言語はこれを話す人民に取りては、恰(あたか)も其血液が肉体上の同胞を示すが如く、・・・日本語は日本人の精神的血液なりといひつべし。
現代なら「日本語は日本人の精神的DNA」と言う所だろう。
本稿で紹介した歌や俳句が、あなたの心の中に響いてくるならば、それはあなたの生まれや人種を問わず、あなたが日本人の精神的DNAを継承している同胞の一人であることを示している。
そして日本語の精神的DNAを継承して、「暮れなずむ」というような言葉に共感できる人は、夕暮れの一時をそれだけ豊かな気持ちで過ごすことができる。言葉は我々の心を豊かにする糧でもあるのだ。
この精神的DNAはここで紹介したように代々の日本人を通じて継承され、発展してきたものだ。本稿では8世紀初頭に活躍した柿本人麻呂の和歌を紹介したが、13百年前の日本人の和歌を現代の日本人がほとんどそのまま理解し、共感できるというのは、驚くべき事だ。
こうした豊かな精神的DNAを受け継いだ幸福を、子孫に受け渡していく義務が我々にもあるのである。
No.553 国語の品格
品格ある国語は、品格ある国民を作る。
■1.吾々の護るべき第一の文化財は、日本語そのもの■
武田鉄矢作詞の海援隊ヒット曲『贈る言葉』を好きな読者は 多いだろう。次のような歌詞で始まる。
暮れなずむ町の 光と影の中
去りゆくあなたへ 贈る言葉
「暮れなずむ」の「なずむ」とは、「すんなりと進まない」「滞る」という意味であり、したがって「暮れなずむ」は「暮 れそうで暮れない」という意味となる。そんな夕暮れと同様、「去りゆくあなた」も、去り難い気持ちを抱いているのだろう。
我が祖先は「日が暮れる」という単純な現象を濃やかに観察 して、初めは「暮れそめる」が「暮れなずむ」となって、徐々に「暮れ行き」、やがて「暮れ果てる」と表現した。
「近年、文化財の保護ということが重視されているが、吾々の護るべき第一の文化財は、日本語そのものでなければならぬ筈と思う」とは、慶應義塾塾長にして今上陛下の皇太子時代の教育掛であった小泉信三の言葉である。
「日本語が文化財」というのは、「暮れなずむ」という言葉を知り、共感できれば、そこから時の移りゆく様を惜しむ先人の感じ方、生き様、すなわち文化を受け継ぐことができるからである。
「日本語を護る」といっても、大仰に考える必要はない。我々が「暮れなずむ」という言葉に感ずる所があれば、その言葉の生命は我々の心の中で継承され、護られていると言える。
そのようにして護りたい美しい言葉のいくつかを本号では紹介したい。
■2.あけぼの、あかつき、しののめ■
清少納言の『枕草子』の冒頭の一節は、学校で学んだ人が多いだろう。
春はあけぼの、やうやうしろくなりゆく、山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
(春はあけぼのがよい。だんだんあたりがしらんでゆき、山際の空が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいてるのがよい風情である)
「あけぼの」の語源は不明だが、「あけ」は「開け」または「朱(あけ)」、「ぼの」は「ほのか」と同根だろう。太陽はまだ地平線に姿を現さないが、東の空がほのかに明るくなって、明け行く時を言う。
「あけぼの」の前、薄暗い時間を「あかつき」、東の空が少し明るくなる時刻を「東雲(しののめ)」と言う。
「あかつき」は、奈良時代の「あかとき(明時)」が平安時代に「あかつき」と転じたもの。かつては「宵」「夜中」に続いて、まだ暗い「未明」の頃を指した。男が女の家を訪れる通い婚の時代には、この頃に男が去っていくので、「あかつきの別れ」という表現もある。今は空が白み始める「明け方」を指すようになった。転じて、物事が成就した時期を指すようにもなり、「試験に合格したあかつきには」などと使われる。
「しののめ(東雲)」の語源は諸説あるが、山の端が細く白むのを「篠(小竹)の芽」の細さに喩えて言ったとする説などは視覚的で美しい。「あかつき」と同様に「しののめの別れ」とも言う。
