じつは「サビない鉄」で支えられていた…「奇跡の修復」を遂げたノートルダム大聖堂。その復活劇中で発見された「驚愕の製鉄技術」

科学論
じつは「サビない鉄」で支えられていた…「奇跡の修復」を遂げたノートルダム大聖堂。その復活劇中で発見された「驚愕の製鉄技術」(志村 史夫)
あの時代になぜそんな技術が!? ピラミッドやストーンヘンジに兵馬俑、三内丸山遺跡や五重塔に隠された、現代人もびっくりの「驚異のウルトラテクノロジー」はなぜ、どのように可能だったのか? 現代のハイテクを知り尽くす実験物理学者・志村史夫さんによる古代技術に関するエピソード。

じつは「サビない鉄」で支えられていた…「奇跡の修復」を遂げたノートルダム大聖堂。その復活劇中で発見された「驚愕の製鉄技術」

“木組みの塊”

私は、拙著古代世界の超技術〈改訂新版〉の執筆時、石造建築物についてはかなり調べたのであるが、鎹(かすがい)が使われた例はまったく見出せなかった。

同書の姉妹編である古代日本の超技術〈新装改訂版〉で縷々(るる)述べたように、日本の五重塔に代表される古代木造建築物は“木組みの塊”ともよぶべきものであり、要所要所には「たたら鐵(てつ)」で作られた釘や鎹が使われている。

一般に、写真8に示すような五重塔内部の木組みを見ることは難しいのであるが、私が名実ともに日本一の名橋と思う錦帯橋(岩国)へ行けば、まことに美しい木組み(写真9)と鎹(写真10)を見ることができる。

【写真】青森青龍寺の五重塔内部の木組み、錦帯橋、錦帯橋の美しい木組みと鎹
写真8(上)青森・青龍寺の五重塔内部の木組み(筆者撮影) 写真9(下左)錦帯橋(岩国市提供)、写真10(下右)錦帯橋の美しい木組みと鎹(海老崎粂治錦帯橋棟梁提供 ※崎:正しくはつくりの上が「立」)

「木造」建築の技術を使っていた!

写真11は、2001年から2004年にかけて行われた、50年ぶりとなる錦帯橋の「平成の架け替え」のときに使われた、白鷹幸伯鍛冶によって鍛造された鎹と釘である。

【写真】錦帯橋に使われた鎹と釘
写真11 錦帯橋に使われた鎹と釘

白鷹鍛冶は、法隆寺金堂の修復や薬師寺金堂・西塔の再建などで名高い西岡常一棟梁の依頼によって、薬師寺西塔再建の際に7000本、回廊再建の際に6000本などの和釘を鍛造した鍛冶として知られる。

木造建築ならぬ歴史的石造建築で「建材の合わせ目をつなぎとめるために打ち込む両端の曲がった大釘」である鎹が「石材の合わせ目をつなぎとめる」ために使われるとは、私を含めて誰も思わなかったのではないだろうか。

そして、その実物を見た人もいなかったのではないだろうか。

クスコの石組み

石組みといえば、クスコの街に残る“カミソリの刃すら通らない”精巧な石組みがよく知られている。

スペイン人は侵略後、インカの建造物を破壊し、インカの石組みの上に彼らの教会などを建てているが、スペイン人とインカ人の石組み技術の差は、写真12に示すように歴然としている。

【写真】クスコに残る石組み
写真12 クスコに残る石組み(筆者撮影、『古代世界の超技術〈改訂新版〉』より)

スペイン人による増築の際には、石と石とをモルタルを使って接合したが、いまはそのモルタルがはげ落ち、隙間が空いてしまっている(図中の矢印)。

インカ人はモルタルなど使うことなく、接合面を互いに吸いつくような平滑面に仕上げる精巧な表面加工によって石と石を密着させたのである。

私が「古代世界の超技術」で驚いたのは、ストーンヘンジのサーセン石サークルの直立石と楣(まぐさ)石との接合に見られる“超技術”だった(古代世界の超技術〈改訂新版〉第2章参照)。

サーセン石サークルに使われた“超技術”とは、いったいどのようなものだったのか?

