
JOG(1466) 岡倉天心の『茶の本』 ~ 人間どうし、人間と自然の共生を茶道を通じて訴えた名著
■1.『茶の本』は欧米読書界の話題をさらった
伊勢: 花子ちゃん、岡倉天心の『茶の本』って知ってるかな?
花子: 名前くらいは聞いたことがありますけど、茶道を欧米人向けに紹介した本なんですか?
伊勢: いや、ただの茶道の紹介本じゃないんだ。1904(明治37)年、日露戦争が始まった頃、天心はボストン美術館で講演をしたんだ。会場は超満員だった。そこで天心は、日本人とは思えない流暢な英語でこう語った。
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西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。[岡倉、p19]
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花子: えっ、それって西洋文明への皮肉ですよね。アメリカ人の聴衆の前で、すごく勇気がいる発言じゃないですか?
伊勢: その通りだ。聴衆は息を飲んだに違いない。そして天心は続けてこう言った。
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もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。[岡倉、p20]
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花子: なんて、かっこいい! でも、当時の日本って日露戦争で勝って、欧米から注目されてたんじゃないんですか?
伊勢: そうなんだ。当時、日露戦争での日本将兵の勇気と規律ある戦いぶりは欧米人の賛嘆を呼んでいた。新渡戸稲造の『武士道』がその文化的背景を説明した書として、人気を博していたんだよ。
ただ、日本文化が勇気と規律の武士道だけでなく、平和な「芸術および理想」である茶道をも持っていることを天心は強調したんだ。ちょうど戦国武将たちが、茶の湯をたしなんでいたようにね。
この講演をもとにして、翌々年に『茶の本』がニューヨークで出版された。すぐに大きな話題をさらって、さらにフランス語、ドイツ語にも訳されて、天心の名声は欧米に鳴り響いた。西洋人が東洋の精神文化を理解するための「最高の一冊」として受け入れられたんだ。日本の思想家が、西洋で直接、西洋人に向けて発信して成功した画期的な本なんだ。

■2.西洋と東洋の両方に触れながら育った
伊勢: 天心の思想は、その生い立ちによるところが大きい。幕末の1862年、明治になる6年前に、横浜で生まれた。父はもともと福井の越前藩士だったが、藩主・松平春嶽の命により脱籍して、横浜で貿易商を営んでいたんだ。
明治2(1869)年、8歳の頃から米人宣教師の私塾で英語を学び始めた。英語を母国語のように操るバイリンガルの先駆けだよ。横浜では立派な西洋人ばかりでなく、不良外人もいたから、本だけで西洋を学んだ日本人のような観念的な西洋崇拝には陥らなかった。
しかも天心の母・つねは越前藩の誇り高い女性で、天心は幼少期から「自分は高貴な武士の血を引いている」という教育を受けて育った。ところがその母が、妹のお産で亡くなってしまう。そこで天心は寺に預けられ、漢籍を学ぶことになった。ここで、日本の伝統的な教養も身につけることになったわけだ。
花子: 小さい頃から、英語や西洋人社会に触れ、漢籍も学び、と、東洋と西洋の両方の文化に触れながら育ったんですね。
伊勢: そう、それが天心の後の欧米社会での活躍の基盤となる。その後、わずか14歳で東京大学、当時はその前身の東京開成学校に入学した。そこでお雇い外国人教師として着任したアーネスト・フェノロサと出会うんだ。フェノロサの通訳をしたり、日本美術の研究を手伝ううちに、日本美術の価値に目覚めていった。
19歳で東京大学を卒業すると同時に文部省に雇われ、美術行政で活躍した。しかし当時の日本は西欧化一辺倒の時代で、伝統的な日本美術を復興・革新させようとする天心の理想は理解されず、次第に孤立していった。
そこで天心は英語を用いて東洋文化の本質を欧米に伝えることを自らの新たな使命と考えて、43歳にして渡米したんだ。天心の生涯は、東洋と西洋、伝統と近代、その両方を深く知っていたからこそ成り立ったものだと言えるね。そして、その思想が『茶の本』に結実したんだ。
■3.西洋の装飾の自己中心主義
伊勢: 天心は茶道を通じて、東西文化の違いを語っているが、その中で、私自身、「まさに」と膝を打ったところがある。西洋の教会や貴族の屋敷に行くと、絵画や彫刻、柱や壁の模様が「これでもか、これでもか」と隙間なく並べられていて、うんざりしたことが何度もある。
それに対して日本の茶室は「余白」がある。生け花や掛け軸など、特別な美術品を一つだけ飾ることはあるが、その他のものはすべてその美しさを増すように選択・配合される。たとえば生け花を飾ったら、草花の絵を同時に飾ることは許されない。天心はこう書いている。
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人はいろいろな音楽を同時に聞くことはできぬ、美しいものの真の理解はただある中心点に注意を集中することによってのみできるのであるから。かくのごとくわが茶室の装飾法は、現今西洋に行なわれている装飾法、すなわち屋内がしばしば博物館に変わっているような装飾法とは趣を異にしていることがわかるだろう。
