日本国の幹と根っこにつながる学問を

日本の文化
JOG(1435) 日本国の幹と根っこにつながる学問を
主義主張という「枝葉」の議論ではなく、それを生み出している情意という「幹」、歴史伝統という「根っこ」から考えよう。 ■転送歓迎■ R07.08.24 ■ 85,419 Copies ■ 9,248,860Views■ 過去号閲覧: 無料受講申込み: __________ ★★★ 本稿は、以下での伊勢雅臣の講演の予告編です ★★★ 一方的なお話だ…

JOG(1435) 日本国の幹と根っこにつながる学問を

 主義主張という「枝葉」の議論ではなく、それを生み出している情意という「幹」、歴史伝統という「根っこ」から考えよう。

■1.相手国の歴史や文化を一顧だにせず

伊勢: 花子ちゃん、この間からとりあげている国連女性差別撤廃委員会の「皇位継承を男女平等に」という勧告の、どこがおかしいのか、ようやくはっきり分かったよ。

花子: 私もなんかおかしいと感じていましたが、どこがおかしいんでしょう?

伊勢: 国連委員会の勧告は、日本政府が昭和60(1985)年に批准した女性差別撤廃条約に基づくものなんだね。この条約により、日本政府は男女平等の実現に向けた法制度の整備や報告書の提出などの義務を負っている。

  その条約で、「女子に対する差別」とは女子の「人権及び基本的自由」を害するものと定義している。だから、日本政府は「皇位継承は基本的人権ではないから、差別にはあたらない」と突っぱねた。これは論理的に正しい反駁だね。

花子: 確かに、皇位継承って基本的人権とは全く違いますよね。

伊勢: そういう正論も聞き入れない委員会に対して、日本政府は任意拠出金を委員会には使わせないようにした。筋の通った処置だと思う。この委員会の問題は、相手国の歴史や文化を一顧だにせず、とにかく「男女平等」という原理を金科玉条のように押しつける姿勢にある。

■2.西洋のひどい女性蔑視への反発から生まれた女性差別反対

伊勢: 女性差別反対、あるいは、フェミニズムというのは、もともとは欧米社会の伝統的な女性蔑視、差別をなんとか変えたい、というところから生まれた真っ当な主義だと思う。そこの根本が忘れ去られて、普遍的な原理として濫用されているのが今回の問題なんだ。

花子: 欧米では、そんなに女性差別がひどかったんですか?

伊勢: たとえば、キリスト教の結婚式では、バージンロードというのがあるよね。父親が花嫁の手を引いて、新郎に引き渡すという儀式だ。これは父親が「所有」していた娘を新郎に渡すという「所有権の移転」という考え方に基づく儀式だったんだ。

花子: えーっ、花嫁は財産扱いですか。全然、ロマンチックじゃないんですね。

伊勢: さらにおおもとを辿れば、旧約聖書ではイブは蛇に唆(そそのか)されて、知恵の実を食べ、アダムにも勧めた。その「罪」で、出産の苦しみという神の「罰」を与えられた、とされている。西洋のキリスト教社会は、こんなふうに伝統的な女性蔑視の社会だから、それを是正すべく、女性差別反対の運動が起こったのは、理解できるよね。

花子: なるほど、そういう歴史的背景から、女性差別反対の運動が生まれたのは理解できますが、日本の歴史伝統とはそもそも全く異なる、ということですね。

■3.日本では男女は対等だが違う役割で助け合い

伊勢: その通り、そもそも日本では西洋のような女性蔑視はなかった。最高神は天照大神という女性神だ。この天照大神は独裁者ではなく、弟の須佐之男命(すさのおのみこと)が高天原で大暴れをすると、責任を感じて、天の岩戸に閉じこもってしまう。

 そこで長老の男性神が天照大神にお出ましいただく作戦を考えたり、力のある男の神様が大神を引き出したりと、男性神が活躍している。女性神は神を祭る権威はあるが、実際の政治は男性神たちが行っている。

花子: なるほど、男女は対等だけど役割が違うという考え方なんですね。

伊勢: 室町時代の日本では、農民夫婦が嫁いだ娘に土地を譲り渡したという譲り状が残っている。そこでは所有者として夫婦の名前が書かれ、それを娘に贈るということで、女性も土地の所有権を普通に持てたことが分かる。

花子: そんな昔から女性にも財産権があったということですね。

伊勢: そうなんだ。我が国では、男女は対等だけど、体力、能力、性格が違うので、互いに役割分担して助け合ってやっていくという男女観が根付いている。だから「国会議員の半数は女性に」などという形式的な男女「平等」主義には、日本国民は納得できないんだ。

