若者たちの投票率の低さはどこの国でも同じなようだ
日本では最近になって投票年齢が18歳に引き下げられて、高校生でも投票ができるようになった。日本では長年にわたり、若者層の投票率の低さが課題とされてきた。多くの人たちに経験があるだろうが、国民の権利だと言われても、若いうちはなかなか政治に関心が持てないし、自分には関係がないと考えてしまうものだ。政治や社会のことよりは、自分の生活の方に関心が向くのは仕方がないことだ。こうした傾向は日本だけではなく、アメリカでもそのようだ。アメリカでは日本よりも早く1960年代から、18歳以上が投票できるようになっていたが、アメリカでも若者たちの投票率の低さが課題とされてきた。これはもう仕方がないことかもしれない。高齢者層に比べて投票率が低くなるということで、日本では「高齢者に有利になるような政治になってしまう(シルヴァーデモクラシーという言葉が使われる)」「高齢者の投票を制限する」というような主張も出ている。それよりは、まず若者たちの投票率を上げることが重要であろう。まぁ、日本では人口ピラミッドが逆三角形のようになっているので、どうしても中年から高齢者の数が多くなってしまうのは仕方がないことだ。
アメリカの人気歌手テイラー・スウィフトが自身のSNSで、民主党のカマラ・ハリス副大統領とティム・ウォルツミネソタ州知事のコンビを支持すると表明し、有権者登録を訴えた。有権者登録を行う人が増えたようだ。民主党側は、若者たちの投票を期待しているようだ。2016年の大統領選挙と2020年の大統領選挙では、2020年の方が若者層(18~29歳)の投票率が高かったという結果が出ている。そのため、「若者層が投票に行けば、ハリス・ウォルツが勝利する」という考えが民主党内にあるようだ。そのために、テイラー・スウィフトの支持は大きいと見ている。
テイラー・スウィフトの影響力がどれほどのものかは分からないし、歌手1人が支持を表明した程度で、大統領選挙の結果に重大な要素になると思えない。人気歌手が支持しているから私もと考えるような若者は多くないだろうし、そのようになるだろうと考えること自体が、若者たちを馬鹿にしている考えだ。それは、若者たちには考える力がなく、人気者が言えばそれに従う程度だということを前提にしているからだ。民主党がこれを喜んでいるようならば、それはそれで結構なことであるが、アメリカ国民にバカが多いと自分たちで認めていることになり、アメリカの先行きの暗さを示すものだということをよく考えた方が良い。
アメリカでは有名人や社会的影響力がある人物が自身の政治に関する意見を表明する文化があり、それは素晴らしいことであると思う。日本ではそんなことをすれば(特に自民党や日本維新の会を批判すれば)、大きな批判を浴びてしまうことになるので、意見を自由に表明できない。自由な意見の表明ができるということは素晴らしいことであるが、それに世論が左右されるということはまた別だ。意見を聞いて、自分で考えるようになる、そのことは日本やアメリカということは関係なく、私たちに求められていることだと思う。
(貼り付けはじめ)
若いアメリカ国民はどうして投票しないのか?(Why Don’t Younger Americans Vote?)
