東電旧経営陣に無罪判決。最高裁「巨大津波は予見できなかった」が大ウソであるこれだけの証拠

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東電旧経営陣に無罪判決。最高裁「巨大津波は予見できなかった」が大ウソであるこれだけの証拠 - まぐまぐニュース!
発生から14年を経た現在も、多くの人々に避難生活を強い続けている福島第一原発事故。しかしその責任の所在は、未だ明らかにされていないのが現状です。今回の『きっこのメルマガ』では人気ブロガーのきっこさんが、「巨大津波は予見できなかった」として事故当時の東京電力のトップに最高裁が下した判決の異常さを糾弾。その上で、

東電旧経営陣に無罪判決。最高裁「巨大津波は予見できなかった」が大ウソであるこれだけの証拠

発生から14年を経た現在も、多くの人々に避難生活を強い続けている福島第一原発事故。しかしその責任の所在は、未だ明らかにされていないのが現状です。今回の『きっこのメルマガ』では人気ブロガーのきっこさんが、「巨大津波は予見できなかった」として事故当時の東京電力のトップに最高裁が下した判決の異常さを糾弾。その上で、「誰も責任を取らない国」になれ果てた日本を強く批判しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:誰も責任を取らない国

東電の旧経営陣も全員無罪。誰も責任を取らない国ニッポン

昨日3月11日は、日本で暮らしているあたしたちにとって、決して忘れることのできない日、最悪の天災である東日本大震災と最悪の人災である福島第1原発事故が発生した日でした。そして、昨日で発生から14年となりました。

しかし、この日を目前に控えた3月5日、福島第1原発事故を巡って東京電力の旧経営陣が業務上過失致死傷罪で強制起訴されていた上告審で、最高裁第2小法廷は「巨大津波は予見できなかった」として、岡村和美裁判長、草野耕一裁判官、尾島明裁判官の3人全員一致で、上告を棄却する決定をしたのです。これにより、東電の武黒一郎元副社長(78)と武藤栄元副社長(74)2人を無罪とした1、2審判決が、奇しくも3月11日に確定しました。

もともとは勝俣恒久元会長を含めた3人が強制起訴されていたのですが、勝俣元会長は昨年10月に84歳で死去したため、すでに最高裁が公訴棄却を決定していました。そのため、未曾有の被害をもたらした原発事故を巡り、その原発を運営していた東京電力の当時のトップらの刑事責任が問われた裁判は「全員無罪」で決着したのです。

この判決を受けて、裁判を傍聴し続けて来た福島県民の1人は「私たちは『絶対に安全だ』と国から言われていた原発の事故に遭い、故郷も家も仕事も奪われ、今も避難生活を強いられている。人生をめちゃくちゃにされた県民が何千、何万といるのに、国には責任がないと言われ、東電にも責任がないと言われた。それなら誰が責任を取るのか?」と声を荒げて抗議しました。

今回の裁判は「東電は巨大津波を予見できたのに安全対策を取らず、原発事故後の長期避難で双葉病院(福島県大熊町)の患者ら44人を死亡させた」という理由による業務上過失致死傷罪での強制起訴でした。しかし、実際に原発事故が原因で犠牲になった福島県民の数は、こんなものではありません。

東日本大震災の津波や地震などによる東北3県の犠牲者は、宮城が9,544人、岩手が4,675人、福島が1,614人、福島が最少です。しかし、震災後の長期避難で亡くなった「震災関連死」は、2024年末までに、宮城が932人、岩手が472人、福島が2,348人、福島が突出しているのです。そして、福島の内わけを見ると、南相馬市が521人、富岡町が456人、浪江町が444人、双葉町が160人、楢葉町が145人、大熊町が132人と、死者数の上位は原発周辺の帰還困難区域に集中しています。

同じ避難者でも、復旧復興が進めば地元に帰ることができる宮城や岩手の人たちと、放射能汚染によって強制避難させられ、いつになったら帰ることができるのか分からない福島の人たちでは、メンタル面がまったく違います。そのため、これはとても悲しいことですが、震災関連死の中の自死の数も、福島が120人超と最多なのです。

