ベネズエラの「左派」マドゥーロ政権が生み出す不法移民の奔流が、中南米の政治地図を「左」から「右」へ急速に塗り替えている

あのチリで「極右」カスト大統領誕生
2000年代に入ってから、中南米では左翼政権がどんどん広がる動きが展開されてきた。これは「ピンク・タイド」とも呼ばれている。だが、この流れは今や完全に逆転した。今回は現在起こっている中南米での地殻変動を扱っていきたい。
地殻変動のトップは、チリである。チリでは12月14日に大統領選挙の決選投票が行われ、極右政治家ともいわれるホセ・アントニオ・カスト氏が、約60%の得票率でこれまでの左派の大統領の後継であるジャネット・ハラ氏を破って圧勝した。
チリでは、1970年にマルクス主義を公然と謳うアジェンデ政権が誕生した。この社会主義政権は、議会制民主主義を通じて初めて誕生したとして、当時は注目を浴びた。こんな政権が誕生するほど、チリでは左翼勢力が強かったのである。
アジェンデ政権は主要産業の国有化をどんどん進めていったが、その手法はかなり手荒なものだった。産業の国有化に際し、資産価値評価に基づく補償(買取)を原則としながらも、実際には過去の操業で資本家は「超過利潤」を不当に得ていたと見なし、補償に際してはそうした「超過利潤」は差っ引かれて当然だという理屈を築いたのだ。そして過去の「超過利潤」を差し引けば、実質的な価値はゼロないしマイナスになるから、補償をしなくてもいいということにした。要するに、屁理屈を捏ねてタダで奪ったのである。
チリは南米に位置し、歴史的にアメリカとの関係が深い。当然、アメリカ資本も多く進出していたから、アメリカ資本にとって極めて大きな打撃となった。アメリカ政府はこのアジェンデ政権のやり方にカンカンになって怒り、チリに対する援助を停止し、国際金融機関からの融資も妨害した。また、産業の国有化によって国内産業の競争力が弱体化し、物不足とも相まってインフレが進行した。インフレの進行により生活が苦しくなると、それを賃金引き上げで補おうとし、それがさらなるインフレを引き起こすという悪循環に陥り、1973年にはインフレ率は500%を超えてしまった。このように当時のチリ経済は混乱の極みにあった。
チリでピノチェト評価の声も
この混乱の極みにあったアジェンデ政権を1973年に軍事クーデターで倒したのが、当時陸軍総司令官だったピノチェトである。ピノチェト政権は1990年まで続いた。アジェンデ政権とピノチェト政権はオールドメディアによって、よく対比的によく捉えられてきた。そしてこの対比においては、社会主義のアジェンデ政権を善として位置付ける一方、軍事クーデターで成立したピノチェト政権を悪として位置付けるのが一般的だ。確かに、選挙で選ばれた政権を軍事クーデターでひっくり返したという点を見れば、この評価が間違っているとは言えないところもある。
そもそも大学などのアカデミズムの世界やマスメディアにおいては、圧倒的に左派勢力が強かったので、この点でも社会主義のアジェンデ政権を善とし、右派のピノチェト政権を悪とする傾向があった。国有化をめぐる経緯を無視し、また社会主義経済の根本的な矛盾に切り込むこともせずに、アジェンデ政権の経済運営がうまくいかなかったのは、全てアメリカの不当な策謀のせいだと言わんばかりの議論も多かった。私たちはそうした情報空間の中で生きてきたので、こうした左派的な考えに、無意識のうちに染められていたところもある。
チリの首都のサンチアゴには、ピノチェト政権の負の歴史を展示する「記憶と人権の博物館」という大規模な国立博物館が建てられ、ピノチェト政権下で行われた反対派弾圧・人権侵害ぶりが展示されてもいる。この国立博物館は、ピノチェト政権下で辛酸を舐めさせられた左派側が、ピノチェト政権崩壊後に政権を取った際に行った意趣返しのようなものだとも言えるが、彼らがピノチェト政権期に酷い目に遭わされ、殺された仲間も多かったのは確かだ。
にも関わらず、チリの人たちのピノチェト政権に対する評価は必ずしも悪いとは限らないのである。急激な国有化を進めたアジェンデ政権時代に経済が行き詰まった一方で、ピノチェト政権期の経済が順風満帆だったかというと、実は必ずしもそうともいえないのだが、それでもピノチェト政権期を評価する意見は、チリの人たちの中にはかなり強い。
ピノチェト政権期のインフレも必ずしも落ち着いたものではなかったが、それでもアジェンデ政権の混乱期に比べれば、かなり抑え込まれていた。ピノチェト政権期には2度のオイルショックの影響を受けて、主要輸出品目である銅が、世界的な不景気の中で暴落する不幸にも見舞われた。社会主義勢力が、様々にピノチェト政権の邪魔を行い、それが経済の混乱につながったところもある。このような理解も広がり、ピノチェト政権期の実際について、冷静な見方も広がっている。
ピノチェト政権期は、その強権的なあり方の裏返しとも言えるが、国内の治安が回復した時代でもあった。この点を評価する声もチリ人の中では強い。もっともその治安のよさは、ピノチェト政権が社会主義勢力を徹底的に弾圧していたことにも起因するから、左派勢力には許しがたいものなのは、間違いない。
ベネズエラからの不法移民大量発生が
