株主資本主義的経営は、必然的にグローバル化、ボーダーレス化、貧富の差の拡大を推し進め、各国文化の衰退、社会の荒廃を招く。現代世界の各国民国家は、株主資本主義的経営から攻撃されているのである。
逆に「三方良し」を目指す経営は、各国の歴史、文化、社会を尊重し、国民国家を護る。その最も進化した形である「日本的経営」は、「日本の国柄」から生み育てられたもので、「日本の国柄」を護る手段でもある。
「日本の経営」が「日本の国柄」を護り、幸福な国民国家を築く。
日本の国柄、日本の経営
■1.『五箇条の御誓文』と日本的経営
上記にご紹介したように来週16日に、横浜で『日本の国柄 日本の経営』と題した講演をさせていただくが、本号ではその一部をご紹介する。ご好評をいただいている『世界が称賛する 日本の経営』のあとがきで次のように書いたが、この点を敷延したい。[a, p236]
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本書でとりあげた日本的経営の「三方良し」の理想とは、実はわが国建国の理想を事業面で語ったものだと言えます。日本的経営はわが国の建国以来の伝統に根ざしているのです。
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『五箇条の御誓文』は慶応4(1868)年、明治政府発足に当たって明治天皇が天地神明に誓約する形式で示された基本方針だが、それはわが国の建国以来の伝統的理想を、新しい時代に即した形で謳い上げたものだった。
すなわち、わが国の歴史伝統という共通の「根っこ」から伸びた政治面の表現が『五箇条の御誓文』であり、企業経営の面での方途が日本的経営である。両者は共通の「根っこ」から生まれているので、『御誓文』から日本的経営を読み解くことができる。
■2.「広く会議を興し、万機公論に決すべし」
[a]の冒頭で紹介した日本電産の創業者・永守重信氏は危機に陥った会社を50社以上も買収し、一人の首を切ること無く、再建してきた。その一例である三協精機は年間赤字287億円と倒産寸前だったのが、わずか一年で150億円の黒字企業に生まれ変わった。
永守氏の再建手法の一つが、買収した企業の従業員との徹底した話し合いである。1年間で昼食懇談会を52回開催し、若手1056人と話し合った。また25回の夕食会で課長以上の管理職327人と語り合った。これらを永守氏は「餌付けーション」「飲みニュケーション」と呼んでいる。
食事をしたり、一杯飲みながら、皆の不平不満を吸い上げ、解決していく。その上で、経営者として会社の将来の姿を説明する。社員が一致協力して進むべき方向を共有化するための手段であった。[a, p26]
「衆議公論」、すなわち、皆で議論をして公の結論を導くというのは、わが国の根強い政治的伝統である。古事記の「神集い」から、聖徳太子の17条憲法、鎌倉幕府の御成敗式目と続く政治伝統が、明治新政府の施政方針の冒頭に記されたのである。[b]
これが経営面でも、皆で議論をしながら、様々な事実と衆知を集め、全員が全社的な立場から何をどうすべきか議論する形となる。この衆議を通じて生まれた目指すべき姿、「公論」を皆が共有し、その実現への意欲を抱く。そのための「会議」「根回し」に時間をかける。
それに対して、株主資本主義的経営は、「上意下達」「トップダウン」が原則で、トップが決定したことを部下は実行するだけ。上が頭、下は手足に過ぎない。
株主資本主義的経営では決定は早いが、実行面での連携の齟齬や予期せぬ問題が起きて頓挫しやすい。日本的経営では決定には時間がかかるが、実行部隊が全体方向と各部の役割をのみ込んでいるので、動き出したら速く、問題を乗り越える能力も高い。日本電産が買収した企業が短時間で業績を回復しているのも、この原則を最大限に活用しているからであろう。
■3.「上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし」
「経綸」とは「国家を治めととのえること。また,その方策」と『大辞林』にある。企業においては「経営」と言い換えて良いだろう。したがって、この項は企業経営においては、全員が心を一つにして、活発な経営を行うべし、と読める。[a]で「日本的経営の体現者」として登場いただいた松下幸之助はこう述べている。
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また仕事をすすめてゆくについては、和親一致の協力が一番大切なことである。何としても全員心を一に和気あいあいのうちに、松下電器と、その従業員の向上発展と、福祉の増進を図らねばならない。[a, p181]
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世界大恐慌が日本を直撃して、松下電器も売上げがぴたりと止まり、製品在庫が工場に積み上げられたとき、幸之助はこう社員に伝えた。
