なぜシリアのアサド政権はあっさり崩壊したのか。日本では報道されない第三次世界大戦の兆候=高島康司

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なぜシリアのアサド政権はあっさり崩壊したのか。日本では報道されない第三次世界大戦の兆候=高島康司 | マネーボイス
シリアのアサド政権があっけなく崩壊した。崩壊のスピードはあまりに早く、これを予測できた専門家はいなかった。実はこの問題を深堀りすると、第三次世界大戦の引き金になってもおかしくないような事態が見えてくる。(『』高島康司) 【関連】今ここが人工知能「人間超え」の出発点。米国覇権の失墜、金融危機、大量辞職…2025

なぜシリアのアサド政権はあっさり崩壊したのか。日本では報道されない第三次世界大戦の兆候=高島康司

シリアのアサド政権があっけなく崩壊した。崩壊のスピードはあまりに早く、これを予測できた専門家はいなかった。実はこの問題を深堀りすると、第三次世界大戦の引き金になってもおかしくないような事態が見えてくる。(『 未来を見る! 『ヤスの備忘録』連動メルマガ 』高島康司)

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※本記事は有料メルマガ『未来を見る! 『ヤスの備忘録』連動メルマガ』2024年12月13日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。

あっけなく崩壊したシリアのアサド政権

12月8日、内戦が続きながらもシリアの大部分を掌握していたアサド政権が崩壊した。ジャウラニという人物が指導者の「シリア解放機構(HTS)」を中心とした反政府勢力が首都ダマスカスを制圧し、アサド大統領は後ろ盾となってきたロシアに亡命し、政権はあっけなく崩壊した。

これを受けて、反政府勢力を主導した「シリア解放機構(HTS)」のジャウラニ指導者がダマスカスのモスクに姿を見せ、大勢の人々を前に演説した。この中でジャウラニ指導者は「この勝利はイスラム国家全体の歴史の新たな1ページでこの地域にとっての転換点だ。シリアは北から南、東から西まで11日間で解放された。私たちは偉大な勝利によって13年間に及ぶ苦しみが癒やされるのをこの目で目撃した」と述べた。

また、国営テレビを通じて公共施設は政権移譲されるまで前首相の管理下におかれると宣言し、秩序ある政権移譲が行われるよう国民に融和も求めている。

アサド大統領は亡命したものの、シリア政府は国内に存続している。ジャラリ首相は早期に政権移譲を行う考えを示した。これまでのところ大きな混乱は伝えられておらず、国外に避難していたシリア人が帰国する動きも広がっている。

だが、反政府勢力を主導した組織、「シリア解放機構(HTS)」がアメリカでテロ組織に指定されていることから、平和的な政権の移譲が実現するかが焦点になっている。

ジャウラニは「IS」系組織出身

ちなみに、アサド政権を崩壊させた「シリア解放機構(HTS)」は非宗教的な世俗主義の組織ではない。指導者のアブー・ムハンマド・アル=ジャウラニはシリア人ではない。サウジアラビアのリアド出身のイスラム原理主義者だ。

アル・ジャウラニは、シリアの「アルカイダ」の関連組織、「アルヌスラ戦線(ANF)」のリーダーである。2017年1月、「ANF」は、他のいくつかのイスラム原理主義武装集団と合併して、「ハイアト・タハリール・アル・シャーム(シリア解放機構)(HTS)」を結成した。アル・ジャウラニは「HTS」のリーダーではないが、現在も、「アルカイダ」系組織として「HTS」の中核をなす「アルヌスラ戦線(ANF)」のリーダーを務めている。

2013年4月、アル・ジャウラニは、「アルカイダ」とそのリーダー、アイマン・アル・ザワヒリに忠誠を誓っている。アル・ジャウラニのリーダーシップの下、「アルヌスラ戦線(ANF)」はシリア全域で複数のテロ攻撃を実行してきており、しばしば民間人を標的としている。2015年4月、「ANF」はシリアの検問所からクルド民間人約300人を拉致したのち、解放したと報告されている。2015年6月、「ANF」は、シリア、イドリブ県カルブ・ロゼ、ドゥルーズ村における住民20人の大虐殺に対し、犯行声明を出している。

このように「HTS」の指導者、アル・ジャウラニは「アルカイダ」系のイスラム原理主義勢力、「アルヌスラ戦線(ANF)」のリーダーだ。また、アル・ジャウラニはもっとも残虐な「IS(イスラム国)」の指導者、バグダディの副官だったとの情報もある。米国務省は、アル・ジャウラニの情報提供に対し、最高1000万ドルの報酬を提供している。

