誰も書かないウクライナ「半自治軍」の出方に注目せよ!

9月24日付のThe Economistの記事「ウクライナが戦闘をやめたとき何が起きるか」はなかなか興味深い。そこで懸念されているのは、平時になったときの軍の暴走である。戦争を停止し、ロシアとの和平協定を結んでも、あくまでも戦闘を継続し、ロシアを敗北に追い込むことを求める勢力がウクライナ軍のなかに出てくる心配があるというのだ。
記事では、「半自治軍」(semi-autonomous armies)と表現される部隊が複数あり、それらは独自の資金、メディア、政治的資源と忠誠心をもっていると書かれている。こうした部隊に関する具体的な記述はないが、「同盟国から失望させられたという思いが、すでに西側諸国への憤りを煽っている」とか、「言語やアイデンティティをめぐる意見の相違は、ナショナリズムに拍車をかける可能性がある」と記されている。つまり、場合によっては半自治軍による抵抗や内戦すら暗示されている。
ところが、多くの日本人は、ウクライナ軍の内部に存在する半自治軍について何も知らないのではないか。例によって、テレビや新聞などのオールドメディアが報道しないからである。そこで、今回はウクライナ軍の「内部」について解説したい。「ほんとうのウクライナ」を知ってほしい。
ウクライナ「半自治軍」とは何か
大雑把に言うと、ウクライナは2014年2月、米国政府の支援を受けた過激なナショナリストによるクーデター後、ロシアによるクリミア併合やウクライナ東部のドンバス地域での分離・独立紛争の激化から、義務兵役制を復活させる。同年4月30日、大統領代行オレクサンドル・トゥルチノフは、各州に地域防衛大隊を設置すると発表した。これにより32個大隊と試験的な地域防衛旅団が編成される。これらは、正規軍の構成部隊だが、これとは別に志願兵による部隊も誕生し、ドンバスでウクライナからの分離・独立をもくろむ勢力と交戦した。その代表例が有名な「アゾフ連隊」である(詳しくは拙著『ウクライナ2.0』[65~66頁]を参照)。
ただし、いわゆる「志願兵大隊」の大半は2015年6月までに解散、あるいは公式の軍事組織に統合された。志願兵の解散・統合に実質的な改革が伴わなかったため、軍におけるソ連時代の慣行の継続は、多くの志願兵にウクライナの政治と国家官僚機構への幻滅をもたらしたとされる。
実は、この志願兵大隊の「遺伝子」がいまの半自治軍にまで受け継がれている。志願兵大隊は、国家に代わって戦うために地元有力者から報酬を得ていただけでなく、過激なナショナリズムというイデオロギーに駆られた戦闘員で構成されていた。このため、領土防衛に対する使命感は高く、彼らはたしかにロシアが支援する分離主義勢力の進撃を食い止めることに寄与した。だが、同時にウクライナの動員システムの欠陥(長期的な信頼できる軍人の育成不足)を露呈する。正規軍と志願兵大隊との「意識」や「能力」の差が両者の関係をぎくしゃくさせたのである。この結果、正規軍は志願兵を訓練不足で制御困難な過激派とみなす一方、志願兵らは軍のプロフェッショナルたちの戦闘能力に疑いの目を向けた。この相互信頼の欠如こそ、いまでも軍内部の対立としてくすぶりつづけている。
ウクライナの旅団の変遷
下表からわかるように、ロシアによる侵略がはじまって以降、2022年末までに、同年1月に比べて47個旅団が創設または幹部部隊から拡大された。うち30個は地域防衛旅団(25個が拡大、5個が新設)である。2023年もさらに26個旅団が編成された。ただし、国防軍の総兵力はわずか5万人の増加に留まった。これは、前年度に未使用のまま残された人的資源を活用して新たな戦術部隊が創設されたか、あるいは多くの部隊が完全な人員配置に至らなかったことを示唆している。
