そりゃボロ負けするわ…中道改革連合が若者にソッポを向かれた納得の理由

現代の日本
そりゃボロ負けするわ…中道改革連合が若者にソッポを向かれた納得の理由
2月8日投開票の衆議院議員選挙で、自民党は316議席を獲得する地滑り的大勝を果たした。それに対して、立憲民主党と公明党による「中道改革連合」は3分の1以下の49議席に沈んだ。中道改革連合が若者に見放され壊滅した当然のワケとは。

そりゃボロ負けするわ…中道改革連合が若者にソッポを向かれた納得の理由

若者から見放されたリベラル勢力

 2月8日投開票の衆議院議員選挙で、自民党は316議席(追加公認を含む)を獲得する地滑り的大勝を果たした。それに対して、立憲民主党と公明党による「中道改革連合」は3分の1以下の49議席に沈んだ。

 高市ブームに乗ったとはいえ、ここまで極端な結果になった背景には、中道改革連合を支えるべきリベラル派の衰退があったと考えられる。

 実際、昨年12月の産経新聞社とFNNの合同世論調査で、立民民主党の支持率は4.5%と低調だったのに対して、国民民主党や参政党が支持率を伸ばし、この時点で二党は立憲の支持率に肩を並べ、「野党第一党」の存在感を失っていた。

 とくに注目すべきなのが、年代別の支持率だった。立憲民主党の18~29歳の支持率がなんと「0%」だったのである。30代の支持率もわずか1.4%にすぎず、40代も2.5%で、50代は3.1%だった。この若者層の人気のなさが、立憲民主党が公明党と連携する大きなきっかけになったことは想像に難くない。

 共産党も支持者の高齢化に歯止めがかからず支持率が低迷し、長年「左派の若者の受け皿」と目されてきたれいわ新選組も今回は1議席にとどまっている。

 野党第一党の立憲民主党はもはや自民党の受け皿とは言えなくなっており、危機感を持った立憲民主党は公明党と組んで新党「中道改革連合」という枠組みをつくらざるをえなくなったが、それも今回の選挙で失敗に終わった。しかも、そのしわ寄せはすべて立憲民主党系の候補が被ることになった。

 その一方で、かつては「右翼的」「保守強硬」に分類されてきた高市早苗首相に対する若年層の支持の高さは顕著である。

 日本政治において長らく「進歩的」「弱者の味方」を自任してきたリベラル勢力は、なぜここまで若者から見放されたのか。ここでは、その背景を「変化を否定し続けるリベラル派」という日本政治の文脈構造から読み解いていく。

「若者=リベラル」が当然だった時代

 戦後日本において、「リベラル」であることは、長らく若者にとって特別な政治的選択ではなかった。むしろ、それは空気のように自明であり、学校でも当たり前のように扱われ、疑う対象ですらなかった。

 敗戦直後、日本はアメリカ主導の占領下に置かれ、民主主義・平和主義・個人の自由といった価値観が、旧体制への反省とともに一気に流入した。軍国主義への強烈な否定とセットで提示されたアメリカ型民主主義は、当時の日本社会にとってきわめて魅力的に映ったのである。

 超法規的な過程で制定された日本国憲法は、その成立経緯すらまともに検証されないまま「守るべき絶対的規範」として教えられた。この価値観は、教育を通じて徹底的に内面化され、拡大再生産を繰り返した。とりわけ戦争体験のない戦後世代にとって、日本国憲法は、その正当性を疑うことを許されない信仰に近い存在だったと言っても過言ではない。

 当時、憲法改正を口にすることは、「戦前への回帰」「軍国主義の復活」と結びつけられ、強いタブーとして扱われるようになった。改憲を主張することは、理性的な政策論争ではなく、道徳的に危険な言動とみなされたのである。

 若者がリベラル思想を受け入れたのは、戦前戦中の日本からの「変革」だったからである。社会が大きく変わることに、若者は戦前の「国体を守る」という姿勢から抜け出した日本に新たな可能性を感じた。

 一方、冷戦構造や周辺国の軍事的現実を直視していた自民党は、日本国憲法が現実の安全保障環境と乖離していることから、早い段階から改憲の必要性を唱えた。だが、護憲を道徳的優位に置く戦後政治文化の中で、その試みは挫折を繰り返した。

 転機が訪れたのは、1990年代後半以降である。

 インターネットの普及によって、情報の流通がマスメディア中心の構造から大きく変化した。戦後民主主義や護憲思想が「唯一の解」として語られる時代は終わり、若者は多様な視点から日本の歴史や安全保障を見るようになった。

