石破総理の「トンデモ政策」で日本人が覚醒するワケ。アジア版NATO、日米地位協定改定がもたらす“気づき”と世界水準の政治リアリズム

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石破総理の「トンデモ政策」で日本人が覚醒するワケ。アジア版NATO、日米地位協定改定がもたらす“気づき”と世界水準の政治リアリズム - まぐまぐニュース!
石破総理が提案する「アジア版NATO創設」と「日米地位協定改定」。結論から言うと、現時点ではどちらも非現実的なトンデモ政策だ。だが悪い話ばかりではない。石破氏のプランが各国から総ツッコミを浴びることで、多くの日本国民が自分たちの置かれた立場や「絶対的な非対称性」で形づくられた国際政治の現実に気づくかもしれない

石破総理の「トンデモ政策」で日本人が覚醒するワケ。アジア版NATO、日米地位協定改定がもたらす“気づき”と世界水準の政治リアリズム

石破総理が提案する「アジア版NATO創設」と「日米地位協定改定」。結論から言うと、現時点ではどちらも非現実的なトンデモ政策だ。だが悪い話ばかりではない。石破氏のプランが各国から総ツッコミを浴びることで、多くの日本国民が自分たちの置かれた立場や「絶対的な非対称性」で形づくられた国際政治の現実に気づくかもしれないからだ。米国在住作家の冷泉彰彦氏が詳しく解説する。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:日本の安全保障は非対称関係

「アジア版NATO創設」「日米地位協定改定」石破総理の2大政策

石破新内閣が発足しました。裏金議員について前言を翻して非公認とか、重複立候補認めずといったやや強めの対応をするなど、政局運営には試行錯誤が伴っているようです。今回、仮に解散があるとして、その結果によっては連立の組み換えや政権交代など様々なバリエーションを想定しておかねばなりません。

さて、そうは言っても、新しい政権が出来たのは事実です。ですから、今の時点では、とりあえず首相になった石破氏の政策について考えてみたいと思います。

今回の所信表明演説では見送っているわけですが、石破氏は日本の安全保障について、2つの提案を行っています。アジア版NATOの創設と、日米地位協定の改定です。

「アジア版NATO」の非現実ぶりに各国から不快感

まず、アジア版のNATOについてですが、アジア諸国からは早速不快感が出ているようです。

何よりも、NATOの場合は「加盟国への攻撃は全体への攻撃とみなす」という文字通りの集団安保体制です。仮に日韓にASEANとインドがアジア版NATOを組んだとすれば、北朝鮮有事にも、印パ紛争にも、中印紛争にも日本が参戦することになります。

石破氏とすれば「だからこそ、各地の紛争を抑止できる」と言いたいのでしょうが、話はそんなに単純ではありません。例えば、インドはパキスタンとは鋭く対立する一方で、ロシアとは是々非々の関係です。中印関係の対立にも独特の経緯があります。そんな中で、インドは多角的な2国間関係で亜大陸の安全を確保している以上、単純な「東西対立」に組み込まれることを善しとはしないわけです。

例えば、アジアNATOが全員参戦するという脅しでパキスタンを黙らせるとか、核の武装解除をするというのは非現実的です。日韓とASEANが攻めてくると脅しても、パキスタンとしては「やれるものならやってみろ」ということになります。

冷静に考えればアジアNATOがインドのために結束してパキスタンと戦うなどという前提が成立するわけがありません。となれば、インドの入ったアジア版NATOというのは全くの非現実です。

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どの国から見ても「面倒くさすぎる」アジア版NATOの問題点

反対に、仮に日本が南千島の4島の不法占拠を止めろということで、ドンパチ覚悟でロシアに迫ったとします。

その場合に、ロシアが本当に手出しをしたら、インドを含めたアジア版NATOが全部相手になるから、ということが抑止力になり、4島からの武装解除に役立つということは、難しいと思います。

インドとロシアは長い特殊な関係があり、その曖昧さがインドの外交に独自性を与えています。インドにアジア版NATOに入れというのは、そのインド外交の独自性を否定することにもなりかねません。