-テイラー・スイフトがハリス・ウォルツ陣営支持を表明したが、彼女の支持表明は選挙プロセスに参加しないことが多い年齢層に訴えかけている。
ジュリアン・E・ゼリザー筆
2024年9月16日
『フォーリン・ポリシー』誌
2023年7月22日、ワシントン州シアトルで開催されたエラス・ツアーで、パフォーマンスするテイラー・スウィフト
9月10日にカマラ・ハリス米副大統領とドナルド・トランプ前大統領の間で討論会が実施され、物議を醸した直後、民主党はさらに朗報を受け取った。シンガーソングライターのテイラー・スウィフトが自身と愛猫の写真をインスタグラムに投稿し、ハリス・ウォルツ陣営を支持するというキャプションを付けたのだ。ほとんどの有名人の支持はそれほど興奮を引き起こさないが、若い女性の間で絶大な人気を誇り、多くのファンを持つ歌手と、生殖に関する権利の問題を中心としたキャンペーンの融合は、影響を与える可能性がある。火曜日の夜、ハリスは討論会後のお祝いパーティーを出るとき、スウィフトの2019年のヒット曲「ザ・マン」を流しながら退場した。
僅差で勝者が決まる選挙では、18歳から21歳までの有権者の急増が極めて重要となる可能性がある。討論会翌日の午後2時までに、スウィフトが掲載した投票登録用のカスタムURLにアクセスした人は33万7000人を超えた。民主党は、ハリスと彼女の伴走者であるミネソタ州知事ティム・ウォルツを取り囲むエネルギーと希望の後押しが、特に激戦州(swing states、スウィング・ステート)において、投票への動機付けになることを期待している。
スウィフトからの支持にもかかわらず、民主党にとっての課題は、スウィフトが興奮させそうな年齢層は歴史的に投票率が低いということだ。若者たちは、大学の授業や新しい仕事で忙しかったり、選択肢に幻滅したりして、投票しないと決めることが多い。2020年10月に発表されたある調査によると、18歳から29歳の有権者参加率において、アメリカは分析した24カ国中、下から5番目まで落ち込んでいた。政治学者たちによれば、一般的に高齢者の投票率は若年層の投票率を20~30ポイント上回っているという。
確かなことは、この傾向には重要な例外があった。実際、2020年の研究発表直後、若者たちの投票率が高かったことが、ジョー・バイデンの大統領就任を後押しした。2020年の分析では、18歳から29歳までのアメリカ人の50%が大統領選挙に投票したことが判明し、これは2016年から11ポイント増加した。
アメリカの最も若い成人は、1971年の憲法修正第26条によって初めて選挙権を与えられた。彼らがその権利を十分に行使できない理由に対応することは、国家の民主政治体制を強化するプロジェクトにとって不可欠である。そして、この問題に真剣に取り組む政党にとって、若者はその連合を拡大する鍵にもなりうる。
1971年以前は、18歳に達したアメリカ国民には連邦選挙権はなかった。ほとんどの州は選挙権年齢を21歳に設定していた(ジョージア州は例外の1つで、1943年以降、南部の州は選挙権年齢を18歳に引き下げた)。しかしこのことは、若者が徴兵されることはあっても、いつ戦争に行くのか、いつ平和を維持するのかを誰が決定するのかを決める手助けをする能力がないことを意味していた。
アメリカの歴史を通して、それぞれ別の政党から選出された高官たちがこの矛盾を指摘し、改革を求めた。ドワイト・アイゼンハワー大統領は1954年の一般教書演説で、共和党員で元軍人指導者、つまり急進主義者のモデルではないのだが、連邦議会に対し、「何年もの間、18歳から21歳までの市民たちは、危機に際してアメリカのために戦うよう召集されてきた。彼らは、この運命的な召集を生み出す政治過程に参加すべきである。私は連邦議会に対し、市民が18歳に達した時点で投票することを認める憲法改正案を各州に提案するよう強く要請する」と述べた。
アイゼンハワー大統領の発言に対応して、複数の連邦議員たちが投票年齢を引き下げる憲法改正案を提出した。しかし、司法委員会の委員長であったミシシッピ州選出連邦上院議員ジェームズ・イーストランドをはじめとする、年齢引き下げ立法反対派は、連邦政府が投票に介入することに賛成せず、もちろんそれは、深南部(Deep South)で存在していた人種隔離制度を脅かすものであったため、これらの改正案はあまり前進することはなかった。