なお、ウクライナの旅団は通常、3個から6個の大隊と支援部隊で構成される。旅団は拡大または強化された連隊を意味し、2個以上の旅団が1個師団を構成することもある。旅団が、師団、軍団、陸軍などの編隊や連合に属さない場合、それは独立した旅団である。旅団は、陸軍、空挺部隊、海軍における主要かつ最大の戦術部隊だ。たとえば、ウクライナ軍の機械化旅団は約3000人の要員を擁しており、本部、司令部、機械化大隊3個、戦車大隊(強化、1小隊あたり4輌)など、さまざまな小規模集団に分かれている。
「半自治軍」の実態
今年3月に公表されたポーランド研究者による論文「岐路に立つ軍:ウクライナ国防軍の動員と組織の危機」には、「本格的な戦争が始まって以来、ウクライナはすべてのウクライナ国防軍部隊への供給と装備を独自に行うことができず、この点では外国のパートナーに依存している」と驚くべき一文がある。ウクライナや外国のボランティア・ネットワークが、とくに個人装備、医療品、ドローンなどの大きなギャップを埋めるために介入したというのである。具体的には、ペトロ・ポロシェンコ前大統領とヴィタリー・クリチコ・キエフ市長が組織した援助は、その規模と物資の一貫性からとくに重要である、と指摘されている。「彼らの努力によって、政治的派閥に属する後援部隊として事実上機能する旅団が数多く装備されるようになった」というのだ。つまり、こうした分散的な支援が半自治軍を支えていることになる。
同論文には、「西側諸国がウクライナ国防軍(DFU)に送る武器、弾薬、防衛物資の量をウクライナがコントロールすることはできないが、これらの物資を特定の旅団にどのように分配するかは、ウクライナの軍指導部が決定する」という記述もある。これは、特定の旅団がSNSやマスメディアを通じて、戦闘のなかで目立った活躍をしているかのような印象を軍指導部に与えることができれば、さまざまな軍備などを比較的に簡単に入手できることを意味している。ゆえに、「第3突撃旅団や第47機械化旅団などの精鋭部隊は、メディアプラットフォームを通じて積極的に自己宣伝を行っている」、と論文はのべている。
それだけではない。一部の部隊は、国の資源を比較的容易に入手可能なだけでなく、クラウドファンディングやボランティアの支援からも恩恵を受けている。つまり、第3突撃旅団や第47機械化旅団のような有名旅団は、軍備だけなく、資金的にも潤沢で、いわば、独立自営色を強めることができる。だからこそ、半自治軍と呼ぶに値するのだ。
さらに、各旅団内に募集班を設置する決定(2024年11月)と、物資・サービス供給担当将校の任命(その1カ月後)は、こうした格差を悪化させ、責任の分散化をさらに進めたという。募集と調達を効率化するための措置であったが、実際にはウクライナ国防省の責任を部分的に移転させ、法定任務の遂行に対する説明責任を希薄化させた。結果として、「起業家精神」を持つ指揮官が率いる恒常的な後援下にある部隊は、ますます自律性を増している。
キーパーソンの軍幹部
具体的にみてみよう。第3突撃旅団は、今年3月以降、第3軍団に改編され、引き続きアンドリー・ビレツキー(下の写真)が司令官を務めている。politanaliz.com.uaの情報によると、2014年3月、ビレツキーは四つの地域を管轄する「ライトセクター東部」勢力圏の代表に任命され、 ハリコフ、ドネツク、ポルタヴァ、ルハンスクの4地域を管轄していた。同年晩春までに、彼はアゾフ義勇軍大隊の基礎を形成し、9月、大隊は連隊レベルまで拡大され、 ビレツキーはその指揮官となる。
ロシアの本格的なウクライナ侵攻が始まると、アゾフ特殊部隊連隊を指揮し、2023年初頭には第3突撃旅団の司令官となった。そして、今年3月、ビレツキーは軍の指揮機構改革の一環として、ウクライナ軍第3軍団の創設を発表し、同軍団の団長にも就任した。
注目すべきは、彼は政治活動を頻繁に行ってきた点である。2006年、ウクライナ保守党から国会議員選に出馬したが落選する。2014年10月の議会選挙では、自薦で立候補し、当選を果たす。国会では国家安全保障・国防委員会の副委員長に就任したが、国会議員の中で最も欠席の多い議員の一人だったという。2016年末には、 新政党「国民軍団」の代表に就任する。2019年、彼は政党「スヴォボダ」(自由)から国会議員をめざしたが、同政党は最低当選基準を満たせなかった。
