
この地球最大の謎「生命は、どうやって生じた」のか…じつに、40億年もの生物進化から見えてきた「意外すぎる盲点」

有力説ながら、不明点も多い「化学進化説」
1920年代、オパーリンとホールデンは、生命の誕生を単純な物質から複雑で組織化された物質への化学進化によって説明しようとしたことを、かつての記事で述べました。この化学進化説はいまも、多くの研究者に大筋では認められています。しかしながら、その詳細については不明な点だらけです。

*参考記事:「生命は自然に発生する!」ありえないとされた説が息を吹き返して提唱された「生命の一歩手前」の衝撃の姿
そのため数回にわたるシリーズ記事でも、化学進化の道筋をより明瞭なものにするため、他の天体での化学進化を探ったり、もし「第2の生命」が存在すればそれと比較したりする必要があることを述べました。しかし、惑星探査には時間がかかるため、それらの情報が得られるのは、少し先のことになりそうです。
そこで今回から数回にわたって、現時点でも地球上で可能な、化学進化についての考察を深める手段をみていきます。
生物進化の研究は化学進化よりも先行していて、19世紀には本格化しました。生物進化は当初は「進化論」とよばれ、単なるアイデアとされてきましたが、その後、DNAの解析により進化の道筋がかなりはっきりとわかるようになり、さらに実験室では微生物を用いて実際に進化が起きる様子すら観察できるようなり、現在では「進化学」とよばれる学問分野として確立されてきました。
つまり、生物進化は化学進化の“先輩”なのです。拙著『生命と非生命のあいだ』では、地球における生物進化を振り返りながら、化学進化の理解に有益な材料を探していきましたが、今回は、“進化論”そのものに絞って、その歴史の中から、化学進化について何が学べるのかを探っていくことにしたいと思います。
なお、地球生物の進化を辿る経緯も非常にすスリリングな展開が繰り広げられますので、あわせて『生命と非生命のあいだ』もお読みくださると、さらに理解が深まることと思います。
では、生物進化についての考え方“進化論”の受容変遷をみていきましょう。
進化する「進化論」
1859年にダーウィンの『種の起原』が出版される以前にも進化論を唱えた人はいて、古くは古代ギリシャのアナクシマンドロスが、人間は海の中で魚から進化したと考えていました。
ダーウィンが画期的だったのは、進化のメカニズムとして「自然選択」を提唱したことと、進化は枝分かれをして進むと考えたことです(分岐進化)。
たとえば、用不用説を唱えたラマルクの進化論は、「キリンが高い木の草を食べようとすると首が伸び、それが子孫に伝わる」という、獲得形質は遺伝すると考えるものでした。また、ラマルクは、生物の進化は単純なものから複雑なものへと、直線的に進んだと考えました。まさに文字どおりの「進化」です(図「ラマルクの進化とダーウィンの“進化”」)。

