「家には顔がある。そして、その顔は実に住まう人の面差しに似ている」
・・・人も家も内を固めていくうちに風貌が出来ていく。
魅力的な顔をした家には、必ず魅力的な人が住んでいる。
「住まう人の人柄、社会性を反映した、品格のある家」
そんな「いい顔をした家」があちこちに建って、そこに住む人々が自然や世の中との「和なるもの」を楽しんでいる。「大いなる和の国」には、そんな風景こそふさわしい。
日本の伝統家屋には、社会や自然との和を創り出す智慧が込められている。
和の家、和の心
■1.「子供の頃から見慣れた座敷」が「神々しい空間」に
福岡県の小倉から唐津に至る唐津街道沿いに築140年の町屋造りの家がある。2階建ての瓦葺き、白壁に格子窓の簡素な佇(たたず)まいが、両側の近代的ビルとはまったく別世界の気品を醸し出している。福岡市の都市景観賞を受賞している建物である。[1]
この家は、東京世田谷で「日本の風土と文化に根ざした家造り」を目指す伊佐ホームズの福岡事務所として使われているが、その創業者・伊佐裕(いさ・ひろし)社長の生家でもある。伊佐さんは、毎年元日、その生家の神棚に向かう。
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元旦、その家を護る神棚に餅を供えて蝋燭に灯をともすと、子供の頃から見慣れた座敷はゆらめく明かりに照らされて神々しい空間へと変貌する。[2,p12]
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日本人は代々、こうして新年を迎えてきたのだろう。「見慣れた座敷」が、そのまま「神々しい空間」に変貌する。家は、住む人との間で、このような魂の交流を行う、ということを伊佐さんの著書から学んだ。その一端をここで紹介したい。
■2.土間の不思議な機能
日本の伝統家屋の特徴として「土間」がある。
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土間とは住宅の中にあっても床を貼っていない地面のままの間取りをいう。読んで字の如く、生活空間である廊下や居間や寝室といった部屋よりも一段低く、地面と同じ水準にある家の「外」と「内」の「中間的な役割を果たす空間」で、昔の日本の民家にはなくてはならない機能の一つであった。
土間は履き物を脱がずに土足で使えるため、さまざまな生業(なりわい)の作業場として、竈(かまど)を中心とした煮炊きをする調理場として、あるいは、不意に訪れる隣近所の住民との気楽な語らいの場として重宝され、露出した土は屋内の温度や湿度を調整する役目も果たしていた。[2,p24]
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筆者が子供の頃、よく一夏を過ごした田舎の祖父母の家、叔父伯母の家にも、みな土間があった。そこでは養蚕のためにとってきた桑の葉を仕分けする作業などを行っていた。
また隣近所の人たちが野良着で土足のまま、土間に入ってきては、板の間の部分に腰かけて、出されたお茶を飲みながら、家の人とおしゃべりをする、という光景がよくあった。
土間は内の生活と外の仕事との「つなぎ」の場であり、また家の者と外の人との、気のおけない和やかな交流の場でもあった。
■3.内と外との「和」を創り出す土間
職業柄、多くの来客がある人の家を、伊佐ホームズで造ることになった。新居には応接および打合せのためのスペースがぜひ欲しい、という要望があったので、7畳大の玄関土間を提案した。
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プライベート重視の自宅の中に仕事の空間を設けても、そこが屋外と屋内の中間である土間であれば案外すんなりと生活との調和がとれる。靴を脱いだり履いたりするというような、ちょっとした行為をひとつ挟むだけでもオンオフの感覚は十分に変えられるのだ。
来客の側も、靴を脱ぐ必要のない土間は気兼ねがいらなくていい。とくにこの家の土間の場合、長さ3メートルの無垢のタモ材の式台(玄関の土間と床との段差がある場合に設置される板)が縁側のような雰囲気を醸し、その奥には土足のまま直接入り口まで行ける囲炉裏の客間まで設けられている。
つまり、土間の融通性をフルに活かし、この玄関だけで応接や打ち合わせの他、実に多様な来客のもてなしに対応できるつくりになっており、決して美観や遊び心を満足させるだけの空間ではないのである。[2,p133]
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土間とは、内なる生活と外なる仕事、内なる住み手と外からの来客の「和」を創り出す空間だと言えるのかもしれない。「門戸を開放した玄関の大きな家は栄える」とは伊佐さんの持論だそうだが、生活と仕事の調和、家庭と近隣との調和のとれる家が栄えるのは、当然だろう。