アンドリー・イェフェノヴィッチ・ビレツキー:第3軍団司令官(2025年3月~現在)。
こうした経歴から、ビレツキーが率いる第3軍団が今後、停戦・和平が進展する過程で、独自の動きをする可能性は捨てきれない。しかも、ビレツキーの権限は強化されており、その独自の判断が大きな影響力をおよぼしうるようになっている。ウクライナ軍の軍団改革がはじまって6カ月経った今年8月27日に公表された記事によると、ビレツキーは人事決定に関する広範な権限を付与された。これにより有能な指揮官の迅速な昇進と成功した管理モデルの適用が可能となったという。
もう一人の要注意人物
いわゆる半自治軍を率いて政治的影響力をもち合わせているもう一人の人物がいる。デニス・プロコペンコ司令官だ(写真を参照)。実は、彼はビレツキーと深いかかわりをもっている。下の写真にあるように、先に紹介した政党「国民軍団」の代表者をビレツキーが務め、その部下がプロコペンコであったのだ。
デニス・プロコペンコ・ウクライナ国家警備隊「アゾフ」第一軍団司令官
アンドリー・ビレツキー(中央)とデニス・プロコペンコ(右)は異なる道を歩んだ。
写真:国民軍団党のテレグラム・チャンネル
2014年の段階で、プロコペンコは アゾフ特殊部隊の一員として 対テロ作戦に参加し、小隊長、中隊長、大隊長となる。2017年にはアゾフ司令官に任命された。彼の指揮下の部隊はドネツク州マリウポリに展開し、ロシアの全面侵攻後、同市の防衛に従事した。鉄鋼キ企業アゾフスターリの工場での戦闘にも加わったが、2022年5月16日、プロコペンコが兵士の命を守り、街の防衛をやめるよう命令を受けたことが明らかになる。その後、彼とマリウポリを守る他のウクライナ兵はロシア軍に降伏した。
2022年9月、捕虜交換の際、プロコペンコと他の兵士たちはトルコに抑留された。ウクライナ兵は戦争が終わるまでトルコ領内に留まるはずだったが、2023年7月、彼らは捕虜交換によってトルコを訪問していたゼレンスキー大統領とともにウクライナに戻った。
2023年8月、プロコペンコが軍に復帰したことが明らかになる。彼は第12アゾフ特殊部隊旅団を指揮した。2025年4月、プロコペンコが第12旅団を含むウクライナ国家警備隊「アゾフ」第1軍団の司令官に就任したことが発表された。
プロコペンコとビレツキーとの関係に亀裂が生じたのは、マリウポリで「アゾフ」が包囲された際、マリウポリにいなかったビレツキーに代わって、プロコペンコが街の防衛を指揮したときだ。彼はウクライナのレジスタンスの象徴となり、注目を集めるようになる。
これに対して、ビレツキーはなぜ仲間とともにマリウポリにいなかったのかと問いただされ、彼の権威は失墜した。ただ、プロコペンコ率いるマリウポリ守備隊が捕虜となり、プロコペンコ自身と部隊の他の指揮官たちがトルコに送られた後、ビレツキーは自分の評判を回復する機会があることに気づく。彼は、忠実な「アゾフ」から第3突撃旅団を創設し、2023年5月からバフムト近郊で実施していた攻勢を背景に、積極的なプロモーションを開始するようになるのだ。こうして、彼の権限は再び増大した。
しかしその後、プロコペンコとその仲間たちはトルコから帰国し、アゾフをウクライナ国防軍内の旅団として再編し、現在は同名の軍団を率いるまでになっている。それだけではない。プロコペンコもまた政治的影響力を強めており、とくに大統領府との太いパイプを築いている(下の写真を参照)。
大統領府の寵愛を受けるプロコペンコ(左)。ゼレンスキー大統領(右)の奥に見えるのはイェルマーク大統領府長官。
写真:president.gov.ua
「反自治軍」の権力闘争
