読書室 『アメリカ 異形の制度空間』

米国の歴史
『読書室 『アメリカ 異形の制度空間』』
読書室西谷修著『アメリカ 異形の制度空間』講談社新書メチエ 2016年刊 本体価格 1700円  〇現代の国際政治、国際社会を語る上でアメリカ合州国(USA=…

読書室 『アメリカ 異形の制度空間』

読書室 西谷修著『アメリカ 異形の制度空間』講談社新書メチエ 2016年刊 本体価格 1700円

〇現代の国際政治、国際社会を語る上でアメリカ合州国(USA=アメリカ連合諸国)の存在を抜きに語ることはできない。

アメリカとは一体どんな国なのか。それはヨーロッパから移住した「移民」の国なのか、はたまた「自由」の国なのか。

では視点を変えて考えれば、先住民を「征服」した国家なのか、あるいは先住民から「強奪」した国家なのか。

このように西谷氏は、そもそもアメリカ合州国とはどういう国なのか、との根本的な問いを私たちに投げかける。

西谷氏自身は、その本質を「アメリカ 異形の制度空間」だとするのである〇

大地と先住民

現在アメリカに住む人々は、先住民の子孫を除けばすべてこの数百年の間にヨーロッパやアフリカ、アジアの各地から植民者や移民として、またはアフリカ大陸からの奴隷として、強制的に移住させられた人々によって構成されている。最近は中南米や南米からの多数の「難民」が押し寄せていることも周知の事実だろう。

しかしこの「アメリカ」という名称そのものが、コロンブスではなくアメリゴらや植民してきた初期のヨーロッパ人の恣意的な「名付け」に基づいている。

大航海時代に確かにこの大陸は「発見」されたのだが、その当時この大陸がどのような名前で呼ばれていたかは、今では先住民を含めても誰一人として知らないのである。

そもそも先住民はインディアン、もしくはネイティブ・アメリカンと呼ばれている。前者はコロンブスが自分はインドを発見したとの誤認に由来する全くの誤称である。

またその意味ではポリティカルコレクトネスの観点から使用されている「ネイティブ・アメリカン」の呼称も、全く自他を欺くものでしかない。

厳然たる事実として、この大陸にはすでにヨーロッパと異なる文化を持った600余の部族を数える先住民の社会があった。

彼らの伝承に基づいていえば、彼らには確かに母なる大地との観念はあったものの、自分たちが土地を所有しているとの観念はなかったのである。

彼らにとって大地は人間のみならず、生きとし生けるものの存在を生み出し支える世界そのものであり、人間はその恵みの中で生き死にする存在である。

勿論、各々の部族にテリトリーがあり、時に争いもあった。それは部族が生存の場を占有するための闘いであった。

当然にも自分の部族がこの大地を所有しているなどの大それた観念などなかったのである。

だから16世紀以降、イギリス人がこの大地へ入植し始めると、先住民と彼らとの諍いは少なく友好的であり、慣れない土地での越冬の仕方や彼らの見知らぬトウモロコシの育て方を親切に教えたとの話が今に至るまで伝承されている。

植民者の実態と先住民の虐殺と虐殺

初期の植民者たちであるピューリタンたちは、英国国教会を追われたカルバン派であった。

彼らは、地上で神の命令を実現するとの強烈な信仰とイデオロギーを持ち、自分たちと違う人種や異なる文化や言語を持つ人々を絶滅させることを躊躇しない連中だ。

当時の先進諸国の決定により先住民には何の相談もなく彼らの存在は無視され、一方的に彼らの居住してきた母なる大地は突然に無主の土地とみなされた。

このように新大陸は、入植者が自由に自らの未来を切り開く事ができる「神が与えたもうた、切り取り自由の無主の新天地」とされたのである。

彼らは、出エジプトのユダヤ人がパレスチナで虐殺をしたように、神の僕として「偶像崇拝や悪習に溺れた者たちを目覚めさせる」ため、先住民を騙し酷使しつつ、さらには殺戮を正当化した。

それに抵抗する先住民たちは、入植者や移民たちとの様々な戦役で敗北を繰り返し、ついには蔑称であるインディアンを自ら受け入れるまでに追い詰められ、そして政府が一方的に居住地と指定した「居留地」へ追いやられた。

2000年の国勢調査によると、先住民の人口は全人口の約0・9%、約248万人で、300余ある居留地は、アメリカ全土のたった3%しかない。これまでに何と凄まじい虐殺が行われ、彼らの母なる占有地は見るも無残になるまで略奪されたものではないか。

