ある中小企業が突然、不正輸出のぬれぎぬを着せられました。
軍事転用可能な装置を不正輸出したと疑われた化学機械メーカー「大川原化工機」を襲った冤罪(えんざい)事件に関する記事の紹介です。
事件の事はこの記事を読むまで知りませんでした。
また、有料記事まで読んでいませんので「なぜ?」の根本原因はよくわかりません。
以前、弁護士事務所の方とお会いして話をしたことがありますが【冤罪事件は数限りなくある】とおっしゃっていたことを思い出します。
このような事件に限らず【権力は必ず腐敗する】というのが事実ではないでしょうか?
政治権力・司法権力・行政権力・警察権力・マスコミ・・・・権力を持つと自らの利益や保身のためには、なんでもやる、利用するのでしょう。


- 「公安は同じことやる」大川原化工機事件、捜査員が私に語った警告
- 公園の植え込みに潜む秘密資料を「拾った」私 まるでスパイ映画
- 中小企業はなぜ狙われたのか 私が感じた公安警察の「異質さ」
- 「なら有罪だね」弁護士の思わぬ一言、残された社員の心に火がついた
- 「私は公安に利用された」 ただ一人、匿名望んだ小児科医の後悔
- 公安の聴取あったのか 私の直撃に答えた社長、4日後の態度急変
- 他社のスクープに「やられた…」 つかめなかった真実、調査報道の壁
- 「ちゃんと調べてください」警部補4人、管理官に異例の直訴も不発に
- 未解決の長官狙撃事件の深層、調査報道で見えた公安捜査の「限界」
- 捜査の表彰状はシュレッダーに…かすむ大義、そして残された正義
「公安は同じことやる」大川原化工機事件、捜査員が私に語った警告


ある中小企業が突然、不正輸出のぬれぎぬを着せられました。
捜査した公安警察の手法に疑念が持たれています。
その内幕を明らかにしようと、記者は追跡を続けました。
約1年にわたる取材録をつづります。
語り出した捜査員
今日も取材を断られるだろうか。そんな暗い予感が頭をよぎる。
少し肌寒くなり始めた2023年10月のある夜、とある住宅街。私(記者)はある人物の自宅インターホンを押した。
私は、警視庁公安部が主導した捜査にあやまちがあったのではないかと考え、取材をしていた。
その捜査とは、軍事転用可能な装置を不正輸出したと疑われた化学機械メーカー「大川原化工機」を襲った冤罪(えんざい)事件に関するものだ。Advertisement

社長らが起訴された後、捜査機関が自ら起訴を取り消す異例の経過をたどっている。
この日、訪問したのは、この事件の内幕を知る立場の捜査員。
在宅しており、くつろいでいたのか部屋着姿だった。
それでも建物の外に出て、突然の私の訪問に対応してくれた。
以前も自宅を訪ねていた。その際は、相手が言葉を発することはほとんどなく、空振りに終わった。
だが、この日は違った。予想に反して会話が続く。
「捜査をおかしいと思った人はいっぱいいた。めちゃくちゃです」
捜査員が語り出した言葉は、怒りで満ちていた。
屋外で立ち話を始めて5分ほどがたっただろうか。
「今日はいける」。私は手応えを感じた。
衝撃の「捏造」発言、取材スタート

話は4カ月ほど前の6月30日にさかのぼる。
私は当時、東京・霞が関の司法記者クラブで裁判の取材を担当していた。
クラブ内の毎日新聞のブースで仕事をしていると、東京地裁で裁判を傍聴していた後輩の記者がノート片手に慌てた様子で戻ってきた。
「(警察官が)『捏造(ねつぞう)』って言ったんですけど」
後輩が傍聴していたのは、大川原化工機の捜査に携わった公安部の現職警察官4人の証人尋問。
大川原化工機側が公安部と東京地検による捜査の違法性を訴え、東京都と国に国家賠償を求めた訴訟で行われたものだ。