いま、「ウクライナが戦闘をやめたとき何が起きるか」と問われれば、半自治軍を率いているビレツキーとプロコペンコの動静が気にかかる。第3軍団も国家警備隊「アゾフ」第1軍団も、その規模は非公表だ。ただ、第3軍団については、第3突撃旅団、 第53、60、63機械化旅団のほか、兵站、医療、工兵、修理ユニットが追加されている可能性があり、軍団の総兵力は1万2000~2万人にのぼるかもしれない。あるいは、今年8~9月期の軍団の実際の規模は2万人から4万人の間で変動しているとの見方もある。
国家警備隊「アゾフ」第1軍団は、五つの主要旅団(第12旅団「アゾフ」、 第1大統領旅団「ブレビイ」、第14旅団「チェルヴォナ・カリナ」、第15旅団「カラ・ダグ」、第20旅団「リュバート」)からなり、2025年10月現在、第1アゾフ国家警備隊軍団の兵力は約8000~1万2000人と推定されている。
いずれにしても、その規模からみても、こうした半自治軍の行動について無関心ではいられない。こうした半自治軍の動きは戦時においても、戦後になっても無視できないはずだ。
心配なのは、戦中の現在、すでにこの二人の部隊間の関係が悪化している点だ。対立を決定づけたのは、今年6月13日、プロコペンコ側のアンドレイ・コリネヴィッチがビレツキー側の兵士たちに暴行を受けた、とフェイスブックに投稿したことであった。彼によると、暴行は彼の自宅近くで発生した。加害者たちは伸縮式警棒で彼を殴打したが、何も奪わなかったという。コリネヴィッチによると、この殴打事件の背後には第3突撃隊ビレツキー司令官がおり、襲撃犯は現在旅団に潜伏していると主張した。
先のポーランド論文では、最後の部分においてつぎのような指摘がある。「ウクライナ国防軍内のエリート部隊の責任分散とその結果としての自治は、これらの部隊が国内情勢に影響を及ぼすことのできるアクターとして、戦後の内部権力闘争で役割を果たすことを可能にし、長期的なリスクをもたらす」というのがそれだ。この論考の最初に紹介したThe Economistの指摘にあるように、半自治軍による自治が国内の権力闘争に直接関与する可能性を否定できない。
懸念される過激なナショナリスト
もっとも懸念されるのは過激なナショナリストが主たる構成員であると考えられる第3軍団およびその司令官のビレツキーだろう。最近起きた「スキャンダル」として、ウクライナ人作家ヴィタリー・カプラノフが最近リヴィウで起きたミサイル攻撃を、ロシア語を話す難民のせいにする投稿を行った出来事がある。
彼は、「個人的には、モスクワはリヴィウを、一部の防衛関連企業とその従業員が東部から移動してきた場所だと考えていると確信している」と書いたうえで、つぎの二つの事実から、関連性を探れというのだ。①リヴィウはロシア語話者の侵略を経験している、②リヴィウはロシアのミサイル攻撃の標的になっている――というのがその事実である。
この記述から、彼はロシア語話者という難民がリヴィウに押し寄せたことがロシアによるリヴィウ攻撃の原因であると主張していることがわかる。それは、ロシア語を話すという理由だけで嫌悪し、排除対象にしようとする人間、すなわち過激なナショナリストがいることを示している。おそらく第3軍団には同じような考えをもつ兵士が大勢いる。そうだとすると、彼らは、クリミアやドンバスのロシアによる奪取を事実上認めるような停戦・和平を決して許さないだろう。必要があれば、そんな決定を下したウクライナ政権そのものにも牙をむく可能性が少なからずある。第3軍団だけでなく、出自が似ているプロコペンコ国家警備隊「アゾフ」第1軍団司令官も追随するかもしれない。
このように考えると、ウクライナ戦争の停戦・和平は一筋縄ではいかないことがわかるだろう。だからこそ、本当はウクライナ国防軍の内部に分け入った報道や分析が必要なのだ。



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