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明日から工場は半日勤務にして生産は半減、しかし、従業員には日給の全額を支給する。そのかわり店員(社員)は休日を返上し、ストックの販売に全力を傾注すること。[a, p184]
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いよいよクビ斬りかと覚悟していた従業員たちは、思いも寄らぬ話に大喜びし、鞄に商品見本を詰め込んで、販売に飛び出していった。その心意気で二カ月後には在庫の山がなくなり、半日待機をしていた工員たちもふたたびフル操業を開始した。
株主資本主義的経営では、経営者は業績を上げることだけを考え、従業員は給料を貰うために命ぜられたことをやる。両者の「心を一つ」にする必要はない。
日本的経営においては、社長から平社員まで「三方良し」の実現を目指して、「心を一つ」にして考える。従業員は給料を貰うことだけでなく、「三方良し」を実現しようという心からのエネルギーを発揮する。どちらの経営がよりパワフルかは明らかである。
■4.「官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す」
日本理化学工業は粉の出ないダストレスチョークで3割のシェアを持つが、約50人の従業員の7割を知的障害者が占めるというユニークな企業である。
知的障碍者を雇い始めたのは、近隣の施設から二人の少女を一週間だけ作業体験をさせて欲しいと依頼されたのが発端だった。二人の少女の仕事に打ち込む真剣さ、幸せそうな顔に周囲の人々は心を打たれ、社長の大山氏に「みんなでカバーしますから、あの子たちを正規の社員として採用してください」と訴えた。
それから知的障害者を少しずつ採用するようになったのだが、大山氏にわからなかったのは、会社で働くより施設でのんびりしている方が楽なのに、なぜ彼らはこんなに一生懸命働きたがるのだろうか、ということだった。
これに答えてくれたのが、ある禅寺のお坊さんだった。曰く、幸福とは「人の役に立ち、人に必要とされること」。この幸せとは、施設では決して得られず、働くことによってのみ得られるものだと。[a, p59]
株主資本主義的経営では、企業は収益マシーンであり、社員はその歯車に過ぎないから、使えなくなった歯車は取り替えれば良い。
日本的経営は「売り手良し」も追求し、「売り手」の主役である従業員に生活の糧を与えるだけでなく、会社の使命に合致した志をそれぞれに持たせ、「その志を遂げ、人心を倦まざらしめん」とする働きがいのある環境を目指す。給料を与えるだけの株主資本主義的経営に比べ、日本的経営は従業員の生き甲斐・成長も含めた全人的な幸福を目指すのである。
■5.「旧来の陋習(ろうしゅう)を破り、天地の公道に基づくべし」
香川県の勇心酒造株式会社は安政元(1854)年創業の老舗で、現在の当主・徳山孝氏は五代目である。コメと醸造・発酵技術を結びつけて、アトピー性皮膚炎に効き、ステロイド剤の副作用がまったくない『アトピスマイル』を開発、大ヒットさせた。氏はこう語る。
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お米の場合、清酒や味噌、醤油、酢、みりん、あるいは焼酎、甘酒といった非常に優れた醸造・醗酵・抽出の技術があるんですけれども、明治以降、新しい用途開発がまったくと言っていいほどなされていなかった。つまり、近代に入ってから、お米の持つ力を日本人は引き出してこなかった。・・・
西洋のヒューマニズム・・・何事も人間を中心に「生きてゆく」という発想。だから、人間と自然との乖離がますます大きくなってきた。環境問題ひとつ解決できない・・・
一方、東洋には自然に「生かされている」という思想があります。私なんか、多くの微生物に助けてもらってきたわけで、まさに「生かされている」と思います。[a, p36]
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清酒や味噌、醤油などを作る醸造・醗酵は伝統的な技術だが、明治以降のわが国は近代西洋技術を学ぶのに忙しくて、新しい用途開発はされておらず、まさに「旧来の陋習」状態だった。その状態から、勇心酒造は自然の力を借りる、という日本古来からの伝統技術を発揮することで、新たな活路を見出した。
「天地の公道」とは、真正なる自然観、社会観と考えても良いだろう。自然においては「物体ない」、すなわち物の本来の姿を実現出来ないことを申し訳ないと思い、不良やムダの削減に力を尽くす。社会においては企業が成り立っているのは、従業員やお客様、世間の「お陰様」と考え、「三方良し」をさらに追求する。
株主資本主義的経営では利益がすべてであるから、利益のためには地球環境を破壊しようが、地域社会に悪影響を与えようが、従業員を犠牲にしようが、忖度しない。現代シナの企業がその最悪の例である。日本的経営の三方良しは、世間、顧客、従業員のためを考えるから、自ずから「天地の公道」に則ったものとなる。