巨石を安定して立たせる「絶妙な技」

サーセン石サークルは、直径約30mの円周上に高さ約4m、幅約2m、重さ約25トンの直立石とそれらの上に載せられた重さ約7トンの横石(楣石)で構成されている。

現存するそれらの一部を写真13に示す。

1個の直立石は2個の楣石の端を支えることになるのだが、これら縦横3個の巨石が安定して立っていられるために、接合部には図1に示す絶妙な工夫が施されている。

ストーンヘンジ・サーセン石サークルの直立石と楣石、サーセン石・直立石と楣石との接合
写真13(上)ストーンヘンジ・サーセン石サークルの直立石と楣石(photo by gettyimages) 図1(下)サーセン石・直立石と楣石との接合

隣り合う楣石Aには畔(あぜ)の突起が、楣石Bの接合面には溝が作られており(図1(1))、これらが嚙み合うことによって一体化される。直立石の上に楣石が乗せられるとき、図1(2)に示されるように、楣石の下面に施された枘穴(ほぞあな)に直立石の上面に施された枘がはまることによって両者は固定される。

さらに、両者の接触面での滑りを防ぐために、直立石の上端は荒く加工され、楣石の下端には溝が施されている。

木の加工に長けた技術者集団

こうした枘と枘穴の組み合わせは、石工の技術というよりも、上述の木造建築の木工の技術そのものである。木の加工と比べれば、硬さや脆さが異なる石の加工は、必要とする道具のことを考えてみても一段と難しいだろう。

ストーンヘンジを建造した古代ブリトン人は、石の加工以前に木の加工に長けていた技術者集団であったことが窺える。

このように直立石と楣石は、木工技術を発展させた最先端の石工技術を駆使し、用意周到に組み立てられることで、安定したサーセン石サークルが実現したのである。古代ブリトン人が4000年以上も前に、このような石造技術を持っていたという事実にはただただ驚嘆するほかはない。

より高度な技術が要求される

ストーンヘンジに見られる木組みのような石組み技術が、他の石造建築物に使われた例がほかにあるのだろうか。私は寡聞にして知らない。建築史の専門家に教えていただきたい。

現在でも、身近なブロック塀などを見れば、石材と石材の接合、積み上げにはモルタルが使われるのが普通であるが、前述の写真12に見られるように、その接合は強固なものではない。

それでも、塀や壁のような単純な構造のものであれば通用しているわけだが、大きな力、風雪に耐えねばならない建造物の場合に用いることはできない。図1に示すような巧みな石組みなくして、ストーンヘンジのサーセン石サークルが4000年以上も持ちこたえることはできなかっただろう。

しかし、このような石組みは木組みと比べてはるかに厄介で、より高度の技術を必要とするのである。

鉄の性質

前述のように、ノートルダム大聖堂の焼け焦げた内部構造から、12世紀半ばの石造建設の際に石材を密着・固定させるために鉄製の鎹が使用されていたことが発見された(写真7)。

【写真】鉄製の鎹
写真7(前編より再掲) 鉄製の鎹(かすがい) photo by Photo: Maxime L’Héritier

鉄製の鎹で石材を固定、安定させることができるのであれば、その工程は図1に示される石組みと比べて格段に楽である。

しかし、ここに使われる鉄の性質は重要である。

鉄は酸素と水に触れなければサビないから、石材に打ち込まれる鉄には、日本の古代木造建築に使われたような良質の鐵(古代日本の超技術〈新装改訂版〉第6章参照)に求められたほどの条件は不要かもしれないが、すぐにサビたり腐食したりしてしまう現代の高炉鉄のようなものではダメだろう。

当時、どのような方法で、どのような鉄が作られていたのか、まことに興味深い。

いずれにせよ、石造建設の際、石材を密着・固定させるために鉄製の鎹が使用されていたという事実は、12世紀半ばのフランスに、それ相当の製鉄技術があったことも示しており、これまでの石造建設方法・技術を根本から考え直すほどのものと思われる。

一冊の本の貢献

フランスのマクロン大統領は2019年5月、火災で大きな被害を受けたノートルダム大聖堂を訪問し、涙ぐみながら「大聖堂は信仰に関係なく全フランス国民のもの」と発言し、即刻、世界に再建の協力を求めることを表明した。

それから5年8ヵ月が経過した2024年11月、マクロン大統領が修復を終えた大聖堂を視察し、翌12月から一般公開が再開された。

ノートルダム大聖堂は1789年のフランス革命以降、何度か破壊、略奪の憂き目にあったが、1864年に修復を完了させた経験を持つ。

この修復を強力に後押ししたのが1831年に出版されたヴィクトル・ユーゴーの“Notre-Dame de Paris”だったといわれる。同書の出版が、フランス国民全体にノートルダム大聖堂復興運動の意義を訴えることに成功し、1843年に政府が大聖堂の全体的補修を決定して、1845年に修復が開始され、1864年に完了したのである。

2024年夏にはパリ・オリンピックが開催された。

前回の大修復のとき、“Notre-Dame de Paris”が強力な後押しをしたように、パリ・オリンピックがCathedrale Notre-Dame de Paris(ノートルダム大聖堂)の完全修復を加速させてくれたのだろう。

本稿を閉じるにあたり、筆者に「ノートルダム大聖堂に使われていた鉄」のことを教えてくださった大竹慎太郎一級建築士に感謝の気持ちを捧げたい。

【写真】修復が進むノートルダム大聖堂
2024年4月、修復が進むノートルダム大聖堂 photo by gettyimages

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