国にも東電にも責任はないとした最高裁の判断の異常

そして、14年が経った今もなお、福島では、県外避難者が1万9,849人、県内避難者が5,756人、避難先不明者が5人、計2万5,610人もの人たちが避難生活を余儀なくされているのです。東日本大震災による避難者は、現在約2万8,000人ですが、その9割に当たる2万5,000人以上を福島県民が占めているのです。そして、その最大の原因は、原発周辺の富岡町、浪江町、双葉町、大熊町、飯舘村、葛尾村の6町村に、放射線量が高くて住むことができない帰還困難区域が今も残っていることです。

双葉町に至っては、今も行き場の見つからない放射能汚染土が中間貯蔵施設に東京ドーム11杯分もあるのです。そんな状態なのに、政府は部分的に除染して、そのエリアだけ帰還困難区域から除外し、住民に帰って来いと言うのです。当時の岸田文雄首相は2022年8月、双葉町の帰還困難区域を部分的に解除しましたが、現在までに帰還した住民は100人もいません。現在、双葉町には181人が居住していますが、半数以上は帰還した住民ではなく、復興のために他県から移住して来た人たちです。双葉町の住民は、今も約5,500人が避難中なのです。

こうした現状を見れば、福島の2,348人という突出した「震災関連死」が、福島第1原発事故によるものだと分かります。そして、その福島第1原発は「国策」として国と東京電力が一体となって推進して来たのです。それなのに、これほどの犠牲者を出しておきながら、今も多くの人たちを苦しめ続けておきながら、国にも東電にも責任はないとした最高裁の判断の異常さに驚きました。

東電の旧経営陣は本当に巨大津波を予見できなかったのか

さて、今回の裁判で争点となったのは、東電の旧経営陣が「巨大津波を予見できたかどうか」、そして「安全対策をしていれば事故を回避できたかどうか」でした。これに対して最高裁は「巨大津波は予見できなかった」、だから「旧経営陣には何の責任もない」と結論づけたのです。以下、時系列で解説します。

2002年7月、専門家で構成される政府の地震調査研究推進本部は「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」という報告書で「福島沖を含む日本海溝沿いでマグニチュード8級の津波地震が起きる可能性がある」として「原発の敷地の高さを大きく超える津波」を予測しました。

時は流れて2006年3月1日、京都大学工学部原子核工学科卒で、日本共産党の原発エネルギー問題委員長をつとめていた吉井英勝議員が、衆議院予算委員会分科会で「日本の原発の多くは巨大地震によって大津波が起こると、引き波によって取水冷却ができなくなり炉心溶融(メルトダウン)や水蒸気爆発の恐れがある」と指摘しました。答弁に立った経産省の広瀬研吉原子力安全保安院長は「津波で引き波が起こると最大で44基の原発が一時的に冷却できなくなる」と認めました。

「早急の安全対策」を求めた吉井議員に対して、当時の二階俊博経産相は「安全確保のため省をあげて真剣に取り組むことをお約束したい」と答弁しました。しかし、当時の小泉純一郎首相が「日本の原発は世界一安全なので今以上の安全対策は必要ない」という元来のスタンスを変えなかったため、この二階経産省の答弁は実現されませんでした。

また、吉井議員は福島県連と共同で、東電の当時の勝俣恒久社長に対しても「福島第1原発の早急の津波対策」を書面で申し入れました。しかし勝俣社長は、当時の小泉政権と歩調を合わせ、この申し入れを完全スルーしました。

2006年には「巨大津波による電源喪失」を予見していた東電

2006年7月、東京電力は、原子力安全保安院と原子力安全基盤機構が設けた「溢水(いっすい)勉強会」で、巨大津波が押し寄せた場合に原発が電源喪失して甚大な事故に至る可能性があると報告しています。そして、この東電からの報告は保安院も共有しました。この事実は国会事故調報告書にも明記されています。つまり、東電でも現場の社員たちは、少なくとも2006年の時点で「巨大津波による電源喪失」を予見していたのです。