花子: そんなふうに社会伝統が違うのに、欧米の男女平等主義をそのまま持ち込むところに、今回の委員会のおかしさがあるということですね。

■4.主義という「枝葉」は、情意の「幹」、社会伝統の「根っこ」から育つ

伊勢: 女性差別反対というような「主義」が生まれたのは、「女性が人格として尊重されないのはおかしい、なんとかしたい」という西洋社会の「情意」からなんだ。こんな差別はおかしいという感「情」と、それをなんとか直そうという「意」志を合わせて、「情意」と言っている。

 樹木に例えれば、主義という枝葉は、情意という幹から生まれる。その情意は一国の社会伝統という根っこに支えられている。そういう根っこや幹、つまり「根幹」を無視して、主義という枝葉だけ別の国に無造作に持ち込むのはおかしい、ということだね。

花子: なるほど、木に例えると分かりやすいですね。根っこが社会伝統で、幹が情意、枝葉が主義ということですね。

伊勢: そう、たとえば共産主義は、西洋の悲惨な労働階級を救いたいという情意から生まれた。民主主義は、自分勝手に振る舞う王様から自分たちの権利を守ろうとする英国民の情意から生まれた。

花子: それぞれの主義という枝葉には、それが生まれた固有の幹と根っこがあるということですね。

伊勢: その通り。しかし近代日本は、西洋からいろいろな主義を学んだけど、それが生まれた幹や根っこは見ずに、枝葉ばかり真似をしていることが多いんだ。日本でのフェミニストや共産主義者は、その類いだね。

■5.日本の最高学府で日本を論じない政治学でよいのか?

伊勢: ここで思い起こしたのが、私が私淑した小田村寅二郎という先生が、昭和13(1938)年、東大法学部の学生だった時の出来事だ。小田村先生は、政治学を担当していた矢部貞治助教授を試験の答案で批判したんだ。矢部助教授は講義の第1時間目に「日本については論じない」と言ったんだね。

花子: えっ、日本の大学なのに日本について論じないんですか?

伊勢: そうだね。小田村先生は、試験の問題には答えず、その紙面を使って、東大という日本の最高学府の政治学で、「日本の政治学」を論じないのはおかしいではないか、と堂々と批判したんだ。

花子: 矢部助教授はどう答えられたんですか?

伊勢: 矢部助教授はその批判を真剣に受けとめて、「小生も無自覚のまま、西洋風の学風の中で、西洋政治原理を追求してきた」と答え、「ある程度、それを極めた上で、日本政治の探求に入りたい」と答えた。

花子: 個人的には誠実な回答のように思えますけど、、、

伊勢: その後、何度か書簡のやりとりがあった。小田村先生もその個人的心境には胸を打たれたが、日本最高学府での中心科目たる政治学の講義で、日本が出てこないのは、学問のあり方としておかしいと指摘した。分かりやすいように、意訳して伝えると:
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 自分が社会や国家という共同体の一員であるという実感を前提として、思想においても、生活においても、考え続けていく、という姿勢でなければ、正しい思想も生まれてくるはずがない、と思われるのであります。[小田村]
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花子: 国からも歴史伝統からも離れた個人という立場で、いくら主義主張の研究だけしても、正しい思想は生まれないということでしょうか?

伊勢: その通り。結局、矢部助教授の西洋政治原理の講義は、日本の国も共同体も離れた個人としての探求であり、そんな枝葉だけの学問では、日本の根幹、すなわち幹にも根っこにも繋がった真正の「日本の政治学」は生まれようがない。

 戦前の東大法学部と言ったら、日本のトップ官僚や政治家を生み出す最高学府だったけど、こんな枝葉だけの学問をしているから、国家観や歴史観に欠けた、頭でっかちの人材が生み出されてしまう、というのが、小田村先生の批判なんだね。

■6.自由や権利を先祖からの相続財産と考えるイギリス国民

花子: これは日本だけの問題なんですか?

伊勢: いや、フランス革命を批判した英国のエドマンド・バークが同様のことを言っている。彼はフランス革命の革命家たちが「人類普遍の自由・人権・平等」などと訴えた様子をこう批判している。
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 フランスの革命派諸氏は、自分たちが英知の光に満ちていると吹聴する。わが国の父祖たちは、そんなうぬぼれとは無縁だった。人間は愚かであり、とかく過ちを犯しやすい──これこそ彼らの行動の前提となった発想である。
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 そして、「愚かで、とかく過ちを犯しやすい」人間は、過ちを防ぐために、先祖からの歴史伝統を大切にすべきと訴えた。
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 イギリス人は、自由や権利を相続財産のように見なせば、『前の世代から受け継いだ自由や権利を大事にしなければならない』という保守の発想と、『われわれの自由や権利を、次の世代にちゃんと受け継がせなければならない』という継承の発想が生まれることをわきまえていた。
そしてこれらは、『自由や権利を、いっそう望ましい形にしたうえで受け継がせたい』という、進歩向上の発想とも完全に共存しうる。
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花子: バークは、自分をイギリスという国の一員として、しかも先祖から子孫へと延々と続いていく歴史伝統の一員として、捉えているのですね。

伊勢: そうだね。民主主義は、英国民が代々、国王との対立の中で育ててきた「自由や権利」を世襲財産のように大切に護り、さらによりよい形で子孫に伝えようとする努力の中で発展してきた。その幹や根っこを見ずに、「西洋政治原理」を探求しても、その本質も分からない。まして、そんな姿勢では日本の政治学も、生まれてこない、と小田村先生は指摘したんだ。

花子: なるほど、バークも小田村先生も、主義という「枝葉」を咲かせている情意という「幹」と歴史伝統という「根っこ」を見るべき、という主張は同じなんですね。

■7.日本の国家と歴史伝統に根ざした自分自身の学問を

伊勢: 小田村先生に学びながら、私自身は大学生の時に、ああ、これが日本人の情意と歴史伝統なのだな、と感じた体験をしたんだ。それは戦後、昭和天皇が全国の国民をお見舞いした戦後ご巡幸を学んだ時のことだ。昭和天皇は、次のように語られている。
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 この戦争により先祖からの領土を失ひ、国民の多くの生命を失ひ、たいへん災厄を受けた。この際、わたくしとしては、どうすればよいのかと考へ、また退位も考えた。しかし、よくよく考へた末、全国を隈無く歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちがらせる為の勇気を与へることが自分の責任と思ふ。
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JOG(136) 復興への3万3千キロ
「石のひとつでも投げられりゃあいいんだ」占領軍の声をよそに、昭和天皇は民衆の中に入っていかれた。
https://note.com/jog_jp/n/n05e5b6c07583
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 占領軍は、天皇が国民から石の一つでも投げられればよい、と許可したけど、結果はまるで反対。全国の国民は天皇を大歓迎し、ご訪問された土地では、国民の志気があがって、復興が大きく進んだ。この時の昭和天皇の御製(おうた)が、次のようなものだ。

 戦のわざはひうけし国民を思ふこころにいでたちてきぬ
 わざはひをわすれてわれを出むかふる民のこころをうれしとぞ思ふ
 国をおこすもとゐとみえてなりはひ(=しごと)にいそしむ民の姿たのもし

 天皇の「国民を思う心」、国民の「わざわいを忘れて天皇を出迎えるこころ」が共鳴している。そこから戦後復興のエネルギーが生み出された。ここに日本の真の姿がある、と私は直観したんだ。

タイトルなし.jpg

 その後、アメリカに留学したけど、世界一豊かな自由の国と自信たっぷりなアメリカ人に交じっても、私は天皇と国民が互いに思いやりで結ばれた「和の国」から来た、という自信があったから、余裕をもって彼らと付き合えたね。

 でも、周囲の留学生や駐在員は、「和の国」という日本の根幹は知らずに、ただアメリカの思想や文明という枝葉に圧倒されている。なんとももったいない事だと思った。これが契機となって、日本の根幹を一人でも多くの日本人に伝えようと、この「国際派日本人養成講座」を始めたんだ。今年で創刊28年になる。

花子: 確かに、私たちは多くの先人たちのおかげで今があるのに、そのことを知らないままでいるのはもったいないというか、先人に申し訳ないという感じもしますね。

伊勢: そうだね。こう考えると、やはり本当の学問とは、祖国の一員として、祖先から子孫への長いリレーの一走者として、その自覚をもって、自分自身はどう生きるのか、と問いかけなければならない。

花子: リレーの一走者という考え方は素敵ですね。でも、人それぞれ違いがありますよね?

伊勢: その通りだね。同じ日本という歴史伝統に根っこをもっても、人それぞれの個性、才能、経
歴が違う。そういう違いの中で、自分自身の「処を得る」生き方は何なのか。それによって、国家の一員として、長い歴史のリレーの一走者として、どういう務めを果たすのか。そういう問いかけが、より良い人生を導き、また祖国にもつながっていく。

 そういう学問をしていれば、日本の根幹も知らない外国人から「皇位継承を男女平等にすべきか」などという枝葉だけの問題提起がなされても、日本の根幹から考えて、返答ができるだろう。日本人一人ひとりが、そういう先人たちの情意と歴史伝統につながる学問をしてほしい。それが私の志なんだ。

花子: 私も、日本の歴史や伝統をもっと学んで、自分なりの生き方を見つけたいと思います。

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