ところが、ダーウィンの考えは、生物の個体間にはさまざまな差(変異)があるが、その中で生存していくのに有利な変異を持つものが自然によって選ばれ、その性質が子孫に受け継がれていくとするものでした。これが自然選択です。
そして、1つの種から別々の新たな種が生まれるという分岐進化も考えました。つまり、変異によって必ずしも、より複雑なものに変わっていくとは考えていなかったのです(図下のダーウィンの“進化”)。そのため『種の起原』の初版では「進化」とはよばず、「変化を伴う系統(descent with modification)」とよんでいましたが、のちの改訂版で「進化」という言葉も使うようになったのです。
近年まであまり知られていませんでしたが、ダーウィン進化にはもともと、生物種がより優れたものに変わっていくというニュアンスはありませんでした。そしてダーウィンは、ヒトもこの進化の流れの中に置いて考えました。しかし、このことが
とりわけ、保守派からのダーウィンへの批判を招くことにもなりました。
ダーウィンの死後、遺伝のメカニズムが科学的に解き明かされていきました。1901年には、オランダの植物学者ユーゴー・ド・フリース(1848〜1935)が、突然変異により進化が起きるという説を、ダーウィンの自然選択説に対抗するものとして提唱しました。これが人気を博したことにより、自然選択説は人気を失っていきました。
ダーウィン進化論についての誤解
ダーウィン進化論の自然選択は、「適者生存」と混同されることも多々ありました。これは英国の哲学者ハーバート・スペンサー(1820〜1903)が著書『生物学原理』で使いはじめた言葉で、人間社会は段階的に発展・進化していくという考えです。
社会は直線的によりよいものへと進化する、というところは、ラマルクの考えた進化にも似ています。
進化がこのようなものであるならば、進化の流れに適した者が生き延びていく一方で、当然、落ちこぼれる者も出てきます。
こうした適者生存の原理が、あたかもダーウィンの考えた進化の原理でもあるかのように曲解されて、帝国主義による植民地支配や人種差別にダーウィン進化論が悪用されてきた歴史があります。現在でも、資本主義の中でうまく立ち回ってお金を稼ぐ人が「適者」であるというように、社会的・経済的格差を容認するために使われているようです。
ここで、図「生命の樹から分子系統樹へ」を見てください(この図は、先の記事〈「生命誕生は陸上」説で生じる謎と「うまい具合のシナリオ」〉でも取り上げたものです)。ダーウィンの「生命の樹」でも、分子系統樹でも、生命の根元は一つのところから始まっていて、そこから枝分かれしながら広がっています。しかし、実はどちらの図にも上下関係は明記されていません。約40億年の生物進化の中で、最初の単細胞生物は分裂しながら生き延び、いまもさまざまな単細胞生物として存続しています。

その一方で、真核生物では細胞間で役割分担が進み、生殖をになう「生殖細胞」はある意味、単細胞生物と同様に40億年を生きつづけてきたともいえますし、それ以外の「体細胞」は、個体の生長や死とともに使い捨てられるようになりました。
そのように形を変えながら動物や植物として今日まで生き残っている生物種は数百万種あると推定されていますが、それらはいずれも、系統樹のさまざまな枝の先に位置する、進化の最先端にいる生物たちなのです。
進化とは、一直線に進んでいくものではない
進化というと、まず脊椎動物が進んだ動物たちとされ、そのなかで、魚類→両生類→爬虫類→鳥類→哺乳類と、直線的に進化をとげてきたと考えられがちです。でもこれは明らかに間違いですよね。哺乳類は鳥類から進化したはずはないのですから。
中生代は爬虫類の天下で、新生代は哺乳類の時代でしたが、哺乳類が爬虫類より優れているとはいえない面もあります。たとえば、陸上生活にどちらがよく適応しているかを考えると、体内の不要な窒素を、大量の水を使って尿素として排出しなくてはならない哺乳類よりも、水なしで尿酸として排出できる爬虫類や鳥類のほうが優れていますし、肺のしくみは哺乳類よりも鳥類のほうが、地上のいろいろな環境で生きていくうえでは便利そうです。
直近の霊長類からの進化も同様です。
ヒトはチンパンジーから進化したわけではなく、両者の共通の祖先から、チンパンジー(およびボノボ)とヒトに分かれました。ネアンデルタール人が進化して現生人類(ホモ・サピエンス)になったのではなく、両者は共通の祖先から分かれて共存していたのが、4万年前にネアンデルタール人が絶滅してしまい、結果的に現生人類のみになったとされています。
しかし私たちのDNAの中にはネアンデルタール人由来のものが1〜4%含まれていることがわかり、この業績でスウェーデンの遺伝学者(ドイツ在住)のスバンテ・ペーボ(1955〜)は2022年度のノーベル医学生理学賞を受賞しました。
生き延びたわれわれ現生人類のほうが、絶滅したネアンデルタール人よりも優れていると考えられがちです。しかし、実際にはどうだったかは断定できないでしょう。脳の大きさはネアンデルタール人のほうが大きかった、ともいわれています。

このように進化とは決して、適者生存の原理にのっとった、より複雑で優れたものに一直線に進んでいくものではないのです。そして、この「進化は、一直線には進まない、立体的で複雑なものだ」という考えが、化学進化に大きなヒントになりそうです。
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