米軍兵士たちは、おぞましいビデオを見るなど、暴力に対する嫌悪感を抑えつける訓練が施されました。その結果、兵士が人間に向けて発砲する率は95%に高まりましたが、帰還兵の多くは心的外傷後ストレス障害(PTSD)を負ってしまいました。人間本来の暴力への嫌悪を人工的に抑えつけると、心理的に病んでしまうのです。
■2.「身近な人々に対する共感の本能」
対照的にウクライナ兵は驚くべき志気の高さを見せています。
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「私はニワトリさえ1羽だって殺したことがない」。52歳の電気技師、ウラディスラフさんはこう言う。
聞けば、3月14日にテレビを見ていた時に、自宅のある地区にミサイルが飛んできたそうだ。「でも今は、あのプーチンのバカ野郎を殺してやりたい」。[Economist]
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「ニワトリさえ1羽だって殺したことがない」一般国民までが、志願してウクライナ軍兵士として戦っています。「自宅のある地区にミサイルが飛んできた」というのが、ウラディスラフさんが立ち上がった理由でした。
人間には、生来、身近な人々に対する思いやりの本能を持っています。これは幼児を対象にした実験でも示されています。
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一歳半という幼い年齢であっても、子どもは積極的に人に手を貸そうとし、遊びやゲームを中断してまで手助けし、ボールプールで遊んでいた時でさえ、遊ぶのをやめて見知らぬ人を手助けした。しかも、何の見返りも求めなかった。[ブレグマン下、p28]
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身近な人々の苦難に共感して、思いやりを発揮し、たとえ敵であっても暴力を振るうことを嫌悪する。ロシア兵の士気の低さと、ウクライナ人の志気の高さ、両者は同じ人間の本性から来ているのではないでしょうか。
■3.戦時下での人々の助け合い
人間の共感と思いやりの能力は、戦争や災害といった苦難の時に、より一層、発揮されるようです。第二次大戦の初期、ドイツ軍の多数の爆撃機がロンドンを空襲し、100万棟以上の建物が損害を受け、4万人以上が死亡しました。しかし、その頃のイギリス人の精神状態は軒昂でした。
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この時期、英国人のメンタルヘルスはむしろ向上した。アルコール依存症は減り、自殺者数は平時より少なかった。
終戦後、多くの英国人は大空襲の日々を懐かしんだ。あの頃は誰もが互いに助け合い、労働党か保守党か、裕福か貧しいか、といった違いは気にしなかったと言って。「英国の社会は大空襲によっていろいろな意味で強くなった」と、英国の歴史学者は後に書いている。[ブレグマン上、p18]
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いかにも冷静で忍耐強い英国人らしい振る舞いですが、実は敵方のドイツ人も同様でした。大戦末期、こんどは英空軍がドイツを空襲しました。
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爆撃後、国民は互いに助け合った。瓦礫の中から被災者を助け出し、火を消した。ヒトラー青少年団の団員たちは走り回って、家を失った人々や負傷した人々の世話をした。[ブレグマン上、p21]
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ドイツ降伏後、連合国の経済学者たちの一団が空襲の結果を調べたところ、爆撃を受けた21の都市では、爆撃されなかった14都市に比べて、兵器の生産量が大きく伸びていました。
■4.災害時の助け合いは普通に行われている
同様の助け合いは、大災害の時にも見られます。阪神淡路大震災や東日本大震災での秩序だった助け合いは、世界に感銘を与えましたが、実はこれこそ人類の本来の姿のようです。
その正反対の例として、2005年にハリケーン・カトリーナがニューオリンズを襲った時の事例がよく引き合いに出されます。家屋の80%が浸水し、少なくとも1836人が亡くなったハリケーン・カトリーナは、米国史上最も破壊的な自然災害の一つでした。
この時、新聞はレイプや発砲事件のニュースを次々に報道しました。うろつくギャング、略奪行為、救助ヘリへの狙撃といった話が流布されました。ルイジアナ州知事は「最も怒りを感じるのは、このような災害がしばしば人間の最悪な性質を引き出すことです」と述べました。実は私もこうしたニュースにすっかり騙されていました。
しかし、災害の一ヶ月後、研究者たちの調査で、全く違った実態が判明したのです。警察署長は、レイプや殺人に関する公式の報告は一件もなかったことを認めました。数百人の市民がレスキュー隊を結成し、食料や衣類、薬品を探して、必要とする人々に配っていました。
デラウェア大学の災害研究センターは1963年以降の米国での災害700件近くのフィールドワークを行い、映画でよく描かれるのとは逆に、災害時に大規模な混乱は起きず、逆に人々の助け合いがあったことを確認しています。研究員の一人はこう語っています。
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総じて、殺人や強盗やレイプなどの犯罪は減る。人はショック状態に陥ることなく、落ち着いて、とるべき行動をとる。「略奪が起きたとしても、物やサービスをただで大量に配ったり、分かち合ったりという、広範な利他的行動に比べると微々たるものだ」[ブレグマン上、p29]
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■5.性善説に基づいた自治体住民の政治参加
こうした性善説を基にした地方自治が、世界の様々な都市で始まっています。最初に始めたのは、ベネズエラ西部の人口20万弱の自治体トレスで、その投資予算約700万ドル(8億円相当)の使い道は市民に任されました。毎年560カ所で市民の集会が開かれ、約1万5千人が意見を述べます。それによって、予算の使い道を決めるのです。