あかつき時を詠った名歌を一つ。
ひむがしの野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾かたぶきぬ
(東の野にあかつきの陽炎が射すのが見えて、振り返って見れば月が傾いていた)
万葉集中の柿本人麻呂の絶唱である。地平線上に現れた「あかつきの陽炎」を「炎(かぎろひ)」と呼び、その反対の西の空に静かに沈んでいく白々とした月を対比している。
■3.月明かり、雪明かり、星明かり、花明かり、川あかり■
昔は電灯などはなかったので、月、星、雪、花、川など、かすかな明かりに敏感だった。月の光を「月明かり」、または「月影」とも言う。
をとめらは夏の祭りのゆかた着て月あかりする山の路ゆく
平成19年歌会始のお題「月」に、常陸宮華子妃殿下が詠まれた御歌である。
同様に「雪明かり」「星明かり」「花明かり」「川あかり」などとも言う。特に「花明かり」は、桜が咲き乱れて、日が暮れても、なおそのあたりが明るく感じられる様を指す美しい言葉である。
蜜蜂の暮れて戻るや花明かり(花臾)
は、河東碧梧桐の選んだ句で、情景が目に浮かぶようだ。
■4.五月雨(さみだれ)■
わが国土は雨が多いので、先人たちは、雨を細かく観察し、描写した。まずは言わずと知れた芭蕉の名句:
五月雨(さみだれ)を集めて早し最上川
(長く山野に降り続いた五月雨を集めて、速い勢いで流れて行く最上川であることよ)
五月雨(さみだれ)は文字通り5月に降る雨のことだが、旧暦の5月は新暦の6月から7月にかけて。したがって梅雨時に降る長雨を指した。
一説に、早苗(さなえ)を植える「早苗(さなえ)月」が「五月(さつき)」となり、その「早苗が乱れる雨」が「さみだれ」となったという。水田に植えられた早苗が、梅雨時の長雨によって右に左に傾いている光景が思い浮かぶ。
■5.時雨(しぐれ)■
「時雨(しぐれ)」は秋の終わりから、冬の初めにかけて降ったり、止んだりする雨の事をいう。「しぐれ」は「過ぎる」に通じ、「通り過ぎていく雨」の意と言われる。
九月(ながつき)のしぐれの雨に濡れとほり春日の山は色づきにけり
は、万葉集中の作者不詳の歌。紅葉で色づいた山が、しぐれの雨に「濡れとほり」、ひときわ、しっとりとした様が浮かんでくる。
旧暦の九月は新暦の10月から11月にかけての時期であり、「夜が長くなる月」なので「長月(ながつき)」と呼ばれた、というのが通説である。
その他にも、季節に結びつけられた雨として、春雨(はるさめ)、夕立(ゆうだち) 、秋雨(あきさめ)などがある。
■6.霧雨、小糠雨、篠つく雨■
雨の降りざまによっても、様々な表現がある。夏目漱石は『草枕』の冒頭で雨の降り出す情景を次のように精密に描写している。
四方(しほう)はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾(と)くに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃(こまや)かでほとんど霧を欺(あざむ)くくらいだから、隔(へだ)たりはどれほどかわからぬ。・・・
糠(ぬか)のように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋(ひとすじ)ごとに風に捲(ま)かれる様(さま)までが目に入(い)る。
霧雨は「雨の糸が濃(こま)やかでほとんど霧欺く位」の雨。霧雨よりもやや雨粒が大きくなると「小糠(こぬか)雨」と呼ぶ。「小糠」は米を精白する時に出る細かい粉のこと。
さらに雨足が太くなると「篠つく雨」という。「篠」は「しののめ」でも言及したが、群がって生える細い竹のこと。篠を付き降ろしたように、激しく降る雨を描写した表現である。
その他にも、雨の降り方に従って、俄雨(にわかあめ)、驟雨(しゅうう) 、豪雨(ごうう) などがある。
■7.山笑う、山滴(したた)る■