このようにアル・シャウラニは札付きのテロリストであったが、アメリカの「CNN」などの主要メディアは、シャウラニは反省し、いまはイスラム原理主義を手を切り、世俗的な指導者として、シリアを統一する計画だと報じている。

だが、スイス参謀本部のジャック・ボー元大佐によると、「シリア解放機構(HTS)」及びこの組織と協力関係にあるイスラム原理主義の武装組織には、シリア人はほとんどいないことが分かっているという。メンバーの多くは、サウジアラビア、イエメン、アフガニスタン、アゼルバイジャン、タジキスタン、アルバニア、ウズベキスタン、ロシアのチェチェン共和国などの出身だ。「アルカイダ」や「アルヌスラ戦線(ANF)」と同じように、「シリア解放機構(HTS)」は、イスラム原理主義の国際的テロ組織だった。

さらにジャック・ボー元大佐によると、「シリア解放機構(HTS)」はアメリカが資金を提供しており、ウクライナ軍特殊部隊が訓練していたという。

このようなイスラム原理主義の多国籍勢力で結成されている「HTS」ならば、普通であればガザで「ハマス」を支援してイスラエルと戦うのが自然である。しかしそうはなっていない。シリアのアサド政権の打倒に動いたのだ。ちなみに、「アルヌスラ戦線」や「IS」、そして「アルカイダ」もイスラエルを攻撃対象にしたことはない。ということは、「HTS」も含め、イスラム原理主義勢力は、イスラエルやアメリカの道具であるとみなすことができる。これは後半の記事に書く。

いずれにせよ、こうした原理主義組織の中心である「シリア解放機構(HTS)」がシリアの政権を取ったとしても、「HTS」の参加にある複数の原理主義組織は内紛で分裂するので、一層ひどい内戦になるとの観測もある。シリアの流動化である。しかしこれは、後半の記事に書くが、アメリカとイスラエルが本来目指していた状況である可能性も高い。

複雑なシリアの状況

このように、シリア解放機構(HTS)」の背後にはアメリカがおり、この組織はアサド政権の打倒を目標にするアメリカのいわば道具である可能性が高い。しかし、それにしても、ロシアとイランの後ろ盾でシリアの大半の領土を掌握していたアサド政権が、なぜこんなにもあっけなく崩壊したのだろうか?疑問が多い。中東の専門家の間でも見解が大きき分かれている。アサド政権を崩壊させる合意がロシア、トルコ、イランであったという見方や、「HTS」は油断していたアサド政権を機会としてうまく利用したのであり、ロシア、トルコ、イランは事前に状況を知らなかったという見方もある。

いずれにせよ、今回のアサド政権のあっけない崩壊の理由を探るためには、現在のシリアがどのような状況なのか、知る必要がある。

周知のようにシリアは、2011年に内戦が始まるまでは、中東では比較的に豊かで政治的にも安定した国であった。たしかにアサド政権の独裁は抑圧的ではあったものの、近隣諸国と比べると経済成長率は高く、生活水準も高かった。しかし、2011年に始まったシリア内戦で、「IS」や「アルヌスラ戦線」のようなイスラム原理主義勢力を含む複数の勢力が侵入し、領土は分裂した。

イスラム原理主義勢力の拡大を恐れたロシアが2015年9月に介入し、アサド政権は国土の多くを奪還したものの、現在でも以下のような異なった勢力に国土が占拠されている状態だ。

・北東部の地域
トルコに敵対するクルド人が占拠している。この地域はシリアの石油を産出する資源地帯である。米軍は資源の保護を名目にクルド人を支援しているものの、同地域が産出する石油を盗んでいる。

・北部の一部
トルコが支援する反政府組織の支配地域。トルコはクルド人勢力が自国まで拡大しないように、ここを拠点に牽制している。また、同国内に300万人いるシリア難民を帰還地域の獲得も目指している。

・北西部から南西部にかけての大部分の領土
ロシアとイランに支援された、アサド政権のシリア政府が支配する地域。

・中部の一部
「IS」の残存勢力がいまだに活動している地域。

・南部と北部の一部
北部は「シャム解放機構」、南部は世俗的な「新シリア軍」が支配する地域。

・イスラエル
1967年の第3次中東戦争で奪取した南部の「ゴラン高原」以外に、現在イスラエルが支配するシリア国内の領土はない。しかし、シリアはイランがレバノン南部に展開する反イスラエルの武装組織、「ヒズボラ」に兵器を輸送する補給ルートになっている。これの遮断を狙っている。