証言台の前に立った4人のうち警部補2人が公然と捜査批判を繰り返し、このうち1人が捜査について「まあ、捏造ですね」と衝撃的な発言をしたのだ。
後輩の報告を聞き、記者を束ねるキャップが驚いた顔で「本当にそんなこと言ったの? マジで?」と確認する。
後輩は「確かに捏造と言いました」と断言した。
国際テロ組織や過激派などによる事件を担当する公安部は、秘密を外に漏らさないよう保秘の徹底をたたき込まれているとされる。
捜査の内情は「秘中の秘」のはずだ。
公開の法廷で捜査に疑問を呈するのは異例中の異例だろう。
後輩とキャップのやり取りを横で聞いていた私は「捏造」という言葉にインパクトを感じたものの、それが真に意味するものがつかめていなかった。
公安部で何が起きていたのか。真相を探る取材が始まった。
つかんだ突破口

しかし、取材は一筋縄ではいかない。
多くの警察は、記者が個別に捜査員を取材することを禁じている。記者が接触してきた場合は上司に報告を求める「通報制度」も敷く。
実際、私が大川原化工機の事件で捜査関係者を訪ねても「守秘義務がある」「組織に連絡しないといけない」と断られることがあった。
関係が築けていない相手から話を引き出すことも簡単ではない。
相手がしゃべらなければ一方的に話し掛け、何とか会話の糸口を探る。逆に話に乗ってくれるようなら相づちを打ちながら話を広げる。
相手の表情や仕草、言葉の抑揚、すべてに気を配らなければならない。
こうした取材を続けるなかで、冒頭の捜査員に出会った。公安捜査の経験者で、今回の事件にも詳しいという。
立ち話に応じた捜査員は、しゃべっている間も横目で周囲の状況をちらちらと確認する。
会話中、ヘッドライトをつけた乗用車が低速で近付いてきた。
一瞬、会話が止まる。車が通り過ぎるのを見届けると、捜査員は静かに語り出した。
「法律の解釈をねじ曲げてやろうと思った。これがすべての始まりと聞いています」

その後も話は続いた。捜査員は表情を変えないものの口調は熱を帯びていった。
立ち話が始まってから30分ほど。薄着だった捜査員は、体をさする仕草をした。
「もう、このくらいで」の合図だろう。会話を切り上げようとした。
すると、捜査員は最後にこう付け加えた。
「あまりにも組織が変わらない。また同じようなことをやりますよ」
私は頭を下げ、最寄り駅に向かって歩き出した。興奮冷めやらぬまま、同僚にメールを送る。
「捏造の構図が分かった」
公園の植え込みに潜む秘密資料を「拾った」私 まるでスパイ映画


私(記者)のスマートフォンが鳴った。
画面に表示された発信元は「公衆電話」。
2コール目で取ると、電話口で早口に言われる。
「そこから南に歩いて行くと公園があります。そこに来てください」
冬の足音が近付いていた2023年11月、時計の針はちょうど約束の午後6時半を指していた。
土地勘がない場所だったため、スマホの地図アプリ「グーグルマップ」を立ち上げ、ちらちらと目を落としながら歩く。
公園は繁華街にあり、連れ立って歩くサラリーマンたちとすれ違った。これから一杯、引っかけにいくのだろうか。
公園の入り口に着くと、先ほどの電話の相手が立っている。
知り合ったのは11月。
化学機械メーカー「大川原化工機」が襲われた冤罪(えんざい)事件の内情を知る人だ。
この人が私との連絡に自分のスマホを使うことはない。
私と連絡していることが記録に残らないよう、公衆電話を利用する。
私たちは「お疲れさまです」と簡単なあいさつを交わす。
公園には、他にも会社員風の人たちがあちこちにいた。どうやら、待ち合わせスポットになっているようだ。
私たちも周囲の人からは、これから飲みに行く間柄くらいにしか見えないだろう。
その人は、数メートル先に視線を向けた。腰くらいの高さの植え込みがある。
「あそこに封筒が落ちているので拾ってください。たまたま拾ったということで」
その人はそう念押しし、その場を立ち去った。
~以下、有料記事~
中小企業はなぜ狙われたのか 私が感じた公安警察の「異質さ」