このように、左右の立場によって、ピノチェト政権期の評価は正反対になるのだが、着目しておきたいのは、新大統領に選出されたカスト氏が、公然とピノチェト政権を肯定的に評価していたところだ。公然とピノチェト政権を肯定するカスト氏を、チリ国民が圧倒的に支持したというのは感慨深い。
カスト氏の支持を高めているのは、隣国であるアルゼンチンのミレイ政権誕生の影響もあるだろう。ミレイ大統領は「アルゼンチンのトランプ」と呼ばれることもある強力な右派の大統領だが、アルゼンチン経済を安定した成長軌道に乗せて、今は国民の支持を集めている。
だが、ミレイ政権誕生以上にカスト氏当選を後押ししたのは、チリのナショナリズムが高揚したことによる。チリのナショナリズムが高揚した最大の理由は、移民の急増にある。チリの全人口に占める移民の割合は10%程度にまで上昇した。ペルー人、コロンビア人、ハイチ人、ボリビア人もかなり目立つが、圧倒的に多いのがベネズエラ人だ。
そしてベネズエラ人の中には南米最大級の犯罪組織である「トレン・デ・アラグア」、同様の犯罪組織の「太陽のカルテル」などに関係している人間も含まれている。これらの犯罪組織は、ベネズエラ政府とも深い関係があり、不法移民ビジネス、暗号資産を使ったマネーロンダリング、麻薬の密売、性産業に関わる人身売買に加え、猟奇的な殺人まで行っている。チリでは、マドゥーロ政権に反対するベネズエラの有力政治家がトレン・デ・アラグアによって殺され、セメントで固められた姿で発見されるなんてことも起こっている。
チリの人口10万人あたりの殺人件数は、2015年は2.3人だったが、2022年には6.7人にまで増加した。人口10万人のうち2.3人が1年間で殺されるというのも、我が日本から見れば信じられないくらいに多いが、それがさらに3倍近い6.7人にまで上昇したとなれば、由々しき事態だ。治安の悪化は国民共通の問題意識となり、カスト氏は既に国内にいる不法移民を国外追放するだけでなく、隣国ペルーやボリビアとの国境に壁を建設し、新たな流入を防ぐことも公約とした。
左派でもベネズエラ現政権だけは拒否
ところで、ベネズエラ人の急増とそれに伴う「トレン・デ・アラグア」や「太陽のカルテル」の活動による治安の悪化で困っているのは、チリだけではない。アメリカも、チリ以外の中南米諸国も同様にその深刻な被害を受けている。ベネズエラがとてつもない混乱に見舞われる中で、国外脱出したベネズエラ人は国民の1/4以上にもなる800万人程度いると推計されている。
こうした中で、今年のノーベルの授賞式に合わせて、パナマのムリノ大統領、エクアドルのノボア大統領、アルゼンチンのミレイ大統領、パラグアイのペニャ大統領という4人の中南米の大統領が、授賞式の行われるノルウェーのオスロに向かった。
彼らがノーベル賞を受賞したわけではない。ベネズエラの反体制派指導者マリア・マチャド氏がノーベル平和賞を受賞するのに合わせて、わざわざ現地に足を運んだのだ。ベネズエラからの移民と「トレン・デ・アラグア」や「太陽のカルテル」の問題で自分たちの国が困っているのは、ベネズエラの選挙であからさまな不正を行って政権を維持しているマドゥーロ政権が原因だということを、世界にアピールするためにわざわざ出掛けたのである。アルゼンチンのミレイ政権は、国際刑事裁判所(ICC)にマドゥーロの逮捕状を要請する動きも見せている。
アメリカのトランプ政権が発案した「ベネズエラの選挙結果の公平で独立した監査を求める共同声明」は、アメリカ以外に、アルゼンチン、コスタリカ、チリ、エクアドル、グアテマラ、パナマ、パラグアイ、ペルー、ドミニカ共和国、ウルグアイの中南米10カ国が賛同し、2025年の8月に発表された。
これらの国々の中には、実は左派政権の国も多く含まれている。グアテマラのアレバロ大統領も左派系だが、「マドゥーロ政権は民主的ではなく、私たちはその詐欺を認めない」と語っている。同じく左派系のチリのボリッジ大統領、ブラジルのルラ大統領、コロンビアのペトロ大統領、メキシコのオブラドール大統領も、アレバロ大統領よりは控え目だが、詳細な投票集計を見ずに彼の再選を認めることはできないとの立場を示している。
こうした左派系の政権とベネズエラのマドゥーロ政権は、イデオロギー的には同じ方向を向いているとは言える。それでも国内にベネズエラからの大量の移民流入による実害が生じ、国民の不満が高まっている状態では、ベネズエラのあまりに露骨な選挙不正に目をつむることができなくなっているのだ。
2025年の8月に行われたボリビアの大統領選挙の1回目の投票では、与党である左派の社会主義運動党(MAS)から出馬したデルカスティージョ候補はわずかに3%しか得票できず、10月の決選投票に進むこともできなかった。決選投票では中道のキリスト教民主党(PDC)のパス上院議員が勝利し、20年に及ぶ左翼政権は完全に崩壊した。2000年代初めから始まった「ピンク・タイド」の流れは、皮肉にも、左派政権であるマドゥーロ政権が強引に居座る反作用で、完全に逆転したのである。
現在、アメリカのトランプ政権がマドゥーロ政権の排除に動こうとしているが、これを実際にトランプ政権が行ったとしても、中南米諸国の反発は意外と小さいものにとどまるのではないか。そのくらい中南米諸国においてベネズエラのマドゥーロ政権は問題視されているのである。
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