「種の絶滅」を考えたとき、個体の生のように、種にも「寿命」はプログラムされているのだろうか?

生命科学
「種の絶滅」を考えたとき、個体の生のように、種にも「寿命」はプログラムされているのだろうか? (更科 功)
とかく誤解されやすい「進化論」について、楽しく、わかりやすく語り尽くした『世界一シンプルな進化論講義 生命・ヒト・生物――進化をめぐる6つの問い』。今回は『生命現象と進化論』をテーマに「種の絶滅」について考えてみます。

「種の絶滅」を考えたとき、個体の生のように、種にも「寿命」はプログラムされているのだろうか?

種に寿命は存在するのか?

何年か前に、ある大学の先生がこんな発言をしていた。

「現生人類であるホモ・サピエンスが誕生したのは、20万年~30万年前と言われていますが、いずれ種としての寿命が来て、絶滅するときがきます。いろいろな理由がありうるのですが、その一つは生殖能力です」

また、マイケル・クライトンの『ロスト・ワールド――ジュラシック・パーク2』(上)には、こんなくだりがある。

「概して、ひとつの種の平均寿命は四〇〇万年だ。哺乳類の場合は一〇〇万年。そこでその種は滅んでしまう。つまりひとつの種は、数百万年の範囲で勃興し、繁栄し、滅びるというわけだな」(酒井昭伸訳・早川書房)

gettyimages

これらに限らず、「種の寿命」という言葉をときどき聞くことがある。でも、「種の寿命」なんて、本当にあるのだろうか。

たしかに私たち一人ひとりには、個体としての寿命がある。生きていればだんだんと老化して、いくら頑張っても100歳を超えた辺りで死んでしまう。このような寿命は、何らかの形で遺伝的にプログラムされていると考えられる。もちろん環境の影響も大きいだろうが、どんなによい環境であっても、150年とか200年とか生きることは難しいだろう。

それでは、種はどうだろう。種にも何かにプログラムされた寿命があるのだろうか。

オスがいなくなって絶滅する?

じつは、生殖能力の関係から種の寿命が決まると解釈されやすい説があって、前述の大学の先生の発言は、それを受けたものであろう。

哺乳類の性染色体の組み合わせは、オスがXYで、メスがXXである。つまり、Y染色体はオスにしかないのだが、このY染色体からは遺伝子が失われやすいことが知られている。

通常の染色体なら同じようなものが2本ずつある(片方は父親から、もう片方は母親から受け継ぐ)ので、片方の染色体が何らかの理由で欠損しても、もう一方の染色体を手本にして修正することができる。ところが、Y染色体は1本しかないので、欠損しても修復できない。そのため、遺伝子が失われやすいのだと考えられる。

およそ3億年前の哺乳類のY染色体には、約1500個の遺伝子があったと見積もられている。しかし、その大半は失われるか、機能しなくなっており、現在残っているのは約50個にすぎない。平均すると100万年で5個の遺伝子が失われたことになり、このペースでいくと、約1000万年後には、Y染色体の遺伝子がすべて失われてしまう。

その結果、男性がいなくなって人類は絶滅すると、この研究は解釈されることもあった。しかし、Y染色体の遺伝子がすべて失われても、オスがいなくなるとは限らないのである。

ヒトの染色体(男性)。全体で46本ある(National Human Genome Research Institute)

奄美大島に棲むアマミトゲネズミの性染色体の組み合わせは、オスもメスもXOで、Y染色体は存在しない。しかし、ちゃんとオスが生まれて精子も作られる。

その仕組みはまだよくわからないが、Y染色体の遺伝子がX染色体に移動したり、新しい遺伝子が失われた遺伝子の役割を担ったりしているらしい。生物には柔軟な可塑性があり、おそらくY染色体が消失しても、絶滅したりはしないだろう。

種の多様性の変化を表す式

話は変わるが、種の存続する期間に関係する式としては、種の多様性を表す式がある。地球全体で種の多様性(ここでは種の数)の変化を考えるときは、以下の式で表すことができる。

D1+出現種数-絶滅種数=D2

D1は現在の種数で、D2は次の時代の種数である。ある地域に限って考える場合は、外からの移入や移出も考えなければならないけれど、地球全体で考える場合は移入や移出は考えなくてもよいので、式はシンプルな形になる。

gettyimages

数十億年にわたる地球の歴史において、新しい種は絶えず出現している。新しい種が生まれるメカニズムは種分化だ。たとえば、ある種に属する一部の個体が、地殻変動で大陸から離れた島に隔離され、独自の進化を経て新しい種になる場合などである。

「生命の誕生」は1回だけだったとは限らない

新種の出現のメカニズムは種分化だと言い切れる理由は、現在の地球のすべての生物が、同じ共通祖先から進化してきたからだ。すべての生物がほぼ共通の遺伝暗号(DNAの塩基配列をアミノ酸に対応させる規則のこと)を使っていることなど、いくつかの証拠から、すべての生物が同じ共通祖先から進化してきたことは間違いないと考えられている。