カップラーメンのスープの粉やインスタントコーヒーの粉末、粉ミルク……。
生活に身近な製品が、噴霧乾燥器で製造されていることはあまり知られていない。
化学機械メーカー「大川原化工機」は、国内ではこの装置のリーディングカンパニーとして知られる。
ただ、国内ではメーカーは10社程度に限られる狭い業界だ。海外に輸出している企業に絞ると、5社程度になる。
警視庁公安部は、このトップメーカーが不正輸出したとにらんで捜査したが、私(記者)はなぜこんなマイナーな業界に捜査のメスが入ったのか疑問もあった。
「大企業だと警察OBがいる。一方で、会社が小さすぎると輸出自体をあまりやっていない。100人ぐらいの中小企業を狙うんだ」
これは、大川原化工機を襲った冤罪(えんざい)事件を捜査した公安部外事1課5係の係長(警部)が日ごろから言っていた言葉だという。捜査関係者が私に証言した。
大川原化工機が、この言葉に沿って立件対象に選ばれたのかどうかは分からない。
ただし、従業員数は約90人で警察OBも雇っていない。条件には合致していた。
さらに取材を進めると、公安部が大川原化工機にターゲットを定めた背景事情が見えてきた。
~以下有料記事~
「なら有罪だね」弁護士の思わぬ一言、残された社員の心に火がついた


高層ホテルやオフィスビルが林立する新横浜駅から在来線で2駅。
JR鴨居駅で電車を降りると、同じ横浜市内でも雰囲気はがらりと変わる。
線路に沿うように流れる鶴見川に架かる橋を渡ってしばらく歩くと、背の低い町工場が建ち並ぶ一角に4階建ての社屋が見えてきた。
梅雨を先取りしたかのような雨が降っていた5月、私(記者)は化学機械メーカー「大川原化工機」の本社に向かっていた。
どうしても話を聞きたい社員がいた。
その人はAさん(57)。
逮捕・起訴された大川原正明社長(75)ら3人の無実を証明するため、自社の噴霧乾燥器の実験を72回繰り返した人だ。
かかった費用は2000万円を超える。
実験は長い時で1日13時間に及んだ。その間、片時も噴霧乾燥器の前を離れず、実験を続けたそうだ。
噴霧乾燥器に詳しいベテラン技術者
Aさんと知り合ったのは1月のことだ。
私はその頃、警視庁公安部の捜査の落ち度をつかんでいた。
噴霧乾燥器に関する温度実験について、公安部の見立て通りに温度が上がらなかった測定箇所のデータを除外し、経済産業省に報告した疑いだ。
この話を記事にするには、噴霧乾燥器の構造を詳しく知る必要がある。会社側に相談し、紹介された技術者が入社30年を超えるAさんだった。
その後、私が電話やメールで追加の質問をしても、嫌なそぶりを見せずに対応してくれた。
記事が出るたび「こちら側では知り得ない事実を公にしていただき、感謝致します」などと丁寧なメールも送られてきた。
社長らの起訴が取り消されたのは、Aさんの温度実験が大きい。
私は今回の連載記事で取り上げたいと考え、取材を申し込んだ。すると、いつものように快諾してくれた。
聞けば、これまでは実験に関する取材はすべて断ってきたという。
苦しんできたのは社長ら3人で、自分は社員として当然のことをしたまで。特別なことはしていないと考えていたからだ。
Aさんの謙虚な人柄がにじみ出ていた。
取材当日、Aさんは「遠藤さん(記者)は、まず装置のことをしっかり知ろうとしてくれた。実験についても答えないといけないと思いました」と言い、実験に至るエピソードを明かしてくれた。
「実験で状況変わる」 弁護士の提案
2020年3月、Aさんは他の幹部社員とともに顧問弁護士の事務所にいた。
その数日前、社長らが公安部に外為法違反の疑いで逮捕され、今後の対応を協議する必要があった。
1人の弁護士が言った。
「実験できるなら状況は変わる」
噴霧乾燥器は液体を霧状にまき、付属のヒーターで熱風を送って粉末にする装置だ。
~以下、有料記事~
「私は公安に利用された」 ただ一人、匿名望んだ小児科医の後悔


話を聞き始めてから2時間が過ぎようとしていた。取材もそろそろ終わりに近付こうとしている。
ある大学の研究室。
たくさんの専門書に囲まれた部屋のなかで、私(記者)は切り出した。
記事にしたいが、名前を実名にしてもよいか――。
だが、机を挟んで向かい合った小児科医の大学教授が首を縦に振ることはなかった。
狙われた大学教授たち
化学機械メーカー「大川原化工機」が襲われた冤罪(えんざい)事件を取材している私は、有識者から集中的に話を聞いていた時期がある。
きっかけは、ある捜査関係者の一言だ。
「警視庁公安部は、噴霧乾燥器の構造や輸出規制の内容を知らない有識者をあえて狙い、話を聞きに行った」
公安部は、大川原化工機が噴霧乾燥器を不正輸出しているとの疑いを掛けたが、それは製品が輸出規制品であることが前提になる。
だが、所管官庁の経済産業省は当初、否定的だったとされる。
輸出規制を定める省令の規定があいまいだとし、担当の上席検査官は「この省令には欠陥があるとしか言いようがない」と公安部の捜査方針に難色を示していたという。
経産省を説得するには専門家の「お墨付き」が必要だ。
公安部はそのために、門外漢の有識者を利用した――。そんな話だった。
公安部が話を聞いた有識者は4人。そのうちの1人が、冒頭の教授だ。
その後も何度か私の取材に応じた教授は「公安に利用された。捜査員が研究室に来たとき、もっと質問すればよかった」と後悔を口にした。
だが、自分が4人のうちの1人であると世に知られることは望んでいなかった。
その理由を教授から聞いた私は、公安部の罪深さを知ることになる。
この教授の専門は、小児がん。
外来診療もこなし、聴診器を首にかけて患者と向き合う小児科医だ。
全く無関係に見える小児科医と今回の事件。
この両者の関係を説明するには、教授の半生をひもとく必要がある。
ハーバード大の大学院学長からの手紙
医大を卒業して小児がんの研究をしていた教授は、米ハーバード大学の公衆衛生大学院に留学した経験がある。
講義で災害医療を学ぶ機会があった。
~以下、有料記事~
公安の聴取あったのか 私の直撃に答えた社長、4日後の態度急変


入り口のガラス扉はぴったりと閉じられ、なかなか開かない。
そのオフィスビルは、人の出入りがまばらだった。
時計の針は、間もなく正午を指そうとしている。
冬も終わりを迎えていた2月、膝丈のコートを着込んだ私(記者)はビルの入り口が見える歩道に立ち、1人の男性が出てくるのを待った。
しばらくすると、仕立てのよいジャケットを着た高齢の男性がガラス扉を押し開け、外に出てきた。
スマートフォンに保存してある男性の顔写真と見比べる。インターネット上で見つけてきたものだ。
10年くらい前とみられる古い写真であるものの、同一人物で間違いないだろう。
70代と聞いていたが、思ったよりも若く見える。
戻ってきたときに話を聞くべきだと考え、とんかつ屋がある建物に入っていく男性を見送った。
30分ほどして、昼食を済ませて帰ってきた男性にビルの前で声を掛けた。
「○×さんでいらっしゃいますでしょうか?」
男性は「はい」と答える。当たりだ。
男性は、化学機械メーカー「大川原化工機」の同業者「Y社」の社長。
警視庁公安部はY社の社員から、大川原化工機の噴霧乾燥器について事情を聴いたとする聴取報告書を作成していた。
その経緯を尋ねるのが、訪問の目的だ。
ところが、私が毎日新聞の記者であることを名乗ると、社長は「ごめんなさい、ごめんなさい」と連発し、ガラス扉を開けてビルに入ろうとする。
私は「社長、待ってください」と追いすがったが、社長はそのままビルの中に消えてしまった。
退社時に改めて取材するしかないか――。私は歩道のガードレールに寄りかかり、待つことにした。
そして、3カ月ほど前、ある捜査関係者から聞いた驚くべき話を思い出していた。
前日作成を示す「証拠画像」
「Y社の聴取報告書が前日に作成されている。実際は、当日に話を聞きに行っていないようだ」
2023年12月、大川原化工機を襲った冤罪(えんざい)事件を取材していた私に、捜査関係者が言った。
報告書は、大川原化工機の噴霧乾燥器内部で最も温度が低くなる場所を聞き取ったとするものだ。
聴取年月日は「19年7月5日」。報告書もその日に作ったことになっている。
内部の温度は、この製品が輸出規制品に該当するかどうかで重要な論点の一つだ。
公安部はY社の話を基に、最も温度が低くなる2カ所を測定箇所に決め、温度実験をしたとしている。
~以下、有料記事~
他社のスクープに「やられた…」 つかめなかった真実、調査報道の壁


ずっと手に入れたかった警察の内部文書がある。
取材に駆け回ったが、最初に報じたのは私(記者)ではなく、別のメディアだった。
それは、化学機械メーカー「大川原化工機」を襲った冤罪(えんざい)事件について、警視庁公安部と経済産業省の打ち合わせ内容を記したメモだ。
「経産省メモ」と呼ばれる。
開示直前の起訴取り消し
その内容の一端が、初めて公になったのは法廷だった。
2023年6月、大川原化工機が起こした国家賠償請求訴訟で、証人尋問に立った公安部の警部補2人が踏み込んだ発言をした。
「経産省は当初、公安部の捜査に消極的だった。だが、公安部長が経産省に働き掛けて、経産省が動いた」
公安部は、軍事転用可能な噴霧乾燥器を大川原化工機が不正に輸出したとにらんでいた。
立件するには、この噴霧乾燥器が輸出規制品であることが前提となる。
所管官庁の経産省は公安部の見立てに否定的だったが、警視庁公安部長の働き掛けで同調したというのが発言の趣旨だ。
さらに警部補のうち1人が法廷で「(働き掛けは)メモに書いてあった」と証言した。
メモの存在自体は、以前から記者の間では知られていた。
大川原化工機の社長らを外為法違反で起訴した東京地検の証拠一覧表に、17年10月~18年2月に作成された13通の経産省メモがあった。
当初の証拠一覧表にはなかったが、弁護側が開示を求めたところ、その存在が判明した。
裁判所の訴訟指揮で、メモは21年7月30日までに弁護側に開示されることになっていたが、地検はこの日、起訴を取り消した。
メモは世に出るタイミングを逸し、開示は幻となった。
~以下、有料記事~
「ちゃんと調べてください」警部補4人、管理官に異例の直訴も不発に


「あのとき、初めてしっぽを出したんです。なのに……」
電話口から悔しげな声が聞こえてくる。
私(記者)は、捜査員の話に耳を傾けた。
化学機械メーカー「大川原化工機」を襲った冤罪(えんざい)事件について、警視庁公安部の捜査を疑問視し、取材に応じてくれた人だ。
今回の事件について、警察内部でも捜査を「おかしい」と思っている人が多いと私は感じている。
そうした人たちが、捜査を止める唯一のチャンスと捉えている出来事がある。
密室の取調室での出来事
それが起きたのは、2020年3月11日。
大川原化工機の元取締役、島田順司さん(71)ら3人が公安部に逮捕された日だ。
大川原化工機側が起こし、23年12月に言い渡された国家賠償請求訴訟の1審判決や、島田さんの話をまとめると、こんなことがあった。
逮捕された島田さんは警視庁本部庁舎の取調室で、公安部外事1課5係の警部補「S氏」による取り調べを受けていた。
逮捕された容疑者について、警察は言い分を聞き、その内容を記した調書を作らなければならない。
この調書を弁解録取書、通称「弁録」と呼ぶ。
S氏もこの手続きに従い、弁録を作って島田さんに確認を求めたが、それは島田さんが容疑を認める内容になっていた。
容疑を否認していた島田さんは修正を求めた。S氏がパソコンをたたき、修正したように見えたため、印刷された弁録に署名・指印をした。
~以下、有料記事~
未解決の長官狙撃事件の深層、調査報道で見えた公安捜査の「限界」