 2000年代に入ると、改憲を主張することは社会的タブーではなくなった。むしろ、「何も変えようとしない護憲派」に対して、「現実に向き合わず、行動しない人たち」というイメージすら広がり始めた。

 かつては自明だった「若者=リベラル」という構図は、こうして急速に崩れていく。

 これはリベラル派が言うような「若者の右傾化」ではない。リベラル派が現実への認識を変えなかったことが、現実的になった若者との断絶を生んだに過ぎない。

 そういった日本のリベラルを生んだきっかけが、共産党すら「護憲」に回るほどの理想主義的で革新寄りの日本国憲法だったと言っていいだろう。

「働いて、働いて、働く」を全否定する愚

「(国民のために)働いて、働いて、働く」

 首相就任したとき、この言葉を真正面から口にした高市首相に、若者が共感を寄せている事実は、従来の政治分析では十分に説明されてこなかった。

 昭和の日本人は「働き過ぎ」を指摘されて、サービス残業に歯止めがかからず、過労死も長らく問題化され続けた。それが緩和されたのは安倍・菅政権が進めた「働き方改革」からであった。

 政治家とは、既得権を守り、責任を回避し、言葉を濁す「おじさん」の集合体である。そのようなイメージを持っていた若者にとって、ごまかさず発言する女性首相が新鮮に映った。

 重要なのは、政策の中身以前に、「国民のために働く」という姿勢そのものが評価された点だ。成果が出るか否かではない。少なくとも、何かを成し遂げようとしている、その覚悟と態度に打たれた人が多かった。

 ところが、野党やマスコミは、この高市首相の言葉を「過労死が問題になった当時に戻す気か」などと、挙げ足取りにしか思えない文脈で批判し、昭和世代がのちに植え付けられた「働くことは悪」というイメージのまま、頭の中が更新できていなかった。

 言うまでもないが、高市首相が言った「働いて、働いて、働く」は、あくまで自分たち政権側が国民のために必死で働くことを意味した。政権をつくることは、政治家人生の中でも限られた少数だけの特権であり、この時期に自分たちの公約を果たすために必死に働くことは政治家にとって「本望」であり、国民にとって「当然」である。

 実際、高市首相に好感を持った若者のあいだで、高市首相のファッションなどをまねする「サナ活」という言葉も生まれている。

 近年、若者の政治参加はSNSを中心に「推し活」化している。政策というより、その言動、態度、行動様式などが重要な評価対象になるのである。高市首相はその文脈において「推せる政治家」となり、街頭演説や国会答弁が切り抜き動画として拡散され、「サナ活」と称して応援されている。

 対照的なのが、リベラル野党の姿である。「働いて、働いて、働く」という言葉すら、「無責任な自己責任論だ」「ブラック労働を肯定する」として否定した。

 若者の目に、そんな姿が「何もしないことを正義とする集団」に映っても仕方がないだろう。

 国会での野党の振る舞いも、若者の失望を加速させた。ヤジ、揚げ足取り、言葉尻の批判。何かを実現しようとする与党に対し、「やらせない」「止める」ことだけに情熱を燃やす姿が、「建設的」に映るはずもない。

 何かを成し遂げようと態度で表している高市首相に対して、立憲民主党などの野党はこれまでのように「何もやらせない」という立場で臨んだ。以前であれば「反自民」を明確にすればよかったのだろうが、SNS時代であらゆる言動が評価される時代にあって、あまりに時代錯誤的であった。

 さらに、中国を現実的な脅威と認識する若者が増えているにもかかわらず、野党が昭和以来の反対姿勢を崩さないことも、致命的な乖離を生んでいる。

 安全保障は若者にとっても、関心の高い分野になっている。それは台湾有事が現実のものとして認識されてきているからである。それにもかかわらず、十年一日のごとく「戦争をさせない」という言動で、安全保障政策を語る野党が魅力的に見えるはずもない。

変化に抵抗するだけの日本的リベラリズム

 日本国憲法は、第二次世界大戦直後の理想主義的平和思想の影響を強く受けて制定された。その結果、国家の行使する暴力を極度に制限する構造となり、結果として左派・左翼に有利な枠組みを内包している。

 社会を変革し、現実に適応させるために制度改革を志向するのが本来のリベラリズムの姿である。憲法改正を主導するのはリベラル派、現行秩序を守る護憲が保守の役割というのが国際的には当然であるが、日本ではこの関係が完全にねじれている。