装飾の単純、装飾法のしばしば変化するのになれている日本人の目には、絵画、彫刻、骨董品のおびただしい陳列で永久的に満たされている西洋の屋内は、単に俗な富を誇示しているに過ぎない感を与える。
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伊勢: 「絵画、彫刻、骨董品のおびただしい陳列」では訪問者に優れた美術品の価値をじっくり味わってもらいたいというよりも、「俺はこんなにたくさんの美術品を持っているんだぞ」という、まさに「俗な富を誇示している」ように見えるよね。そういう西洋人の「俺が俺が」という自己中心主義に対して、天心はこう皮肉っているんだ。
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一個の傑作品でも絶えずながめて楽しむには多大の鑑賞力を要する。してみれば欧米の家庭にしばしば見るような色彩形状の混沌たる間に毎日毎日生きている人たちの風雅な心はさぞかし際限もなく深いものであろう。[岡倉、p53]
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伊勢: 流暢な英語でこう言われたら、アメリカの金持ちで、自宅をそのように飾っている人々もさぞかしドキッとしたことだろう。
■4.「余白」によって鑑賞者が想像力を発揮することができる
花子: でも先生、そもそもなぜ茶室には「余白」が必要なんですか?
伊勢: いい質問だ。天心はこう言っている。
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何物かを表わさずにおくところに、見る者はその考えを完成する機会を与えられる。かようにして大傑作は人の心を強くひきつけてついには人が実際にその作品の一部分となるように思われる。虚は美的感情の極致までも入って満たせとばかりに人を待っている。[岡倉、p41]
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花子: 「何物かを表わさずにおく」というのは、わざと余白を残すということですか?
伊勢: そうだ。たとえば茶室では、こんなふうに生け花が飾られることもある。
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晩冬のころ茶室に入れば、野桜の小枝につぼみの椿の取りあわせてあるのを見る。それは去らんとする冬のなごりときたらんとする春の予告を配合したものである。[岡倉、p75]
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花子: 野桜と椿のつぼみを一緒に飾るだけで、冬と春の両方を感じさせるんですね。
伊勢: そうだ。主人はただ「野桜の小枝につぼみの椿の取りあわせ」を提示するだけだ。そこから「冬の名残」と「春の予告」を思い描くのは、客自身なんだ。そのような主人と客との共同作業によって、一つの美の空間が完成する。そこには、主人と客との共に美を完成させようとする共同体があるんだよ。
花子: 客が想像力を発揮できる余白を残しておかないと、その共同作業ができないんですね。
伊勢: まさにそうだ。ごたごたとたくさんの美術品を隙間なく並べて「俗な富を誇示」するのは、主人の「俺が俺が」の個人プレーに過ぎない。そこには主人と客との共同体はない。天心が欧米人に伝えたかったのは、まさにそういう日本の共同体による芸術だったんだよ。
しかも、茶室では、武士も商人も身分は関係なかった。武士は茶室に入る前に、刀をはずさなければならなかった。茶室とは平等な人間どうしの平和的な付き合いの場だったんだ。
■5.花の命を大切にする
伊勢: 天心は、茶室に飾る生け花の花の扱いについても論じている。ここでも天心は東西の花の扱いの違いを鋭く指摘している。
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舞踏室や宴会の席を飾るために日々切り取られ、翌日は投げ捨てられる花の数はなかなか莫大なものに違いない。
・・・西洋においては、花を飾るのは富を表わす一時的美観の一部、すなわちその場の思いつきであるように思われる。これらの花は皆その騒ぎの済んだあとはどこへ行くのであろう。しおれた花が無情にも糞土の上に捨てられているのを見るほど、世にも哀れなものはない。[天心、p68]
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伊勢: 命ある花も、隙間なく並べられた装飾物の一つに過ぎず、しかも、しおれたあとは無造作に捨てられてしまう。ところが、茶道やそこから発展した華道での花の取り扱いはまったく異なる。
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わが茶や花の宗匠のやり口を知っている人はだれでも、彼らが宗教的の尊敬をもって花を見る事に気がついたに違いない。・・・
彼らは、もし絶対に必要の度を越えて万一(伊勢注: 枝葉を)切り取るようなことがあると、これを恥とした。・・・というのは、彼らの目的は花の生活の全美を表わすにあるから。[岡倉、p72]
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花子: 「宗教的な尊敬」というのは、花の命を大切にするということですか?