・アスタナ合意
ロシア、イラン、トルコなどシリアの内戦に関与している国々の間の合意。軍事的解決ではシリアの紛争は解決できないことを確認。また、あらゆる形態のテロと闘うために引き続き協力していく決意を表明し、シリアの主権と領土保全の重要性や、シリア政府が国全体に対して主権を持つことを確認した。

実際に起こったこと

シリア情勢はさまざまな勢力が絡んで非常に複雑だが、詳しく調べるとどうしてこれほどまで簡単にアサド政権が崩壊したのか、そのプロセスが見えてくる。

まず前提だが、アサド政権は欧米の厳しい経済制裁下にあると同時に、北東部の油田地帯をクルド人勢力と米軍に占領され、さらに何年も続く内戦で国内経済は疲弊していた。これとともに、軍も経済的には厳しい状態で、軍人の給与は兵士で1月5ドル、将校で7ドルという悲惨な状態だった。

また、シリア政府軍の汚職と腐敗は凄まじかった。軍幹部が軍の資産を独占し、軍内部の厭戦気分の蔓延から、指揮命令系統も機能しなくなっていた。ロシアは、こうしたシリア政府軍の状況を懸念して軍を根本的に立て直すようにアサド大統領にアドバイスをしていたが、次第にロシア、及びイランからの独立を志向していたアサド政権は、軍の抜本的な改革には消極的だった。

一方、アサド大統領が軍の動きを把握していなかったことも政権の崩壊を早めた。確かにシリアは強権的なアサド政権が支配する独裁体制だが、国の実験を握り、政府の運営を支配していたのはアサド自身ではなく、軍や治安部隊、そして警察などの国内の治安機構であった。アサド政権の抑圧的で残虐な性格は、こうした機関の統治から出たものだった。長年の内戦に疲弊している国民の目から見ると、軍の支配は抑圧的で、アサド政権の人気はなかった。

こうした状況で6カ月前、ある動きがあった。

「アスタナ合意」では、ロシア、トルコ、イランがアサド政権のシリア全土の統治権を認め、内戦を激化させない合意がなされていたが、トルコがこの合意に違反し、反政府勢力の「HTS」がシリア都市、「アレッポ」の攻撃を許した。この攻撃はトルコの支援もあったようだ。

しかし、この作戦は決してシリアを完全に転覆させることを目的としたものではなかった。結局は、「HTS」を中心とした反政府勢力が、シリア政府軍が初期の侵攻に対応する力がどれほど弱いかを目の当たりにしたため、一挙に他の地域に侵攻する決定をしたようだ。当初は限定的な攻撃を意図していたのだ。

また、イスラエル、アメリカ、トルコ、その他の国々がシリア政府軍の弱さを好機と見て、さまざまな潜伏工作を行い、またシリアの将軍や軍部の有力者たちに秘密裏に働きかけて、アサド大統領を事実上降伏させるか裏切らせるかするよう仕向けたこともアサド政権の崩壊を早めた。そのよう背景もあり、「HTS」の攻撃の範囲は当然ながら拡大した。

また、進歩派とされるイランのペゼシュキアン新大統領は、イラン軍がシリアで戦うことを許可しなかったようだ。すでにイランの武装勢力は6000人も死亡しており、膨大な数の戦闘員が新たに犠牲になる内戦には消極的だった。

そしてロシアも、軍の掌握も改革もできないアサド政権を見限った可能性が高い。ロシアは「HTS」と事前に協議し、シリア西部の地中海沿岸にあるロシア海軍と空軍の2つの基地をアサド政権崩壊後も温存する合意が成立していたようだ。

このように、シリアの後ろ盾になっているロシアやイランが事前に協議して、アサド政権を崩壊に追い込んだというような計画性はなさそうだ。トルコ、イスラエル、アメリカなどの支援を得たと思われる反政府勢力の「HTS」がイラクとの国境の都市、「アレッポ」を攻撃すると、シリア政府軍は予想以上に弱かったので、そのまま首都のダマスカスまで進軍した。すると、アサド大統領は亡命して政権はあっさりと崩壊してしまったということだ。

家庭的なアサド、新たな内戦を回避

このように、今回のアサド政権の崩壊はあっさりと進んでしまったわけだが、そこにはアサド大統領自身の決断も大きくかかわっているようだ。アサド大統領は国民の生命が犠牲になることを避け、新たな内戦を回避したようだ。

実はアサド大統領は、ロンドンで研修した眼科医である。イタリア人の夫人はロンドンの銀行の投資アナリストで、2人はロンドンで出会っている。本来はアサドの兄が大統領になるはずで、そのための帝王学も父からたたき込まれていたが、兄は交通事故で死亡してしまった。そのため、ロンドンの眼科医としてキャリアを歩むはずだったアサドが大統領になったのである。アサド自身の意思ではまったくなかった。