一方で、日韓に北朝鮮が絡んだ3カ国の対立関係には、日本と南北韓国の感情的で複雑な経緯があるわけです。

例えばですが、仮に北朝鮮が韓国に攻め込んだとして、自衛隊が韓国の援軍に行くと、自衛隊の駐屯地に韓国の左派系がデモをかけて大トラブルになるかもしれません。そのトラブルがあるレベルを超えると、南北韓国軍が自衛隊に攻めかかるというハプニングもあり得ます。

これは極端な想定ですが、そんな「面倒くさい関係」には、距離の離れた諸国からは抑止のための同盟とは言え、関与するのは勘弁して欲しいという声が上がってもおかしくはありません。この問題で韓国の保守政権にあまり無理をさせると、選挙で政権が左派に行ってしまい、あっさりとアジア版NATO脱退とか、日本だけを除名せよみたいな話になる危険もあります。

もう少し小規模な問題で、例えばインドネシアと東チモールの関係が悪化したからといって、インドネシアがアジア版NATOのメンバーであれば、参加国は中立の立場での仲裁はできません。それどころか、東チモールがインドネシア国軍を挑発した場合に、全加盟国がインドネシア軍を支えることになります。これも非現実的です。

「日本抜き」でなければアジア版NATOは成立しえない

そもそも、シンガポールなどは、西側自由貿易圏と中国の2つの勢力に対して、徹底した是々非々、徹底した実利主義によって「ほぼ等距離」の外交を行ってきました。等距離というのは、同じように近いというのでも、同じように遠いというのでもありません。同じように「適度な距離を取る」ということです。

ですから、このアジア版NATOのような中国に対して喧嘩を売るような同盟には入りたくないでしょう。

同じように、域内の各国はどの国も中国との間には独自の距離感があります。ですから、NATOのように、一国への攻撃は全員への攻撃とみなすというような「全か無か」という同盟は難しいのです。

一番難しい理由は、そこに日本が入ることに抵抗を持つ国が多いということです。拡大アジア圏というのは、ある意味で2つの大東亜共栄圏の焼け跡といってもいいわけです。1941年以降の東條の大東亜、そして1970年代から90年代の「日本の下請け」だった時代のアジアで、どちらも灰塵になってしまいましたが、その「焼け残り」は今でもくすぶっています。

日本にとっては残念ですが、その「焼け残った」日本への複雑な感情は、それぞれの国におけるナショナル・アイデンティティに組み込まれています。ですから、自分の絡んだトラブルに日本が「しゃしゃり出てくる」のも愉快でないし、また日本のトラブルに巻き込まれるのもイヤなのです。

この日本との間の非対称な関係性ということ、また中国と各国が抱えている非対称な関係性ということ、この2つがアジアの域内外交を複雑にしています。アジア版NATOというのは、その複雑さを単純化するものです。もっと言えば、複雑さの中に均衡と安全がある現状と比較すると、危険を増やしてしまう可能性すらあると思います。

日米地位協定見直し、相互安全保障の議論に欠けているもの

もう一つ、石破氏の主張していたのは日米地位協定の問題です。といいますか、地位協定だけでなく日米の安保体制を相互に平等にするという考え方のようです。

まず地位協定の問題ですが、例えば米兵の犯罪について裁判権を100%日本側とするにあたって、一番の障害になるのは「捜査の方法」です。取り調べにおいて、弁護士の同席を認め、未決囚にはある程度の人権を認めるというのがアメリカの考え方ですが、日本の司法の現状は違います。

ですから、米国政府としては「遅れた司法制度を持った日本のシステム」から米兵の権利を守ることは重要な義務と考えてしまうのです。その場合に、特に日本の警察検察による「弁護人の同席を認めない」「代用監獄を使用する」という点を含めた「人質司法」は問題になります。

かといって、日米地位協定を意識してこの制度を変更するというのは、その行動自体が屈辱的であり、独立国のやることではありません。ですが、日本の国内の合意形成として、やはり被疑者の人権に配慮した制度に改善するというには、現在の検察の体制では難しいと思います。石破氏が本当に日米対等な地位協定に改定したいのであれば、この問題の議論は欠かせません。