■4.縁側 ~ 自然と人間生活の接点
土間と同様に、伝統的な日本家屋の特徴をなすのが縁側である。
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日本家屋の張り出した軒とその下の縁側は、風雨や日射しから建物の劣化と快適な暮らしを守るための生活の智慧から生まれた。しかし、日本人はいつしか、内と外、自然と人間生活の接点である軒下の濡れ縁を心地よい場所として愛するようになった。[2,p32]
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欧米の家では、室内と屋外は分厚い壁で分断されている。外の明かりは窓から入ってくるが、カーテンやブラインドで外部からの視線は遮られる。外の風も音もガラスで遮断される。
これに比べれば、屋根と床はあるが、壁がなくて庭に解放された縁側とは、内なる生活と外なる自然を結ぶ不思議な空間である。厳しい日射しを和らげ、雨を防ぎつつ、外の景色、風や音はそのまま入ってくる。夏の盛りに縁側に出て庭を吹き渡る風に涼をとったり、秋の夜長に虫の音を聞きつつ月を愛でたりする光景は読者にもおなじみだろう。
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縁側は日本家屋の素晴らしさのひとつである。
雨音、葉音、風音、虫の音。
私は自宅にいてもよく軒先で自然の気配に耳を傾けるのであるが、とくに好きなのは朝方の雨音だ。自然のささやきを楽しむ感性は日本人に特有だといわれているが、それを育んできたのは縁側でのくつろぎのひとときだったのではないだろうか。[2,p32]
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土間が内なる生活と外なる社会との「和」を創り出す空間だとすれば、縁側は内なる生活と外なる自然との「和」を醸し出す空間だと言えよう。
■5.格子の不思議な働き
屋外の強い光を和らげながら、屋内に明かりをもたらす格子戸、格子窓も、内と外とを結ぶ日本建築の智慧のひとつである。
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中でも一般の住宅にもよく使われる格子は、窓や引き戸や扉等に用いられ、建物の採光と風通しを確保しながら外部からの侵入や視線を防ぐという相反する役割を果たし、家の内部においても、欄間、障子、襖等の建具に取り付けられ、実用と装飾の両面で日本間を日本間たらしめている。[2,p37]
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格子の不思議な働きに関して、伊佐さんは生家での経験をこう語っている。
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そういえば、私の生家の格子窓のある部屋はガラスが入っていなくてもなぜか暖かかったのを憶えている。子供の頃、私はそれが不思議で、面白くて仕方がなかった。千年の昔から今に格子が受け継がれてきた背景には、ただ古い伝統様式だからではなく、そんなふうに人に役立ち、感動や幸せをもたらしてくれる何かがあったことも関係しているのかもしれない—-とは、いささか考えすぎであろうか。[2,p41]
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伊佐ホームズで手がけた家のひとつでは、リビングルームに大きな格子戸を設けている。外から差し込む日の光が、漆喰の白壁や無垢の板床に格子模様を作る。
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ふと足下や壁に目をやる度、さっきとは違う影の表情に気付き、光の強弱から空模様の変化や時間の移ろいを感じ取る。
あるいは夜の月明かり。
月光の淡い影を追いかけて楽しむことだって可能なのだ。[2,p40]
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我が先人たちも、千年の昔から、このように格子を通じて自然の移ろいを愛でていたであろう。
■6.「和なるもの」
伊佐さんの著書は『和なるもの、家なるもの』と題されている。「和なるもの」とは、伊佐さんがその生家を原点として、追求してきた家造りのテーマである。我が国の伝統的家屋が自然や社会との「和」を生み出すための様々な工夫を供えていることを理解すれば、「和なるもの」という言葉に込められた伊佐さんの理想が、身近に感じられるだろう。
この著書には、伊佐さんの生い立ちから伊佐ホームズの創業までの軌跡も書かれているが、「和なるもの」とは伊佐さんの生き方そのものでもあることが分かる。
