
習近平は動かず。トランプの「ハーバード大留学生資格取り消し」という人材確保の好機に中国が手を出さぬ奇妙

5月22日、突如としてハーバード大学の留学生受け入れ資格の取り消しを発表したトランプ政権。これを受け、東京大学をはじめ各国の名門大が行き場を失った留学生への学びの場の提供を表明していますが、中国は目立った動きを見せていないのが現状です。今回のメルマガ『富坂聰の「目からうろこの中国解説」』では著者の富坂聰さんが、中国政府が「露骨な動き」を取らない理由を解説。さらに習近平政権がこれまで着々と進めてきた人材獲得計画を詳しく紹介しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:トランプ政権の前に立ちふさがる司法の壁との闘いが中国に吹かせる追い風
トランプのオウンゴール。司法の壁との闘いが中国に送る追い風
関税をめぐる交渉が続く中、トランプ大統領と司法の確執が国内で激しさを増している。
一つは恩赦だ。
話題は、詐欺の共謀で2022年に長期実刑判決を受けた元リアリティー番組出演者の夫妻、トッド・クリスリー受刑者とジュリー・クリスリー受刑者への恩赦とフロリダで医療保健会社を経営する男性のポール・ウォルツァックのケースだ。
後者は母親が会費100万ドル(約1億4,400万円)のマールアラーゴ(トランプ大統領の私邸)の夕食会に出席したことが恩赦につながったとされた。
ウォルツァックのケースを詳報した米公共テレビPBSの番組に出演した元司法省で恩赦を担当したリズ・オイヤー氏は、ウォルツァックが刑務所に入る数日前に恩赦されたことを批判し、こう続けた。
「判事は判決を言い渡す際、『大富豪だからといって刑務所を免れられない。そのメッセージを送りたかった』と述べています。従って今回の恩赦は大富豪と一般人の説明責任は同じではなく、司法制度が別々になっていて、政治力と富のある者は特別扱いされると広く知らしめたのです」
上級国民の特権を可視化してしまったわけだ。
もう一つの司法をめぐる対立はハーバード大学の留学生受け入れ資格の取り消し問題だ。この問題でハーバード大学はトランプ政権を提訴している。
トランプ大統領は留学生を全体の15%程度に制限すべきだと言及。その理由としてアメリカの学生が学びの機会を奪われていることを指摘した。
この主張が正しいのか否かは判然とはしない。だが突然資格を奪われることになった留学生たちには世界各国・地域からラブコールが集中した。
アメリカを目指して集まった優秀な人材がこれまで米国企業に供給されて経済を支え、研究やイノベーションに貢献してきたことは誰も知る事実だ。
当然、行き場所を失った留学生には西側先進国をはじめ多くのニーズがある。
アジアでは東京大学がいち早く受け入れに名乗りを上げ、香港の8つの大学も受け入れに積極的に動いた。
それにしても今年4月の相互関税の発表以降、トランプ政権が打ち出す政策は、米中対立という視点から見ると中国に追い風を吹かせるものばかりが目立つのなぜか。
ジャネット・イエレン前財務長官から「自傷行為」と批判された関税政策に続き、ハーバード大学留学生の資格取り消しは、「頭脳流出」を招いている。
学術界には明らかにトランプ2.0を警戒する空気があり、4月にはシンガポール華字メディアの『連合早報』が、「中国系科学者の帰国ブームが再び起きている」と現在の流れを報じている。
アメリカ学術界の中国系研究者が中国との関係を疑われ取り調べられた「チャイナ・イニシアチブ」が2018年に始まり、中国系研究者がアメリカを離れる小さな流れが起きたが、ここにきてそれが大きな流れを形成し始めたという。
海外の高度人材にとって多くの面で魅力的な場所である中国
だが、今回の騒動中で中国は目立った動きをしていない。外交部報道官は自国の留学生の権利を形式的に主張しただけだ。
中国の現状はそうした人材を求めてやまないはずなのに、なぜだろう。
日本では中国の若年層失業率の高さが話題だが、一方で最先端分野の高度人材は常に不足している事実は取り上げない。
日本と同じくサービス産業や製造業の一部でも人手不足は深刻だ。具体的にはドローン操縦士やサイバーセキュリティ関連技術者、基盤モデル・自然言語処理(NLP)アルゴリズムエンジニアなどだ。
ハーバード大学で行き場を失った優秀な人材ならば、それこそ大歓迎である。
しかし、そうなってはいないのには理由がある。
いま現在、すでに多くの人材の呼び込みに成功していて、そこに注目されることはかえって得策ではないからだ。
先に触れた「チャイナ・イニシアチブ」をトランプ政権が始めたきっかけの一つは、まさに習政権が進めた人材獲得キャンペーン「千人計画」をアメリカが警戒したためだ。露骨な動きはかえってマイナスに作用しかねないのだ。
付け加えてて言えば、中国は人材獲得という意味では、長期的かつ戦略的に行ってきていて、短期的な対応は必要ではないのだ。
その柱は大別して三本。一つは国内での人材育成。二本目が海外への留学。そして三本目が「千人計画」に代表される高度人材の中国国内への勧誘である。
それぞれに特徴のある戦略だが、第二、第三の戦略で強調しておきたいのは、それぞれに問題を抱えていたことだ。
例えば海外留学では当初、留学先で認められた中国人の多くが帰国しないという悩みがあった。事実、多くの優秀な学生がアメリカで学び、そのまま永住権を取って留まった。そうした人材が米経済に貢献したのは前述したとおりだ。
そうした空気が変わるのが北京オリンピック以後で、そこから2010年代の前半まで第一次帰国ブームが起きた。
さらに三本目の柱だ。海外人材の獲得はすでに80年代から中国の課題だったが、中国が提示できる報酬や生活環境がネックとなり思うようにならなかった。
これが好転したのもやはり北京オリンピック後だ。主に退職前後の人材をターゲットにして一つの流れが生まれた。
現状、海外の高度人材にとって中国は多くの面で魅力的な場所だ。
今年1月24日、環球網は「海外の人材が中国に流れる情報がなぜネットを席巻するのか」というタイトルで記事を配信している。そこではノーベル物理学賞を受賞したフランス人や日本の深谷賢治氏が中国で教鞭をとっていることが紹介されている。
つまり着々とやってきたのだ。



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