つまり、すでに存在する生物とは別に、まったく新たに誕生した生物はいないということだ。ただし、これは現在の話で、初期の地球ではそういうこともあったかもしれない。現在の地球のすべての生物が、同じ共通祖先から進化してきたからといって、生命の誕生が1回だけだったとは限らないからだ。

初期の地球では、何回も生命が誕生したかもしれない。かつては、生物の系統が、独立にいくつも存在していたのかもしれない。しかし、もしそうだとしても、それらの系統は、過去のある時点で絶滅してしまった。

gettyimages

結局、現在まで生き残った系統はたった一つ、つまり私たちだけだったというわけだ。ということで、ここでは、私たちの系統だけを考えよう。その場合、新しい種が生まれるメカニズムは種分化しかない、ということになる。

「種分化」以外の新種出現のシナリオ

もっとも、さらに正確に言えば、新種の誕生のメカニズムとしては、種分化の他に種の融合も考えられる。たとえば、ヒトとチンパンジーは約700万年前に分岐したけれど、その後もおよそ100万年にわたって交雑を繰り返したらしい。

その間には、私たちとチンパンジーがふたたび同じ種に融合する可能性はあったに違いない。とはいえ、種分化が一瞬のうちに完了するケースは稀なので、こういうことはほとんどの種分化に、途中経過としてつきものだろう。

また、種の融合の例としては、シアノバクテリアが植物細胞(の祖先)の中に入って共生を始め、葉緑体になったケースなども考えられる。ただ、シアノバクテリアのある種の一部の個体が植物細胞と共生したからといって、そのシアノバクテリアの種が絶滅するわけではない。

共生しなかったシアノバクテリアは、そのまま存続するだろう。したがって、種数の増減にはあまり関わらないと考えられる。

gettyimages

この辺りは深く考え始めるとさまざまなケースが想定されるけれど、種分化に比べれば、種数への影響は少ないと考えられる。そこで、新しい種が生まれるメカニズムとしては、種分化だけを考えることにして、話を先に進めよう。

種の出現率と絶滅率

種は種分化によって増えていくが、その一方で、種は絶滅して減っていく。種は永遠には続かないのだ。そこで、地球の歴史をいくつもの時代に(できれば等間隔に)区切って、それぞれの時代を観察することによって、種が出現する割合や絶滅する割合を推定できる。
下の図、A期B期C期という3つの時代における、仮想的な化石記録である。

仮想的な化石記録に見る種の出現と絶滅(図版作成:酒井春)

A期が始まった時点では5種が存在したが、その後A期が終わるまでの間に、新しく4種が出現(白丸)し3種が絶滅(黒丸)する。

B期では、6種が出現し4種が絶滅する。

C期では、2種が出現し5種が絶滅する。

ABC期における平均出現率は4(種/期)で、平均絶滅率も4(種/期)となる。
また、出現数と絶滅数の合計を、ターンオーバーという。

図のそれぞれの時代のターンオーバーは、A期は7、B期は10、C期は7(種/期)である。このターンオーバーは、分類群によって違いがあることが知られている。

たとえば、三葉虫のターンオーバーはかなり高い。これは、平均的に考えて、三葉虫のそれぞれの種は、ごく短い期間しか存続しなかったことを意味する。一方、二枚貝や巻貝のターンオーバーは低いので、それぞれの種が比較的長く存続したことになる。

三葉虫(レドリキア目パラドキシデス亜属、モロッコ・中期カンブリア紀)

それでは、種の寿命について考えてみよう。分類群によってターンオーバーに違いがあるということは、種に寿命があるということだろうか。

「種の寿命」プログラムは発見できていない

「種の存続期間」のことを「種の寿命」というのであれば、ある程度は「種の寿命」は決まっているといえるかもしれない。しかし、一般的には、両者のニュアンスはかなり異なるのではないだろうか。

「種の存続期間」が長いというのは、単に、長期間にわたって形態や性質が変化しないで代々生き続ける、ということだ。そのためには長期間にわたって安定した環境に棲んでいることが必要だろう。環境が安定していれば、絶滅する危険も少ないし、自然淘汰は生物を変化させないように働くからだ。

しかし、「種の寿命」といった場合は、種が存続する期間が生物自身に何らかの形でプログラムされている、といったニュアンスがある。

ダーウィンのメモ(gettyimages)

たとえば、私たちヒトの「個体」の場合は、どんなに素晴らしい環境で暮らしていても、残念ながら150年は生きられない。それは、(DNAも含めて)私たち自身の体に、何らかの形でプログラムされているからだと考えられている。

だが、「種の寿命」に関しては、そういうプログラム的なものが見つかっていないだけでなく、想定することさえ難しいのである。たしかに「種の存続期間」については、分類群ごとに大ざっぱな傾向はあるようだ。しかし、それを「種の寿命」と呼ぶのは、やはり不適切だろう。

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました