
従業員93人中67人。なぜ日本理化学工業では多くの知的障がい者が働けるのか?

大観衆の歓声が戻ったパリパラリンピックは、日本人選手の活躍もあって、時差が大きい日本でも多くの人を魅了しました。中でも、男女混合の車いすラグビーのルールを知って感動したと語るのは、健康社会学者の河合薫さんです。今回のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』では、競技ごとに障がいの程度などに合わせた細やかなルールが設定され「平等」を実現していると指摘。多様性のある社会の実現には「人」を中心に考えることが重要と訴えます。そして、知的障がい者が従業員の7割という日本理化学工業の工夫を例をあげ、今の社会に足りないものを示唆しています。
「人」を中心に考える意味
海外で行われた大会では、過去最多となる175人の日本人選手が参加したパリ2024パラリンピックが終わりました。今回の大会はとても自由で、温かい空気が溢れていて。個人的にとても感動しました。特に感動したのが、種目ごとに決められら細やかなルールです。
車いすラグビーの日本代表が初の金メダルを獲得しましたが、私は恥ずかしながらそれまで「男女混合」とは知りませんでした。知った時も「え? どうやるの??」と脳内が???だらけになりましたが、ルールを知り、感激しました。
車いすラグビーの選手は、障害の重い0.5から軽い3.5まで、0.5刻みで7段階に持ち点が分かれ、コートに立つ4人の持ち点の合計が常に8点以下と決められています。区別することで、すべてのメンバーがプレーする機会の平等を実現していたのです。その他の競技も「人」を中心にしたルールばかりです。なんとなくはわかっていたことにも、改めて感激しました。
水泳では、肢体不自由、知的障がい、視覚障がいのある選手が活躍できるように運動機能などによりクラス分けされ、自由形、平泳ぎなどタイムを競います。下肢障がいなどの選手は水中からのスタートも認められていますし、視覚障がいのある選手には、スタッフがタッピングバーを使ってプールの壁に近づいていることを知らせるルールです。
卓球では、車いす・立位の肢体不自由者、知的障がいのある選手が活躍し、障がいによりトスが困難な選手は、一度自陣のコートにボールを落としてからサーブを打つことができたり、車いす選手のサーブは、エンドラインを正規に通過したボールをのぞきノーカウント(レット)になる特別ルールもあります。
また、馬術では、肢体不自由と視覚障がいのある選手が参加し、規定演技を行うチャンピオンシップと、楽曲に合わせて演技をするフリースタイルがあるのですが、障がいに応じて工夫した手綱や鞍を使うことが認めれているので、残存能力をフルに活かして演技できます。
他の競技もさまざまなルールがありました。ルールを作る人たちが、とことん平等とはなにか?尊厳とは何か?を考えた結晶がすべてのルールに反映されていました。「多様性」という言葉は社会に溢れていますが、多様性は「人」を中心に考えない限り実現できません。スポーツ競技だけはなく、働き方も同じです。
日本で最初に障害者雇用を始めたとされる、日本理化学工業はチョークなどを作る会社で、1960年に知的障害者の少女2人の雇用からスタートしました。現在も全従業員93人中67人が知的障がい者で、うち重度の障がい者は25人です(2023年12月現在)。
なぜ、そんなにも多くの知的障害者が働けるのか?答えは実にシンプル。パラリンピックのルールと同じです。「仕事に人を合わせる」のではなく「人に仕事を合わせた」からです。
日本理化学工業の近くに養護学校があり、先生が「働かせて欲しい」と会社を訪れたのがきっかけでした。社長も社員も「知的障害者に仕事なんてムリ」と、ひたすら首を横に振り続けましたが、最後は先生の熱意に根負けし、「期間限定の業務実習」で少女を受け入れることになりました。
知的障害のある少女は、ものごとを理解するのに時間がかかりますが、社員が一つひとつ丁寧に教え、納得できると、きちんと仕事をすることができました。
少女たちは覚えた仕事(シール貼り)をとても楽しそうにやるので、もう少し高度な仕事を教えようとするのですが、彼女たちには「数字」という概念がないため「5グラムずつ測る」とか、「10分たったら止める」という作業がどうやっても理解できません。
そこで「数字を色に変えればいいんだ!」という社長のひらめきで、彼女たちが理解できる色で分量を分け、時計を砂時計に変え、仕事に人を合わせるのではなく「人」に仕事を合わせることで、少女たちは高度な作業もこなせるようになったそうです。
多様性のある社会、すべての人に能力発揮できる機会がある社会は、「人」が「人」のために知恵を絞ることでしか実現しません。今の社会に足りないものは何か?みなさんのご意見、お聞かせください。
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