それでも南米のように彼らが入植者や移民たちの奴隷とならなかったのは、歴史的な論戦があったからだ。

それは、1550年に『インディアスの破壊に関する簡潔な報告』で歴史に名を遺す、ラス・カサスと当時最大のアリストテレス学者でキリスト教徒の権利を擁護するセプールベダとの間で行われた、スペインによるインディアス統治の正当性、とりわけ現地人を奴隷として扱ってよいか否かを巡る論争である。

論争の結果は、現地人の奴隷化を不可にはしたが、論戦の中でラス・カサスが現地における当座の労働力不足を認めて妥協し、それを解消するために黒人奴隷の導入が承認されたのである。

確かに先住民は奴隷こそならなかったが、白人、黄人、黒人、赤人の序列は残った。先住民の扱いは奴隷以下の酷さだった。

アメリカ社会の支配意識の根底

現代に引き続くアメリカ社会の支配意識の根底には、このアメリカ植民史がしっかりと刻み込まれている。

19世紀にアメリカ社会を観察した同時代人のフランス人のトクヴィルは、『アメリカのデモクラシー』の中で、「国民はいつまでもその起源を意識する。国民の誕生を見守り、成長に資した環境はその後の歩みのすべてに影響する」と書いた。

特にこのことは新しく国家建設を行ってきたアメリカ社会には顕著だ。

19世紀から20世紀は、ヨーロッパの強国がアジア・アフリカを植民地化し、宗主国が植民地総督を配置し、被支配民族を搾取・抑圧してきた歴史があった。まさに帝国主義の時代と呼ぶにふさわしい。そこでは先住民が宗主国の軍隊と官僚により暴力的に政治支配されていた。

だがアメリカ植民地では、無主の土地に対する先取権だとして先住民から土地を奪っていくことが主目的であったため、土地の略奪に反抗した先住民は、植民者たちによって大量虐殺されて、ついには居留地という制限された区域に閉じ込められていったのである。

ヨーロッパの植民者は、自分たちの思想でしかない「自由」と「私的所有権」を持ち出し、これまで先住民が共同利用してきた土地に勝手に柵を巡られて区画し直していった。ニューヨークのウォール街【柵―直注】とはその名残りなのである。

植民者が柵を作りその所有権を主張したとしても、その手前勝手な「私的所有権」を認めない先住民が現実に存在し、それに反対の意思を示すのは当然であった。

ところがアメリカの植民者たちは、自分たちが決めたルールを持ち出し、相手の反抗を意図的に誘い出し、彼らを敵と認定し虐殺していったのだ。つまりアメリカ合州国の拡大の歴史は虐殺の歴史でもあるのである。

アメリカの帝国主義の本質

20世紀のアメリカも基本的には同じ。自分たちの作った一方的なルールを振りかざし、反発する相手を許さず敵とし皆殺しにする。

それが第一次大戦、第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム、イラク、アフガニスタンでしてきたことである。

17世紀以来のアメリカの先住民虐殺の歴史がアメリカの正史であると国家から担保されている限り、その全く独りよがりで独善的な思想が、驚くべきことに一切の疑義も挟まれず現代まで引き継がれている。

現在、アメリカはイスラエルのガザ攻撃とジェノサイドを擁護する。まるで出エジプトを経てパレスチナへ侵攻したモーゼを美化する旧約聖書の世界観である。だが縷々述べたように、それは旧約聖書時代の話ではなく、アメリカにとってはまさに近代史なのである。

先住民を無慈悲に虐殺してこそ、自分たちが求める真の「自由」と「私的所有権」が打ち立てられる。これがアメリカ帝国主義の本質であり、血に塗れた彼らの生まれながらの信念なのである。

この点においてアメリカとイスラエルとは、まさに似た者同士の腐れ縁だといえる。

確かに21世紀の現代世界でも、この「自由」と「私的所有権」は、実に心地よい言葉ではある。私たちの意識の中にも確かに普遍化しており、当然のようにしっかりと刻み込まれているといえよう。

だがこの思想は、もしかしたらアメリカ大陸への植民者たちによって歴史的には、偶々成立した「異形の制度空間」の思想だと疑う必要があるのではないか。

そしてアメリカ合州国が世界の覇権国となったことで、そのことが「正義」だとの世界的な拡大が認められているだけなのかもしれないのである。

私たちがよくよく考えねばならないことは、現代資本主義が行き詰まりを見せ、資本主義以後の新たな世界が模索されている、この現代のことである。そして今こそ追求されるべきなのは、この不幸を生み出した「自由」と「私的所有権」を越えた、次の新たな社会のことである。

私たちの今後の追求の方向を見定めるためにも、本書の一読をぜひ薦めたい。

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