それなのに、当時の勝俣社長を始め東電の経営陣は聞く耳持たずで、危険性を共有した保安院も特に安全対策には言及しませんでした。

2006年9月、政権は小泉純一郎首相から安倍晋三首相へバトンタッチされました。首相が代われば原発の安全対策に対するスタンスも変わるかもしれないと思った吉井議員は、12月13日、当時の安倍晋三首相に「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」を提出しました。すると安倍首相は、国会で次のように答弁したのです。

「そのような事態は起きえないから対策の必要はない」

またまた時は流れて、2008年3月、東電の子会社の東電設計が、2002年7月の政府の地震調査研究推進本部の「長期評価」を元に試算したところ「福島第1原発には最大15.7メートルの津波が来襲する可能性がある」との結果が出ました。この報告を受けた東電本店の土木グループは「津波想定の大幅引き上げ」と、それに見合った「安全対策工事が必要」と認識し、沖に防波堤を建設し、敷地に防潮壁を築くなどの計画の検討を始めました。しかし、当時の勝俣恒久社長は、莫大な予算が掛かることを理由に、この計画を先送りしたのです。

そして勝俣社長は2008年6月26日付で、2007年7月に発生した柏崎刈羽原発の事故の責任を取るというテイで社長を引責辞任し、東電の会長に収まりました。その上、自分の娘婿である清水正孝副社長を後任の社長に据えたのです。まるで大阪府知事と大阪市長のイスを独占し続ける日本維新の会のような方式ですね。後任の清水正孝社長は「廃炉反対」の原発イケイケ派でした。

そんな原発イケイケ派の清水正孝社長体制がスタートした2008年7月、東電の土木グループは東電本店での会議で、当時の武藤栄副社長に津波対策の必要性を訴えました。地震津波対策を担当する社員が「防潮堤などの工事に4年の歳月と数百億円の工費が掛かる」と説明しました。すると武藤副社長は「研究しよう」と言って、外部機関への調査依頼を指示したのです。これは完全に「実質的な先送り」であり、津波対策の必要性を訴えた社員は「対策を進める方向だと思っていたので、予想外の結論に力が抜けました」と当時を振り返りました。

そして福島第1原発は、清水正孝社長の下、何の津波対策も行なわれないまま、2011年3月11日を迎えたのです。こうした流れを見れば、世界最悪レベルの原発事故の責任が、どこにあるのかは一目瞭然でしょう。そう、歴代の自民党政権と東京電力なのです。でも、それだけではないのです。日本の原発、特に福島第1原発の危険性を訴え続けて来た日本共産党の吉井英勝議員は、自民党が下野した民主党政権でも同じ訴えを続けていました。

官僚が書いた作文を棒読みしただけの菅直人内閣の経産相

民主党政権時の2010年4月9日、吉井議員は衆議院経産委員会で、老朽化が進む日本の原発と今後起こりうる巨大地震が重なった時の危険性について訴えました。これに対し、当時の菅直人内閣の直嶋正行経産相は「安全第一の上で原発を推進をするというのが政府の基本方針だ」と官僚の作った作文を棒読みしただけで、何の具体的対策も指示しませんでした。そして、その1年後に世界最悪レベルの原発事故が発生したのです。

ちなみに、当時の直嶋正行経産相は、現在は「不倫おじさん」こと玉木雄一郎議員が代表をつとめる国民民主党の顧問をつとめており、当然、原発推進派です。そして、その玉木雄一郎代表は、写真週刊誌『FLASH』にグラビアアイドルとの不倫が報じられた約2週間後の昨年11月27日、国民民主党の幹部らとともに石破茂首相と面会し、政府が策定する次期エネルギー基本計画に「原発新増設」を盛り込むように求める要望書を手渡しました。