一方で、日米の安保体制を双務的にするために、自衛隊をアメリカに駐留させるという案ですが、石破総理は訓練目的での駐留を考えているようです。

ですが、訓練して「もらう」という関係性が続く以上は、自衛隊がアメリカに駐留してもそれで対等性が確保されることにはなりません。むしろ、アメリカ側では余計にサービスしているという見方が出る可能性があります。

本当に双務性を確保するというのであれば、アメリカの戦闘(日本が直接関与していない戦闘)に、自衛隊を派兵しないと駄目です。そのような犠牲をアメリカは日本に対して払っているのだから、日本も同じように負担をせよというロジックです。

そうなると、憲法の問題が障害になるし、国内世論が許さず内閣をいくつ潰しても難しいと思います。

世界の現実は「絶対的な非対称性」で成立している

そもそもの問題は、日本とアジア諸国、日本とアメリカの関係が「絶対的な非対称性」をもっているということです。独立国同士として、外交面での絶対的な対等性というのは確保されていると思います。そうなのですが、では関係性は「対称」なのかというと、違います。

例えばですが、日本とアジア諸国の関係ですが、良く日本の保守派が「日本が共栄圏を作ったから、アジア諸国は欧米の植民地から独立した」ということを言います。もっともらしい意見ですが、順番に考えていくと事実に反します。日本が本当に欧米の植民地政策からアジアを解放したのならいいのですが、日本が最初にやったのは自分の植民地にすることでした。

その結果、例えば昭南島(シンガポール)では、共産主義者の潜伏を警戒した日本軍が現地の住民を虐殺するという事件が起きて、これは今でも同国のコミュニティに深く記憶されています。この問題に関しては、シンガポールは「日本を許す」という姿勢、日本側は「認めて恭順する」という姿勢で均衡しています。そこには対称性はありません。対等ですが対称ではないのです。

シンガポールはその後、経済成長を遂げて先進国入りしました。では、日本との関係は対等になったのかというと、結果的にグローバリスムに適応できなかった日本経済は衰退して、今では1人あたりのGDPでシンガポールの半分という惨状を呈してます。日本の富裕層はシンガポールに逃げ、シンガポールの富裕層は日本で豪勢な旅行をして札ビラを切っており、その関係には対称性はありません。

日米の関係に至っては、非対称ということが深く埋め込まれています。日本国の独立はサンフランシスコ平和条約に支えられていますが、そのサンフランシスコ条約では、連合国の枠組みが戦後世界の秩序のベースとなっています。従って、日本は恭順国家であり、軽武装を義務付けられています。

石破総理の問題提起が日本人に突きつける本当の現実

その日本は軽武装国であることを利用して、全方位外交と貿易立国を実現しましたが、最終的にグローバリズムとの不適応を起こして衰退してしまいました。

これに対して、アメリカは日本経済の調子の良い時は貿易摩擦だとして敵対し、やがて構造改革を迫り、衰退がハッキリすると「ボラ(リスク)の取れる市場だ」として投資先として弄ぶ一方で、日本の素材産業を囲い込みに走っています。

一方で、日本発の多国籍企業は猛烈な空洞化を実現して、米国の経済と雇用に貢献し、日本国内には貧困を残しました。そのどこにも対称な構造はありません。

安全保障に話を戻すと、在日米軍というのはまず日本軍国主義復活を許さない保障占領であり、また同時に駐留権は戦利品です。一方で、日本から見れば、中国やロシアから日本を守ってくれる存在というよりも、中国やロシアに日本への攻撃を躊躇させる人質のようなものです。全く対称ではありません。

私は、石破茂という人が、こうした基本的な論点を理解しない人物だとは思いません。また、日本国内でこうした安全保障のリアリズムがなかなか理解されない中で、この種の議論を巻き起こしたというのは、悪いことではないと思います。

結果的に、日本の安全保障は複雑な多国間関係、それも入り組んだ非対称な関係によって支えられているという理解が広まるのなら、石破氏の問題提起は価値があると言えます。

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