伊勢: そういうことだ。花を「生ける」のは「俗な富を誇示」するための主人の自分勝手な手段ではなく、花の命の美しさを十二分に表すこと自体が芸術の目的になっているんだ。だからこそ、茶室においては花は主人公として扱われる。天心はこう続ける。
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茶の宗匠が花を満足に生けると、彼はそれを日本間の上座にあたる床の間に置く。その効果を妨げるような物はいっさいその近くにはおかない。・・・花はそこに王位についた皇子のようにすわっている、そして客やお弟子たちは、その室に入るやまずこれに丁寧なおじぎをしてから始めて主人に挨拶をする。
・・・花が色あせると宗匠はねんごろにそれを川に流し、または丁寧に地中に埋める。その霊を弔って墓碑を建てる事さえもある。[岡倉、p72]
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花子: 花の命を本当に大切にしているんですね。
伊勢: そうなんだ。茶室においては、主人と客との協力による美の創造だけでなく、人間と自然との共同作業も行われているんだ。茶の儀式とは、人間同士の共同体だけでなく、人間と自然との共同体をも生み出すんだね。欧米でも園芸を好む人も多いけど、そういう人々にとっても、このように草花も人間との共同体の一員と見る見方は、大きな衝撃を与えただろう。
■6.天心が現代世界に訴えていること
花子: 西洋の装飾のあり方とか、自然との付き合い方で、天心はなぜ、こういう批判をしたのでしょうか?
伊勢: それに関して、天心はこんな言葉も残している。
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現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大な努力によって全く粉砕せられている。世は利己、俗悪の闇に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行なわれている。[岡倉、p26]
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花子: 「人道の天空が粉砕されている」って、どういう意味ですか?
伊勢: 天心がこの講演をしたのは、20世紀の初頭。当時の欧米社会は、植民地主義と帝国主義がその頂点を迎え、産業革命による植民地からの資源収奪や自国の労働者階級への搾取が国際社会を覆っていた。「人道」、すなわち人間の歩むべき道は、こうした「富と権力を得んと争う莫大な努力」に粉砕されている。人類はその中で真の幸福を見失ってしまっている、というんだ。
花子: 今の時代にも通じる気がしますけど、それで天心は、どうすればいいと言っているんですか?
伊勢: 面白いのはここだ。抜本的な改革が必要だと指摘しながらも、天心はそういう大言壮語には向かわない。それを待ちながら、「まあ、茶でも一口すすろうではないか」と、論調を一転させる。
花子: え、急にですか? でも、なんだかほっとするような言葉ですね。
伊勢: そうだろう。茶道の示す、人間どうしの共同体、人間と自然の共同体という叡知を忘れては、本当の改革にはならないからだ。
天心の訴えた茶道の理想は、西洋の物質主義、「俺が俺が」の自己中心主義、そして自然を支配すべきものとする人間中心主義を根本から批判し、それらを乗り越えていくための東洋の叡知を示したものだった。だからこそ、欧米社会での話題をさらうベストセラーとなったんだよ。
花子: 茶道の話が、実は近代文明への反省を迫る深いメッセージだったんですね。
伊勢: そうなんだ。今日、西洋でも人間の共同体や自然との共生を重視する思想が主流となりつつあるが、天心はその先駆者の一人だった。我々日本人は、そうした文化伝統の中で育った国民として、お手本を示す責務があると私は思っている。
花子: 茶道って、日本の文化というだけじゃなくて、世界へ「人間の道」を指し示したメッセージでもあるんですね。天心のことを、もっと知りたくなりました。
(文責 伊勢雅臣)



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