従来の汚職や縁故主義は大幅に減少し、住民はかつてないほど、積極的に政治に参加するようになりました。その結果、家や学校、道路が新しく建設され、古い地区はきれいになりました。
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「以前は政府の役人が一日中エアコンのきいたオフィスにいて、そこで決断を下していた」と、ある住民は言った。「彼らは、わたしたちのコミュニティに足を踏み入れようともしなかった。そんな役人とコミュニティの人間とでは、何が必要かについて、どちらが良い判断を下せるだろうか?」[ブレグマン下、p124]
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このアイデアはブラジル全土の100以上の都市で模倣されました。さらに2016年には、アメリカ、メキシコ、ヨーロッパ諸国などの1500以上の都市が、何らかの形で、市民参加型の予算編成を行うようになっています。
こうした市民の参加により、極貧の市民までも市政に参加するようになり、貧しいコミュニティにおいては、より多くの公金がインフラや教育、医療に使われるようになりました。さらに、多くの市民たちは進んで税金を払う気になっている事が、複数の研究によって明らかにされています。
■6.江戸時代の日本農民の自治
この動向から、私は江戸時代の日本の農村自治を思い起こしました。そこでは税の徴収なども、ほどんど農民たちが自主的に行っていました。
たとえば、江戸時代の幕府領およそ4百万石は、江戸時代初期の延宝元(1673)年には、わずか69人の代官が、それぞれごくわずかの手代とともに管理していました。69人で4百万石を割ると一人当たりでは6万石近く、人口規模で言えば6万人ほどの農村を一人の代官が管理していたことになります。代官数は、享保15(1730)年には、さらに42人に削減されます。
どうしてこんな事が可能だったのでしょうか? 代官は各村に収めるべき年貢高を指示するだけで、あとはそれぞれ村を治める庄屋が農民の各戸にそれを配分し、徴収も自分たちで行うという、徹底した自治に任されていたからです。[JOG(997)]
こうした自治が可能だったのは、第一に、役人の不正や重すぎる年貢などによる苛斂誅求が少なく、おおむね妥当、かつ公正な課税が行われていたからです。そうでなければ、多くの農民が大人しく自主的に年貢を納めることなどするはずがありません。
第二にすべての行政、すなわち年貢高の設定から徴収に至るまでの事務が文書によって行われており、農民の方もほとんどが読み書きができて、それらの文書を自分で作成したり、確認できました。農民の読み書き能力も世界で抜群の普及率でしたが、それを活用して、透明性のある公正公平な自治が行われていたのです。
ブレグマンは善性を基盤にする社会を築く第一歩として、こう説いています。
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最も現実的なのは、善意を想定することだ。つまり、「疑わしきは罰せず」である。たいていの場合それでうまくいく。なぜなら、ほとんどの人は善意によって動いているからだ。[ブレグマン下、p217]
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ここを読んで私は、「騙すより騙される方が良い」という我が国の昔からのことわざの合理性が理解できました。99%の人が善良なら、それを前提として行動する方が良い。騙される1%の確率を恐れて、お互いに疑い合う社会にしてはならない、という事です。ブレグマンのアイデアは、日本社会である程度、実現していたのです。
■7.人間の善性を前提としていた日本の統治
江戸時代の日本社会の民度の高さが、現在でも受け継がれて、日本は世界でも最も安心して住める国だという評価が定着していますが、ブレグマンの『Humankind 希望の歴史』を読むと、こうした善性は人類の生まれつきのものであるが分かります。とするなら、日本人の善良ぶりは、民族的特質というよりも、歴史を通じて、その善性を引き出すような統治が行われてきたからでしょう。
たとえば、上述の農村自治に対しても、領主は百姓の生活が成り立つよう(これを「百姓成立」と言います)保証する責務があり、百姓はそれに応えて年貢を「皆済」(すべて納めること)する義務があるという、双務的なかたちでの統治が行われていました。
こうした統治が理想とされた背景には、初代神武天皇の建国の詔(みことのり)で、人民を「大御宝(おみかたら)」と呼び、その安寧を目指すこと、さらには物質的なことだけではなく、「正しき心を弘めむ」と人民の善性を養おう、と宣言されている事があります。
そうした歴代天皇の無私の祈りが、善性を前提とする政治につながり、それが日本人の善性を引き出してきた、と考えられるのです。
■8.性善説に基づく社会建設のフロントランナーとして
太古の世界の狩猟採集民は、どこでも部族間の戦争もなく、平和に暮らしていたようです。ところが、1万年ほど前に農業が始まり、定住して私有財産を持ち、国家が作られるようになると、リーダーたちが権力を握って、戦争を始めるようになります。戦争はリーダーたちの地位を固めるために、好都合の手段でした。
そして「人間は一皮むけば獰猛な猛獣だ」という神話が、リーダーたちの地位を固める理由として発明されました。また宗教界のリーダーたちも、「人間は罪深い存在だから神の教えに従わなければ地獄に落とされる」と説くことで、自分たちの存在意義を宣伝しました。こうして、多くの文明社会では、政治や宗教のリーダーたちが、人間性悪説を説いてきたのです。
一方、日本列島では縄文社会で狩猟採集のまま定住生活を実現したという世界的にも例のない歴史を持ち、性善説のまま神武天皇の建国を迎えたのです。とすれば、日本社会の安心安全ぶりは日本人の民族的性格というよりは、古来から性善説に基づいた統治が続いてきた結果であり、それは他の国々も歩める道だと考えるべきです。
性悪説の偽りを多くの人々が理解した時に、人間社会は大きな変革を迎えるでしょう。市民参加型の地方自治はその前触れだと考えられます。
その変革に向けて、我々は性善説に基づく社会建設のお手本を示すフロントランナーとして、日本社会の民度をさらに磨いていくべき責務を負っているのではないでしょうか。
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