アサドは愛情深い家庭人として知られている。今回の「HTS」が占領したダマスカスの大統領宮殿からは、アサドの家庭生活が分かる写真が発見され、公開されている。

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また、アサドのアマス夫人が友人に宛てたメールがハッキングされ、公開されている。ここで「あなた」というのはアサドのことである。

「夜、空を見上げると、あなたのことを考え始め、自問するの。なぜ?なぜあなたを愛しているのかしら?考えながら微笑むの。だって、その理由は尽きることがないもの」

また、アサド大統領の電子メールは、戦争の初期に反体制派によってハッキングされたことがあった。そこには夫人に向けた次のようなメールがあった。「もし私たちが一緒に強くなれば、一緒に乗り越えられるだろう…愛している…」

このように見ると、アサドは家庭人であり、一般の独裁者のイメージとは根本的に異なる人物であるようだ。アサド大統領はモスクワで無事であることがロシア外務省によって確認されたが、プライベートな生活に戻り、ロシアで何らかの眼科クリニックを開業するつもりであるという。慈善活動も行うとしている。

シリア問題の本質「ガスパイプライン計画」

どうもこれが、アサド政権が瞬く間に崩壊した理由だ。だが、これがアメリカ、イスラエル、トルコ、ロシア、イラン、そしてイスラム原理主義勢力が対峙するシリア問題の本質かと言えばまったくそうではない。いまイスラエルの地上軍は、ダマスカスにまで迫っている。そして、本質的な問題のひとつは、エネルギー供給の覇権争いである。

現在、エネルギー源としての天然ガスに注目が集まっている。それは、ヨーロッパや中国などで地球温暖化への配慮の必要から、石炭や石油にかわるよりクリーンなエネルギー原としての天然ガスへの需要が高まっているのだ。この動きは地球温暖化防止のパリ協定で、石炭の使用が大幅に制限されるに及んで本格的な動きになっている。

さらに、天然ガス液化の技術の急速な進歩により、広い地域にパイプラインで天然ガスを輸送することができるようになったことも、注目を集める理由になっている。

また、2022年から始まったウクライナ戦争でロシアから「ノードストリーム」でヨーロッパにエネルギーを供給するルートが破壊され、ロシア産エネルギーの供給が途絶えたことも背景にある。

すでに何年も前から、このようなトレンドを見越して、世界のガス田の争奪戦が始まっているのだ。2009年3月15日、カタールのカルファ・アル・サニ首相はシリアを訪問し、アサド大統領にシリアを通るガスパイプラインの建設を持ちかけた。これは、ペルシャ湾のカタールのガス田からシリアのアレッポを介してトルコに送り、そこからヨーロッパ市場にガスを輸送する計画だった。だがシリアのアサド大統領は、ヨーロッパにガスを供給しているロシアの利害と抵触することになるとして、この提案を拒否した。ロシアとの関係を重視した決断であった。

ちなみにペルシャ湾のガス田は世界最大であるとされ、カタールではこれを「ノース・ドーム」と呼び、イランはこれを「サウス・パース」と呼んでいる。

ロシアとの2011年のパイプライン計画

その後、2011年7月に、ロシアの支援でイランの「サウス・パース」のガスをヨーロッパに輸送するためのガスパイプライン計画が調印された。これは、イランのガスをシリア、イラク、レバノンを通って地中海からヨーロッパへと運ぶ1500キロのパイプライン計画だった。これは「フレンドシップ・パイプライン」と呼ばれた。

だが、計画が発表された翌月の8月には、アサド政権の退陣を迫るアメリカ主導の安全保障理事会の決議がなされた。

そして同じ年には、「アラブの春」による民主化運動の影響という名目で、シリア国内で民主化運動が起こり、急速に内戦化した。内戦化した理由は、「IS」や「アルカイダ」などのワハビ系テロリストグループによるシリア侵入である。これらのイスラム原理主義勢力をイスラエルやサウジアラビアは資金的に支援しており、イスラエルとサウジアラビアの外交政策実現のツールになっていることはよく知られている。

また2014年にアレッポはイスラム原理主義勢力の支配地域となり戦闘が激化したが、アレッポが戦場となった背景には、このガスパイプライン計画があったことは想像に難くない。

このように、アメリカとロシアの2つの異なるパイプラインの構想が激突する場所がシリアであった。これは、ヨーロッパのエネルギー覇権を巡る抗争である。

実は、この問題を深堀りすると第三次世界大戦の引き金にもなりかねない別な問題も見えてくる。もちろん、日本も無縁ではない。

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