中国の三つの勢力の権力闘争にも凄まじいものがありますからね

共青団(胡錦涛国家主席)
(中国共産主義青年団)は、中国共産党を指導母体とする青年組織です。中国共産党の予備軍とされ、将来の高級幹部を目指すエリートコースとされていますが、党内には共青団と対立関係にある派閥が存在します。それが上海閥や太子党です。
上海閥(江沢民国家主席)
経済政策において、共青団が貧富の格差是正や内陸部の発展を重視するのに対し、上海閥は発展至上主義を推進しているため、対立することがよくあります。
太子党(習近平国家主席)
太子党は、中国共産党の高級幹部の子弟の総称です。彼らは親の特権や人脈を活かして政財界で重要な地位に就くことが多く、共青団とは出身母体が異なるため、人事などを巡ってライバル視されることがあります。しかし、政治的な志向が必ずしも異なるとは限りません。
亡くなられた李克強氏も胡錦涛氏と同じ共青団でしたね。
(月刊「正論」1月号より)矢板明夫氏
中国の李克強前首相が十月二十七日、「突発の心臓病」のため死去しました。六十八歳でした。あまりにも若く、また突然の死去だったので、暗殺されたのではないかとの見方も広がっています。
結論から述べれば、暗殺かどうかは永遠に分からないはずです。中国当局は李克強死去に関する詳細な情報を伏せており、何を指摘されても「心臓病による突然死」で押し通すつもりのようです。ただ、習近平氏が殺したのだというウワサもまた永遠に残ることでしょう。李克強死去は大きな謎として、今後何十年にもわたって語り継がれることになりそうです。
半世紀余り昔の一九七一年、毛沢東の後継者とされていた林彪がモンゴルで墜落死するという出来事がありました。これは飛行機が撃墜されたのか、あるいは自殺だったのか、そもそもなぜ林彪はソ連を目指したのか、毛沢東にはめられたのではないか等々、未だに言われ続けています。李克強氏と同じく林彪も当時の中国ナンバー2でした。それだけに、毛沢東にとっては脅威でもあったのです。
林彪については毛沢東に対するクーデター未遂や、林彪の息子が反乱を起こそうとしたなど、中国政府がいろいろと発表しているものの、確たる証拠はありません。どうやら、李克強氏の死去も同じように後世まで疑問が残ることになるのでしょう。
さて、李克強追悼の動きが中国国内で広がりました。李氏は首相時代もほとんど何もさせてもらえず、目立った実績といえるようなものはありません。皆、習近平政権に対する不満と、李氏の死去に対する疑念、ひいては中国政治についての不安が一気に表面化したのです。
「半年前までナンバー2だった人物が、こんなにあっけなく死んでしまった。ましてや自分など、いつ消されてもおかしくない」と多くの人は考えている。この危ない国に生まれてしまった悲しみを、中国国民は李氏追悼の形をとって表明していたのです。
火のない所に煙は立たず
もともと李克強氏は胡錦濤前総書記の後継者で、「改革開放」をずっと唱えてきました。鄧小平以来の改革開放時代は、中国が急速に近代化し、人々が「明日の暮らしはもっと良くなる」と希望が持てた時代でした。しかし習近平氏が総書記になってから、「改革開放」という言葉は死語になりつつあります。胡氏までの経済重視の政権から、習氏になって政治・軍事中心の政権に転換したのです。そうした中で、改革開放路線を掲げてきた最後の政治家である李氏が亡くなってしまった。そのことを人々は悲しんだのです。
この文章は大変に興味深い内容ですね。
しかし、14億が住む国をまとめるには、多くの人々の意見など聞いていたらどうにもならなくなり、どうしても一党独裁で国を治めるしか方法が無いのかも知れませんね。



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