多くの問題がそうであったように、1960年代の混乱は議論を一変させた。1960年にミシガン大学で創設された「民主社会のための学生運動(Students for a Democratic Society、SDS)」は、当初、参加型民主政治体制(participatory democracy)の推進に触発された。SDSの創設者たちは、最初の公式声明で、投票こそが社会正義の鍵であると主張した。彼らは、「投票が、理論上投票権を持つ、現在未登録の大量の黒人によって戦略的に利用されれば、南部の指導者の質を低俗なデマゴギーから、まともな気質を持つ政治家たち(statesmanship、ステーツマンシップ)へと変える決定的な要因となるだろう」と述べた。
1960年代が進むと、彼らの心情はより強くなった。白人の若者たちは、選挙権を求める黒人たちの闘いに触発され、その運動に参加した。1964年夏、黒人の有権者を登録し、ジム・クロウ時代に敷かれた制限に抗議するため、多くの人々が命がけでミシシッピ州を訪れた。1965年3月7日、学生非暴力調整委員会(Student Nonviolent Coordinating Committee)の指導者ジョン・ルイスを含む非暴力的な選挙権デモ参加者たちに、アラバマ州の法執行当局が悪意を持って暴行を加えるのを、誰もが恐怖の目で見ていた。連邦議会が1965年投票権法を可決し、連邦政府が投票権を保護することを確実にしたとき、彼らは祝杯をあげた。
ヴェトナム戦争への反対運動も、アメリカの若者たちに選挙権年齢を18歳に引き下げる要求を強めるきっかけとなった。友人や家族が遺体袋に入れられて東南アジアから帰国する中、市民権の二分化した規則を容認することはますます不可能になっていった。1960年代の終わりまでに、公民権運動に関与していた主流の政治団体が加わり、選挙権年齢の引き下げを合法化するよう推進した。
若者の選挙権運動は、1960年代末には連邦上院の強力な支持を得た。マサチューセッツ州選出の連邦上院議員テッド・ケネディと連邦上院多数党(民主党)院内総務マイク・マンスフィールドは、連邦政府の行動の根拠として修正第14条を使おうと、1970年に投票権法に修正条項を加えた。
ケネディ連邦上院議員は当時、「明らかに、18歳から21歳の成熟度は、人口の全ての年齢層で異なるのと同様に、個人によって異なる。しかし、クラスとして、彼らは参政権について、責任を持って遂行するために必要な成熟度、判断力、安定性を備えていると私は信じている。彼らは投票する権利と、それが代表する社会への参加権を得る権利がある」と述べた。
オレゴン対ミッチェル事件という最高裁判決が、州や地方の選挙を規制する連邦政府の権限に異議を唱えた後、大統領になる野望を抱くハンサムな若手連邦上院議員だったインディアナ州選出のバーチ・ベイと、ウェストバージニア州選出の民主党上院議員ジェニングス・ランドルフは、1971年に選挙権年齢を18歳に引き下げる憲法改正案を連邦議会に提出した。
驚くべきスピードで、38の州が100日以内に、修正26条を批准した。ランドルフは、第二次世界大戦中に「銃弾を使うには十分な年齢だが、投票用紙を使うには若すぎると言うのは誰だろう」と尋ねたことで有名だが、この修正案は参政権の大義にとって大きな勝利であると宣言した。
改正案は存続したが、若い有権者は新しく獲得した権利を活用しないことが多かった。その責任の一端は若者自身にある。他の層のアメリカ人と同じように、18歳から21歳の若者たちも、この権利を当然のものと考えていたのだ。18歳から29歳のコーホートの投票率は、1972年の最高55.4%から2016年には約44%まで低下した。
しかし、アメリカの若者に全ての責任を負わせるのは、昔も今も間違いである。ラトガース大学の法律学教授ヤエル・ブロンバーグ教授は、憲法修正第26条の歴史に関する彼女の代表的な著書の中で、「世論が若い有権者を、政治的現実に無関心で無気力であると見なし、民主政治体制における彼らの重要な、そして強力な役割を否定することがあまりにも多い」と主張している。私たちは投票権の枠組みの中で若者の投票へのアクセスを考えることに慣れておらず、裁判所もそれに追随して、年齢差別のない投票へのアクセスを保護する強固な憲法修正第26条の法理を作り上げることができなかった。