これを受けて石破茂首相は「渡りに舟」と、武藤容治経産相に「第7次エネルギー基本計画」の大幅変更を指示しました。そして、福島第1原発事故以来、エネルギー基本計画に盛り込まれて来た、原発に関する「可能な限り依存度を低減する」という文言が削除され、経団連から要望されていた「(原発を)最大限活用する」という文言が加えられ、さらには「次世代革新炉の開発・設置に取り組む」と明記された「第7次エネルギー基本計画」が、昨年12月17日、策定されたのです。

【関連】不倫発覚の直後に「原発新増設」要望書を首相に手渡し。玉木雄一郎「トイレのないマンション」を推進の“狂気の沙汰”

玉木代表の要望書を受け取ってから、わずか3週間、マッハの仕事です。年内のバタバタしている時期に発表して、年が明けたら国民は忘れているという自民党政権のいつもの作戦です。そして、その流れから3月5日、最高裁は、部下から再三に渡って要望されていた「巨大津波の危険性と安全対策の必要性」を先送りし続けた東電の武黒一郎元副社長と武藤栄元副社長を「巨大津波は予見できなかった」として「無罪」にしたのです。

そんな3月5日、広島地裁でも原発に関する判決がありました。伊方原発3号機の安全性に問題があるとして、広島県などの住民ら337人が四国電力に運転差し止めを求めた集団訴訟の判決で、大浜寿美裁判長は「原告らの生命、身体、健康などを侵害する具体的危険が生じているとは言えない」と述べ、住民側の請求を棄却したのです。住民側は控訴する方針だそうですが、あたしはこの裁判長に対して「はぁ?具体的危険が生じてからじゃ遅いから、事故が起こる前に運転を止めろと言ってんのに、お前は安倍晋三か?」と思いました。

時の政権の政策や方針により変わるこの国の司法判断

…というわけで、3月11日を目前に控えた3月5日、同じ日に原発に関する2つの裁判の判決があり、あたしは恐ろしい事実を知ったのです。それは、この日本という国は「三権分立」が機能しておらず、司法の判断が時の政権の方針によって左右されるという事実です。

その証拠に、原発事故によって福島から千葉に避難した住民らが国と東電に損害賠償を求めた集団訴訟では、2021年2月19日、東京高裁は国と東電の責任を認め、住民43人に計約2億8,000万円を支払うよう命じたのです。この判決について、当時の東京高裁は次のように根拠を述べました。

「2002年7月に政府の地震調査研究推進本部が公表した長期評価に基づけば、国は原発の敷地の高さを大きく超える津波を予見でき、公表から遅くとも1年後には東電に事故を避ける措置を命じられた。そこから東日本大震災が起こるまでの約7年半で、防潮堤の設置や重要機器室の防水対策は可能であり、全電源喪失という結果は避けられた」

今回の最高裁の判断とは真逆ですが、普通に考えたら小学生でも分かる当たり前の判断です。そして、どうして東京高裁がこのような正しい判断をすることができたのかというと、当時は政府の「エネルギー基本計画」に「可能な限り(原発の)依存度を低減する」という文言が明記されていた上、現在のように「(原発を)最大限活用する」などとは間違っても書かれていなかったからです。つまり、この国の司法判断は、時の政権の政策や方針によって180度変わってしまうのです。

安倍晋三元首相は、日本の三権分立を破壊して、司法、立法、行政という国家権力のすべてを牛耳ろうと画策しましたが、他の数々の公約と同様に、この悪だくみも「道半ば」で終わりました。しかし今回、最高裁という司法のトップまでもが自民党政権の方針におもねった判決を下すという異常な状況から「安倍政治の負の遺産」は格差拡大と物価高騰だけではなかったのだと知りました。そして、安倍元首相が目指していた「美しい国」とは「誰も責任を取らない国」のことだったのだと知ったのです。

(『きっこのメルマガ』2025年3月12日号より一部抜粋・文中敬称略)

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