 左派・リベラルが護憲勢力となり、「憲法を一字たりとも変えさせない」と唱えることで、現実の変化に背を向ける存在となったのである。

 普通は、リベラル派というものは、社会を理想に近づけるために変化を求めるものである。ところが、日本のリベラル派の多くは護憲派であり、「現実への対応のために変えようとしている」保守に対して、「変化を邪魔する」という態度をとり続けてきた。

 安保法制も、憲法改正も、スパイ防止法も、すべては現実に対応しようとする変化の在り方であるが、日本のリベラル派はとにかく「変化させないのが正義」という態度で動きがちだ。

「変化させない」とは「何もしない」ということとイコールである。何もしない大人の姿が若者に魅力的に見えるはずがない。

 現行の憲法解釈では、日本を十分に守れないという認識は、すでに社会の多数派となっている。「憲法を変えたら戦前に戻る」という主張は、若者の目には非現実的な扇動に見えるだろう。

 私は拙書『日本学術会議の研究』で、安全保障政策を邪魔して「軍靴の音が聞こえる」などと扇動して反戦に結びつける態度を「軍靴病(ぐんかびょう)」と呼んだのだが、現在の立憲民主党や共産党、そして野党となって中国の脅威に対応しようとしない公明党の態度は「軍靴病」に見える。

 その結果、「何もしないために戦う」という矛盾に気づかないリベラル派は「未来を語らず、過去の亡霊と戦い続ける老人たち」というイメージを背負い込んでいる。当人たちのセルフイメージだけがいまだに「戦う政治家」のままだ。

「何もさせない」政治の末路

 施政方針演説をヤジで妨害する行為は、政治的主張以前に、大人としての品位を欠く行為である。自民党の首相の施政方針演説をやじることは長年許容されていたが、高市首相が何をやりたいのかを知りたいと思っている政治に関心の高い若者が増えてきた現在、批判の対象となっている。

 実際、かなりしつこくやじったと名指しされた野党議員はSNSで炎上してしまったのだが、半ば無視、半ば自己正当化したために、炎上がなかなか鎮火しなかった。

 安全保障政策の強化に対して、「戦争させない」という言説で反対するのは、もはや論理的でないと考える人が大部分だろう。もちろん、安全保障政策の強化によって抑止力を高めると考えることは、国際的には「常識」レベルの考え方だ。

 改憲議論に対しても、「戦争できる国にするな」という戦後平和主義の言語をそのまま繰り返す。その言葉が生まれた時代と、現在の国際環境がまったく異なることを理解しようとしない。

 さらに、与党は悪、自分たちは善という二重基準が露骨である。長年マスコミを味方につけてきたことへの奢りは、皮肉にもマスコミ不信の高まりとともに、彼ら自身への不信へと跳ね返っている。

 野党政治家の多くは、「文句を言う政治」には慣れているが、「政策を作り、実行する政治」には不慣れである。その限界は、新党「中道改革連合」で露呈した。公明党の政策ばかりが前面に出て、立憲民主党の政策的空洞が白日の下に晒されたのである。

 そのうえ、そのわずかな政策ですら、普天間の辺野古移転を「ペンディング」にするなど、「決断しない政治」に終始している。野党の「何でも反対」=「何もさせない」という態度が時代錯誤に見える。

 そもそも「反自民」以外の軸を持たない政党が、若者にとって魅力的であるはずがない。若者が何かに挑戦しようとしている高市首相に魅力を感じるのは当然だろう。

若者は「変える政治」を望んでいる

 若者は過激さを求めているのではない。現実から逃げず、課題に向き合い、必要であれば戦う覚悟を持つ政治を求めているのである。

 SNS世代の若者は、言葉と行動の一致を厳しく見ている。きれいごとを並べながら、何も変えようとしない政治家は、即座に見抜かれる。

 高市首相の支持拡大は、右傾化でも保守回帰でもない。それは戦後の平和主義が抱えている「日本的リベラル政治」=「変化させない政治」への拒絶であり、「現実に向き合う政治」への希求である。

 日本のリベラルが若者から見放された最大の理由は、理念ではなく態度である。戦わず、決断せず、現実から目を背ける姿が、時代遅れと判断された。

 もしリベラルが再び支持を得たいのであれば、まず「何もしないこと」を正義とする姿勢を捨てる必要がある。現実を直視し、不都合な真実とも向き合い、必要であれば自らの立場を更新する覚悟が求められる。

 政治とは、理想を語ることではなく、現実を引き受けることである。その覚悟を示せない限り、若者がリベラル派の言葉に振り向く日は当分訪れそうもない。

(評論家、翻訳家、千代田区議会議員 白川 司)

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