伊佐さんの父親は、終戦後すぐに「新建材」を扱う「伊佐建材店」を設立した。
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父は路頭に迷う人々が一日も早く人間らしい生活に戻れるよう手助けをしたいと考えた。それには、まず、家族揃って安心して暮らせる家が不可欠であった。しかし、食糧さえままならなかった終戦直後は建築資材や職人の数も絶対的に不足していて、もはや戦前のような天然木や壁土などを使った工法で必要とされるだけの家を建てることは不可能になっていた。[2,p64]
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そこで注目したのが、ベニヤ板や石膏ボードなどの新建材であった。これらは大量生産によって低コストで安定供給でき、また品質が一定なので未熟な職人でも扱える。多くの人に早く安く家を供給したいとの志に導かれて、「伊佐建材店」は戦後復興と歩調を合わせて、大きく成長していった。
■7.家づくりを通して人を喜ばせたい
伊佐さんは、そんな父親の背中を見て育った。
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普段、仕事中の父にはとても怖くて近寄れなかった。それでも、私が小学校から帰ると、父はどんなに忙しくても必ず仕事の手を止めて相手をしてくれるような、そんな愛情深い人であった。
その日学校であった出来事を話すと、いつも目を輝かせて楽しそうに聞き入ってくれた。父のそんな顔を見るのが嬉しくて、もっと喜ばせたい一心で、毎日、ひたすら一生懸命話して聞かせるのがいつしか私の日課になっていた。
振り返れば、あの父子のふれあいのひとときが、幼かった私に、人を喜ばせようとする気持ちの大切さと、それが相手を通して自分に返ってきたときのさらなる喜びを自然に学ばせてくれたように思う。[2,p64]
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戦後復興、高度成長を通じて、新建材によって安価・大量に住宅を供給するという父親の志は、十二分に果たされた。豊かになった現代日本では、本物の家づくりが求められている。それが今の伊佐さんの志である。
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たしかに時代は移り、世の中も人の価値観も大きく様変わりした。だが結局、私たち父子の目的はひとつ。
家づくりを通して人を喜ばせたい—-ただそれだけなのである。[2,p65]
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人を喜ばせ、それが相手を通して自分に返ってきた時の喜びを味わうとは、「和」の世界そのものである。
■8.「人も家も内を固めていくうちに風貌が出来ていく」
「本物の家づくり」と言っても、伝統的な様式をそのまま画一的に押しつけるわけではない。伊佐ホームズの作品のひとつに、奥まった土地ながら、外から見えるわずかな壁面にコンクリートの櫛引という特徴的な仕上げを施した、いかにも控えめながらシャープな外観の家がある。
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この家の施主は眼科の名医として社会に多大な貢献をされてきた方である。医師に限らず、つねに多くの人々に夢や希望を与える役割を担っている方はいずれも内面から滲み出る独特の何にかを持っている。仕事を進める過程で、我々は率直でいて奥深い施主の人柄にすっかり魅了され、結果としてその印象がそのまま建物に宿った—-いい顔をした家は、必ずしも意匠ありきでそうなったわけではないという好例といえる。[2,p121]
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「家には顔がある。そして、その顔は実に住まう人の面差しに似ている」と伊佐さんは言うが、家の顔はこうした丹念なプロセスから作られていく。
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人も家も内を固めていくうちに風貌が出来ていく。
魅力的な顔をした家には、必ず魅力的な人が住んでいる。
ちなみに伊佐ホームズの定義する「いい顔をした家」とは—-
「住まう人の人柄、社会性を反映した、品格のある家」である。
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そんな「いい顔をした家」があちこちに建って、そこに住む人々が自然や世の中との「和なるもの」を楽しんでいる。「大いなる和の国」には、そんな風景こそふさわしい。
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