
恐竜の絶滅と偉大なダーウィンの間違いとは!?誰もが信じる白亜紀末の恐竜絶滅「隕石衝突説」はかつて異端の説だった!

恐竜絶滅の原因「隕石衝突説」はトンデモ!?
約6600万年前の白亜紀末に、地球に巨大な隕石が衝突し、多くの恐竜を絶滅させた。
今なら誰にも気兼ねすることなく、平気でこういう発言ができる。しかし、私が学生のころは、そうではなかった。そんなことを言ったら、怪しい説を信じるおかしな奴だと思われて、馬鹿にされたり冷笑されたりしたものだ。

これは誇張ではなく事実である。実際に私は、そういう場面を何回か見たことがある。しかも、これは日本に限ったことではないらしい。イギリスの古生物学者であるマイケル・ベントンによれば、イギリスやアメリカでも事情は同じだったようだ。
怪しい説は、たくさんある。たとえば、地球空洞説だ。地球は中身の詰まった球体ではなく、ゴムボールのように中空になっている、という説である。これは古くからある説で、ハレー彗星の軌道を計算したイギリスの天文学者、エドモンド・ハレー(1656‐1742)も、地球空洞説を唱えていたようだ。
20世紀の日本のある作家などは、空飛ぶ円盤は地球の内部からやってくるとまで主張していた。もう無茶苦茶である。
しかし、隕石の衝突によって恐竜が絶滅したという説も、かなりハイレベルな怪しい説だった。さすがに地球空洞説には少し負けていたかもしれないけれど、結構いい勝負だったはずだ。今ではちょっと考えられないけれど、隕石衝突説はそのくらいインチキ臭い説だったのである。
当時はまだ白亜紀末に巨大隕石が衝突した確定的な証拠が見つかっていなかったにしても、どうしてそこまでインチキ扱いされたのだろうか。証拠がないというだけなら、そこまで隕石衝突説を毛嫌いすることはないように思えるのだが。
生物相の変化は「天変地異」のせいなのか?
ジョルジュ・キュビエ(1769‐1832)は、有名なフランスの博物学者である。キュビエは進化を認めなかったので、進化学者であるラマルクとは折り合いが悪かった。とはいえ、キュビエは怪しい人ではない。きちんとした実証的な科学者である。そんなキュビエがどうして進化を認めなかったかというと、進化を実証できなかったからだ。

考えてみれば、進化を実証することは難しい。哺乳類や鳥などが進化するには長い時間がかかるので、私たちが一生のあいだに進化を目撃することは無理である。
その一方で、細菌などは進化速度が速いので、私たちでも進化を目撃することができそうだ。ところが、細菌は進化しても形があまり変わらないので、遺伝子などを調べないと進化したことがわからない。これはキュビエの時代には無理である。
ということで、進化を認めなかったからといって、キュビエを責めることはできないだろう。しかし、キュビエも化石はよく観察していた。そして、地層ごとに化石の種類が異なることに気づいていた。つまり、時代が異なると生物も異なることを知っていたのである。
キュビエはその理由を、壊滅的な天変地異のせいだと考えた(天変地異説)。ある地域に天変地異が起きると、そこに棲んでいた生物のほとんどが死滅する。その後、他の地域から生物が移住してきて、以前の生物と置き換わる。それが、地層ごとに化石の種類が異なる理由だというわけだ。
過去に起こったことは、いまの現象からわかる
一方、キュビエとは異なる考えをしていた人物として、ジェームズ・ハットン(1726‐1797)やチャールズ・ライエル(1797‐1875)がいる。2人ともイギリスの地質学者である。

ハットンは、「地球の過去の歴史は現在起きている現象から説明できる」という現在主義(斉一説(「せいいつせつ」ともいう)を主張した。これは「なるべく単純な仮説を採用する」という科学の方法を、地質学に適用したものと考えることができる。
「現在起きている現象で過去が説明できるなら、その説明を採用するべきで、それ以外の突飛な出来事をわざわざ想定する必要はない」というわけだ。
その後、ライエルはハットンの考えをもとに『地質学原理』を著し、現在主義を広く世に知らしめた。ただし、ライエルの現在主義は、ハットンの現在主義とは少し異なる。相反するわけではないのだが、ハットンの現在主義の一部を強調したものになっている。
「天変地異説」の凋落と「現在主義」
ライエルが強調したのは、漸進性だ。「地質現象は長い時間をかけてゆっくりと起きた」というのである。目に見えないほどゆっくりとした変化でも、膨大な時間が経(た)てば大きな変化になるので、天変地異のような突飛な出来事を持ち出す必要はないわけだ。
地球の歴史を現在主義によって理解しようとすれば、現在の地質現象をよく観察し、きちんと理解しなければならない。このような態度が、科学的な地質学を発展させることになったのである。