■6.「智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし」
伊庭貞剛は住友家支配人で、明治38(1905)年、銅の精錬で発生する亜硫酸ガスの害を除くために、年間売上げの8割もの巨費をかけて、精錬所を瀬戸内海の小島に移転するも、風に運ばれた亜硫酸ガスが四国沿岸部を襲って失敗。
伊庭の後継者たちはあきらめず、亜硫酸ガスを無害化する技術を求め、ついにドイツで開発されたペテルゼン式硫酸製造装置を導入して、亜硫酸ガスから硫黄分を取り除いて硫酸を作り出す事に成功。さらに米国からアンモニア合成法の特許を買って、その硫酸から化学肥料の硫安を作り出す技術を完成させた。
これらの技術により、亜硫酸ガスの濃度は急速に低下し、昭和10(1935)年には0.19パーセントと、今日の大都市の火力発電所の排出濃度に近い水準となった。当時としては世界のトップレベルである。[a, p141]
「皇基」とは「天皇が国を治める事業の基礎」(『大辞林』)。天皇統治の目的は、民を大御宝として、その安寧を実現することである。日本的経営では、企業は社業を通じて「三方良し」を実現し、天皇統治を補翼する責務がある、考える。
「皇基」というとわが国だけの理想のように思えるが、世界の良くまとまった国民国家が持つ、それぞれの国民統合の原理と考えれば良い。(かつての)米国のアメリカン・デモクラシー、スウェーデンの福祉国家、等々。「三方良し」とは、それぞれの国の国民統合の原理を補翼する形で追求されるべきものである。
そして、より良い「三方良し」の実現のためには、常に新たな「智識」が必要である。その自主開発は怠ってはならないが、仮に他社、他国に優れた智識があれば、進んでそれを請う。その智識の応用を通じてさらなる改良を加え、新たな智識でお返しをする。
このように智識とは人類共通の財産であって、しかるべき対価のやりとりはしつつも、企業間、国家間で学び合うことで、人類全体の幸福が増進される。世界の各国各企業が「智識を世界に求め」なければならない。
株主資本主義的経営では、自社利益の最大化のために、独自技術の公開を拒んだり、あるいはしかるべき対価も払わずに他社の商品をコピーしたりする。こういう企業ばかりでは、人類の技術進歩は遅れ、人類全体の幸福増進も妨げられてしまう。
■7.国民国家を護る日本的経営、壊す株主資本主義的経営
「三方良し」、すなわち、「売り手」「買い手」「世間」にとって何が良いか、という価値観は、それぞれの国の歴史や文化によって異なる。たとえば、キッコーマンは醤油をアメリカ人の家庭にまで浸透させたが、肉を醤油につけて焼くテリヤキなどの料理を開発し、アメリカ人の嗜好に合わせて成功した。[a, p97]
このように「三方良し」を追求する企業は、その国の歴史文化から生まれた独自の「三方良し」とは何かを考えなければならない。したがって「三良し」を目指す経営には国境がある。
一方、株主資本主義的経営は、利益という世界共通の単一目的だけを追求するので、歴史文化などというお国柄は経営効率を阻害する「障壁」でしかない。かつてアメリカの自動車メーカーは、左ハンドル車を日本にそのまま売り込んで失敗した。株主資本主義的経営は利益追求のために必然的にグローバル、ボーダーレスを目指す。
ここから各国の文化、歴史、法制度などを、「自由化」「グローバル化」の美名のもとに破壊しようとする近年の政治動向が出てくる。単一の商品や製造・販売・管理方法で世界中で儲けるために、「貿易・投資自由化」「英語公用化」「契約万能主義」、「会計基準の世界標準化」などを推し進める。
また、「売り手良し」には従業員は含まれていないので、低賃金で、いつでもクビにできる労働力を求める。そのために「派遣社員化」「移民促進」「低賃金国への生産移管」「男女共同参画」などが推し進められる。これらが社会的にどんなリスクやコストを伴うかは考慮しない。
株主資本主義的経営は、必然的にグローバル化、ボーダーレス化、貧富の差の拡大を推し進め、各国文化の衰退、社会の荒廃を招く。現代世界の各国民国家は、株主資本主義的経営から攻撃されているのである。
逆に「三方良し」を目指す経営は、各国の歴史、文化、社会を尊重し、国民国家を護る。その最も進化した形である「日本的経営」は、「日本の国柄」から生み育てられたもので、「日本の国柄」を護る手段でもある。
一つの文化を共有した共同体である国民国家で暮らすことが、人間の幸せな生き方であるので、日本的経営をさらに推し進めていくことが、日本の国柄を護り、日本国民を幸福にする。それが世界の各国民に幸せへの道を指し示すことにもなる。これこそ我々日本国民が「大いに皇基を振起」する道であろう。
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