山の景色も四季折々に表現された。「山笑う」は、山に花が咲き乱れ、新緑が芽吹き、明るく華やいでいる様子の表現である。俳句では春の季語に使われる。この場合の「笑う」とは、高笑いというよりは、朗らかな明るい笑顔を想像すべきだろう。
もともとは、11世紀の北宋の山水画家、郭熙の『郭熙画譜』にある:
春山淡治にして笑うが如く、夏山蒼翠として滴るが如く、秋山明浄にして粧ふが如く、冬山惨淡として眠るが如し
から、俳句の季語として広まった表現とのこと。
故郷や故郷やどちらを見ても山笑ふ
は、正岡子規の句。故郷・松山を囲む山々が、春の陽光のもと、賑やかで活き活きとした緑で子規を迎えた様が偲ばれる。
夏の山は「山滴(したた)る」、「緑滴る」の意である。
山滴るそのしづかさにひとりゐる
は、現代の俳人・大橋敦子氏の作。深い滴るような山中の緑の視覚的な賑わいと聴覚的な静寂とが、対照の妙をなす。
秋の山は「山装(よそお)う」、紅葉で美しく装った様を言う。冬の山は「山眠る」で、白い雪に覆われて、眠り静まる。
山を擬人化して捉える表現は、古来から、山も「生きとし生けるもの」の一つとして考えた日本人の感性には当然のものであったろう。
■8.いざよう、たゆたう、たなびく■
自然を細やかに観察し、和歌や俳句で表現してきた日本人は、その過程で美しい形容語を生み出してきた。その一つが「いざよう」。
もののふの八十宇治川(やそうじがわ)の網代木(あじろぎ)にいさよふ波の行方知らずも
(宇治川に仕掛けられた網代木に寄せる流れは一時行く手を遮られて行方は分からないことだ)
柿本人麻呂の歌である。「もののふ」は「物部氏」で、多くの氏があったことから「宇治、八十、八十宇治川」にかかる枕詞となった。「網代木」は「網代(川魚をとるしかけ)」を支える杭のこと。「いさよふ」は「ためらう、ぐずぐずしてはやく進まない」の意味。
十六夜(いざよひ)も「いざよう」が語根で、月が十五夜の満月よりも、少し遅れてためらいがちに出てくることから、こう呼ばれた。
「たゆたう」は、ゆらゆらと水や空中をさまよう様子を表現する。
天の原吹きすさみける秋風に走る雲あればたゆたふ雲あり
江戸時代中期の国学者・歌人、楫取魚彦(かとりなひこ)の歌である。
「たなびく」は、雲や霞(かすみ)などが横に薄く長く引くよう な形で空にただよう様を表す。
秋風にたなびく雲の絶えまよりもれ出づる月の影のさやけさ
新古今集に収められ、百人一首にも選ばれている藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)の清涼感あふれる一首である。
■9.「日本語は日本人の精神的DNA」■
明治期の近代化の過程で、標準語や仮名遣いの統一に尽力した東京帝国大学国語研究室の初代主任教授・上田萬年(かずとし)は、こう言っている。
言語はこれを話す人民に取りては、恰(あたか)も其血液が肉体上の同胞を示すが如く、・・・日本語は日本人の精神的血液なりといひつべし。[1,p177]
現代なら「日本語は日本人の精神的DNA」と言う所だろう。
本稿で紹介した歌や俳句が、あなたの心の中に響いてくるならば、それはあなたの生まれや人種を問わず、あなたが日本人の精神的DNAを継承している同胞の一人であることを示している。
そして日本語の精神的DNAを継承して、「暮れなずむ」というような言葉に共感できる人は、夕暮れの一時をそれだけ豊かな気持ちで過ごすことができる。言葉は我々の心を豊かにする糧でもあるのだ。
この精神的DNAはここで紹介したように代々の日本人を通じて継承され、発展してきたものだ。本稿では8世紀初頭に活躍した柿本人麻呂の和歌を紹介したが、13百年前の日本人の和歌を現代の日本人がほとんどそのまま理解し、共感できるというのは、驚くべき事だ。
こうした豊かな精神的DNAを受け継いだ幸福を、子孫に受け渡していく義務が我々にもあるのである。
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