天変地異説が凋落していく一方で、現在主義は近代地質学の確固たる基礎となっていった。ただし、その際にライエルの『地質学原理』が大きな影響を与えたため、近代地質学の基礎となったのは、単なる現在主義ではなく、漸進説を強調した現在主義だったのである。
『地質学原理』の影響とダーウィンの「漸進説」
この『地質学原理』に大きな影響を受けたのが、チャールズ・ダーウィンである。
ダーウィンは20代のときに、イギリス海軍の測量船「ビーグル号」に乗り、ほぼ5年をかけて世界を一周した。このときに、さまざまな地域で見聞したことが、進化論の形成に重要な役割を果たしたことはよく知られている。

しかし、この航海で、進化論の形成に大きく寄与したことが、もう一つある。それが『地質学原理』である。ダーウィンはビーグル号に『地質学原理』を持って乗り込み、航海中に何度も読んだらしい。
後にダーウィンは、生物が「漸進的に」進化することを主張するようになるが、その「漸進的に」の部分はライエルの『地質学原理』から影響を受けた可能性が高い。
ダーウィンが唱えた「漸進的な進化論」は、少数の賛同者はいたものの、多くの人にはなかなか認めて貰えなかった。そして、20世紀の初めには、「ダーウィニズムは死んだ」とまで言われ、ダーウィンの漸進的な進化論は葬り去られる寸前であった。しかし、20世紀も半ばになると、メンデル遺伝学や集団遺伝学との絡みもあって、ダーウィンの漸進的な進化論は鮮やかに復権し、生物学の基礎と信じられるようになった。
恐竜絶滅の「隕石衝突説」の登場と漸進説の凋落
約6600万年前の白亜紀末に、地球に巨大な隕石が衝突し、多くの恐竜を絶滅させたのではないか。そういう論文が、ルイス・ウォルター・アルヴァレズ(1911‐1988)とウォルター・アルヴァレズ(1940‐)の父子によって発表されたのは、1980年だった。
その頃、有力だった説は、地質学では漸進的な現在主義であり、生物学では漸進的な進化論であった。アルヴァレズ父子の論文は、その両方を否定するものだったのである。地質学でも進化論でも「自然は一足とびに変化しない」という漸進論が有力だったので、隕石衝突説は冷笑をもって迎えられた。
有名な古生物学者からも、アルヴァレズ父子は進化をまるで理解していないとか、無知な地球科学者は高価な装置を使えば革命を起こせると勘違いしているとか、散々な言われようだった。

しかし、その後、隕石が衝突した巨大なクレーターが見つかるなど数多くの証拠が積み重ねられて、現在では隕石衝突説は揺るぎないものとなっている。
偉大なダーウィンの「間違い」とは
現在主義はよいのだが、漸進説を強調しすぎると、地震や噴火や隕石衝突などの、現在でも起き得る突発的な現象まで否定することになりがちである。また、進化論はよいのだが、漸進主義を強調しすぎると、突発的な現象によって起きる急激な進化まで否定することになりがちである。
アルヴァレズ父子の隕石衝突説は、地質学や進化論を、そんな漸進説の呪縛から解き放つ役目を果たしたといってよいだろう。
ダーウィンは偉大だった。進化のおもなメカニズムとして自然淘汰を発見し、生物の多様性を種分化によって説明した業績によって、歴史上もっとも偉大な進化生物学者であることを私は疑わない。

でも、それは、ダーウィンが完璧であることを意味するわけではない。間違ったこともたくさん言っている。
生物は「漸進的に」進化すると言ったのも、完全に間違っているわけではないけれど、例外がたくさんある説であった。



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