実際、1970年代後半には、民主党も共和党も若年層の投票を優先していなかった。阻害要因の連鎖が続いていたのだ。高齢の有権者は投票回数も投票数も多い傾向があり、また国の人口が高齢化していたため、当選した当局者たちは、社会保障や持ち家など、退職者や家族を持つ中高年が関心を持つような政策課題を強調する傾向があった。無視されたと感じた若年層は、政党が関心を寄せているという信頼を失った。
1971年以降、若い人々はまた、連邦政府を蔑視し、公務員を怠け者で非効率的な存在として脇に追いやり、一方で民間市場を擁護する保守主義運動によって形成された時代に成人した。彼らはロナルド・レーガン大統領が政府を「それこそ問題(the problem)」だと切り捨てるのを聞き、それに従って行動した。
また、連邦議会は投票を容易にすることに失敗しており、これはあらゆる年齢のアメリカ人に影響を与え続けている。投票を容易にするための努力は、限られた成功しか収めていない。1993年の自動車投票法や、2020年の新型コロナウイルス・パンデミックによる不在者投票ルールの自由化など、前向きな動きがある一方で、停滞しているものもある。改革派は、全国的な選挙日の制定や、高校や大学を含むよりハイテクな投票所への投資といった改革を求め続けているが、ほぼ成果は上がっていない。
若者は年長者よりも投票率が低いかもしれないが、アメリカ全体としては投票箱に十分な人数が集まっていない。これは世代間の問題である。他の国々では、全体の投票率はずっと高く、2020年には80~90%以上に達している。ドナルド・トランプ前大統領と共和党は、不正行為という信用できない主張を阻止するために、より厳しい規制を課すことに焦点を当てているが、アメリカの本当の問題は、投票する人が少ないことだ。
重要なのは、構造的な要因も働いているということだ。社会科学者たちは、良い投票習慣を身につけるには時間がかかると主張してきた。加えて、若い有権者にとっての機会費用(opportunity costs)は高いことが多い。新しい仕事を休んだり、一時的に家を離れて暮らしているときに指定された投票所まで足を運んだりするのは難しい。若者はまた、社会運動やデモなど、政治に参加するための別の手段を見つける。
こうした障壁と政治指導者の「老年政治(gerontocracy)」の両方に直面し、若い有権者は選挙当日も頼りない。
今日、民主党が耳を傾けている証拠がいくつかある。ハリス・ウォルツ組の活気と世論調査の躍進は、若い有権者がようやくこの組に興奮を覚えたことに起因している。実際、ウォルツ知事の人気がTikTokやその他のソーシャルメディアを通じて盛り上がったことは、それを物語っている。今、テイラー・スウィフトのファンたち(Swifties)がその話題に拍車をかけているかもしれない。
重要なのは、両党がこの取り組みに参加する正当な理由があるということだ。若者票がどちらに流れるかを予測するのは難しい。1972年、民主党は新しい有権者がヴェトナム戦争に反対する民主党の大統領候補ジョージ・マクガバン連邦上院議員を支持するだろうと考えた。しかし、現職のリチャード・ニクソン大統領は、彼らにアピールするための努力を惜しまなかった。ニクソン大統領は30歳のケン・ライツを雇い、50州での活動を手伝わせた。ニクソンは確かにクールではなかったが、この年齢層の初投票者のほぼ半数から票を得た。
長期的には、選挙で選ばれた議員は、若者の投票数を減少させる構造的な阻害要因のいくつかに対処する必要があり、それが民主政治体制への参加促進につながるだろう。私たちはまた、この貴重な民主的権利を行使するために、全ての世代に対する障壁を低くし続けなければならない。
もちろん、民主党は、今度は歴史が自分たちの方向に進むことを期待している。 2024年の雰囲気が若者の投票率の上昇につながり、テイラー・スウィフトがその勢いを加速させることになれば、合衆国憲法修正第26条は、初の黒人および南アジア系女性の大統領選挙を生み出すのに役立つ可能性があり、新しい世代が異なる選挙を想像できることが裏付けられる。アメリカは国を束縛していた障壁から解放された。
※ジュリアン・E・ゼリザー:プリンストン大学歴史・政治問題教授。来年1月14日、コロンビア・グローバル・リポーツから彼の最新刊『パートナーシップを擁護する(In Defense of Partisanship)』を出版予定。ツイッターアカウント:@julianzelizer
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