小雨が降る夜、住宅街に黒塗りの乗用車が止まる。
1月、道路を挟んだコインパーキングで待っていた私(記者)は、傘をその場に置き、車に向かって走り出した。
後部座席から降りてきた人物に声を掛ける。社名と名前、話を聞きたい事件名を伝えた。
「どこに所属されてます?」
その人物は逆に聞いてきた。
私は「司法記者クラブです」と答える。
すると「自宅では受け付けていないので」とかわされた。
私は「職場に行ったら、応じてもらえるんですか」と尋ねたが、その人は「時間があれば。当然、広報室を通じて」と言って家のなかに入っていった。
この人物は誰か。
今の警視庁トップ、緒方禎己(よしみ)警視総監(61)だ。
大川原化工機の社長らが逮捕されたときは、警視庁副総監のポストにいた。
この日は総監に就任する4日前だったが、私には緒方総監にどうしても聞かなければならないことがあった。
30年ほど前に起きた国松孝次・警察庁長官狙撃事件。
化学機械メーカー「大川原化工機」を襲った冤罪(えんざい)事件との共通点があると私は考えている。
時効成立の日、公安部長が異例の発表
あの日も小雨が降っていた。
1995年3月30日の早朝、全国の警察組織のトップである国松長官が出勤途中、3発の銃弾を受けた。
東京都内の自宅マンションを出て、秘書官と一緒に公用車に向かって歩き出した直後の出来事だった。
国松長官は一命を取り留めたものの、犯人は現場から自転車で逃走した。
この事件の捜査を担ったのが、大川原化工機の事件も手掛けた警視庁公安部。
14人が死亡、6000人以上が重軽症を負った地下鉄サリン事件が10日前に起きたこともあり、公安部はオウム真理教が関与したとみて捜査を続けた。
しかし、狙撃事件は2010年3月、未解決のまま公訴時効を迎えることになる。
時効が成立した日、公安部長が記者会見を開いた。
時効成立を受けて警察幹部が会見をするのは、重大事件ではよくあることだ。
だが、ここで異例の発表をする。
「オウム真理教による組織的・計画的テロ」とする捜査結果を公表したのだ。
証拠が足りなかったから時効を迎えたのに、特定の団体を犯行グループと名指しするのか――。公安部長の行動にメディアから批判が相次いだ。
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捜査の表彰状はシュレッダーに…かすむ大義、そして残された正義


閉め切ったドアの外から、体に響くような重厚感のあるベースの音が漏れ聞こえてくる。
隣の部屋で誰かが歌っているのだろうか。
私(記者)は繁華街のカラオケボックスにいた。
2023年11月、私の取材が本格化したばかりの頃だ。
机の上には、ドリンクバーで注いできたばかりのアイスコーヒーのグラスが二つ。
深めのソファに腰を下ろし、差し向かう相手を見つめた。
化学機械メーカー「大川原化工機」に対する警視庁公安部の捜査に疑問を抱いている捜査員だ。
「大川原化工機は普通のまじめな中小企業。その従業員90人を守らないといけないと思うようになった。市民を守る警察官として、この捜査はどうしても許せなかった」
捜査員は、私の目を見据えてそう語った。
カラオケ機器の音量は切っている。
私は仕事で込み入った話をする際、街中のどこにでもあるようなカラオケボックスを利用する。
誰かに聞き耳を立てられることなく、話ができるからだ。
3時間に及ぶ話が終わる。
帰り際、捜査員からこう言われた。
「守秘義務があるので、私が直接、世間に訴えることはできない。発信するのはマスコミの皆さんにしかできない」
捜査員とは別々に店を後にした私は、帰りの電車に揺られながら、その言葉に繰り返し思いをはせた。
捜査の内幕を明らかにできるよう取材を続けよう。
そして、一つでも多く世の中に出そう。
そう心に誓った。
「3分の1は捜査に消極的だった」
大川原化工機の事件を捜査した公安部外事1課5係のメンバーは約20人。
ある捜査関係者は「捜査に積極的だったのは3分の1のメンバー。残りの3分の2のうち、半分はただ従い、残り半分は消極的だった」と内情を明かす。
なかには、捜査の途中で「こんなことはやってられない。冤罪(えんざい)だ」と言い、人事異動で5係を出た捜査員もいたそうだ。
事件を立件したことで、外事1課は警察庁長官賞や警視総監賞を受賞した。
捜査員たちも個人として警視総監賞や公安部長賞を受賞したが、納得できない捜査に関わった怒りから、ある捜査員は表彰状をシュレッダーで細断した。
捜査に関わった警部補が法廷で「捏造(ねつぞう)」の発言をした直後の23年7月、こうした表彰はいずれも返納されている。
消極派の捜査員たちを苦しめているのは、逮捕者に亡くなった人がいることも大きい。
勾留中に胃がんが見つかり、被告の立場のまま死去した相嶋静夫さん(享年72歳)。
東京地検が起訴を取り消したのは、死亡から約5カ月後のことだった。
ある捜査員は「相嶋さんのことを思うと、本当に申し訳ない」と声を落とす。
謝罪・検証しない警視庁、地検
捜査を受けた大川原化工機側はどう考えているのか。
一貫して警視庁に求めているのは、捜査の検証と真摯(しんし)な謝罪だ。
これは、大川原化工機側が起こした国家賠償請求訴訟の節目で、記者会見があるたびに出てくる言葉だ。
~以下、有料記事~



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