幕末から明治初期に日本を訪れた外国人から見た【日本】の事実

幕末から明治初期に日本を訪れた外国人の紀行記、手記や手紙、報告書などから当時の日本の風土、文化、風俗を紹介します。当時、日本を訪れた外国人は皆、日本人の道徳心と倫理観、規範性の高さに驚いています。
現在も、日本を訪れる外国の方々の日本の評価は、同様であり、その本質、心の奥底にあるモノは全く変わっていないのではないでしょうか?
ドイツの考古学者シュリーマン

「日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない。」
「どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町の至る所にある公衆浴場に通っている。」
「浴場は道路に面した側が完全に解放されている。(中略…) 夜明けから日暮れまで、禁断の林檎をかじる前の我々の先祖と同じ姿になった老若男女が、一緒に湯につかっている。彼らはそれぞれの手桶で湯を汲み、丁寧に身体を洗い、また着物を身に着けて出て行く。『なんと清らかな素朴さだろう!』初めて公衆浴場の前を通り、30~40人の全裸の男女を目にしたとき、私はこう叫んだものである。」
「道を歩きながら日本人の家庭生活のしくみを観察することができる。家々の奥の方にはかならず、花が咲いていて、低く刈り込まれた木でふちどられた小さな庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本になるだろう。」
アメリカの初代駐日公使のタウンゼント・ハリス

「日本人は淸潔な國民である。誰でも毎日沐浴する。職人、日雇の勞働者、あらゆる男女、老若は、自分の勞働を終ってから、毎日入浴する。下田には澤山の公衆浴場がある。料金は錢六文、すなわち一セントの八分の一である! 富裕な人々は、自宅に湯殿をもっているが、勞働階級は全部、男女、老若とも同じ浴室にはいり、全裸になって身體を洗う。私は、何事にも間違いのない國民が、どうしてこのように品の惡いことをするのか、判斷に苦しんでいる」
アメリカの動物学者E・S・モース

「巡査がいないのにも係らず、見物人は完全に静かで秩序的である。上機嫌で丁寧である。悪臭や、ムッとするような香が全然しない。演技が終って見物人が続々と出てきたのを見ると、押し合いへし合いするものもなければ、高声で喋舌る者もなく、またウイスキーを売る店に押しよせる者もない(こんな店が無いからである)。只多くの人々がこの場所を取りまく小さな小屋に歩み寄って、静かにお茶を飲むか、酒の小盃をあげるかに止った」
「日本の町の街々をさまよい歩いた第一印象は、いつまでも消え失せぬであろう。――不思議な建築、最も清潔な陳列箱に似たのが多い見馴れぬ開け放した店、店員たちの礼譲、いろいろなこまかい物品の新奇さ、人々の立てる奇妙な物音、空気を充たす杉と茶の香。我々にとって珍しからぬ物とては、足の下の大地と、暖かい輝かしい陽光と位であった。」
スペイン生まれの宣教師フランシスコ・ザビエル

「第一に、私たちが交際することによって知りえた限りでは、この国の人びとは今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。大部分の人びとは貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉とは思っていません。
大部分の人は読み書きができますので、祈りや教理を短時間に学ぶのにたいそう役立ちます。彼らは一人の妻しか持ちません。この地方では盗人は少なく、また盗人を見つけると非常に厳しく罰し、誰でも死刑にします。盗みの悪習をたいへん憎んでいます。彼らはたいへん善良な人びとで、社交性があり、また知識欲はきわめて旺盛です。
「彼らは道理にかなったことを聞くのを喜びます。彼らのうちで行なわれている悪習や罪について、理由を挙げてそれが悪であることを示しますと、道理にかなったことをすべきであると考えます。」
「日本人たちは好奇心が強く、うるさく質問し、知識欲が旺盛で、質問は限りがありません。また彼らの質問に私たちが答えたことを彼らは互いに質問しあったり、話したりしあって尽きることがありません。」
「〔日本へ行く神父は〕考えも及ばないほど大きな迫害を受けなければなりません。昼間はずっと、そして夜になっても大勢の訪問客に押しかけられ、質問攻めにあってたいへんてこずり、そして断わりきりないような指導者〔階級の〕人たちの家に招かれます。神父は祈り、黙想し、観想する時間がありませんし、霊的に内省する〔余裕〕もありません。少なくとも初めのうちはミサ聖祭を挙げることもできません。〔神父は〕質問に答えるのに絶えず追われて、聖務日課を唱える時間もなく、食事や睡眠の時間さえもありません。日本人はほとんど問題がないような〔小さなことでも〕とくに外国人にうるさくつきまとって〔質問し〕、外国人たちを馬鹿にして、いつもあざ笑っています。」
イタリアの宣教師ヴァリニャーノ

「人々はいずれも色白く、きわめて礼儀正しい。一般庶民や労働者でもその社会では驚嘆すべき礼節をもって上品に育てられ、あたかも宮廷の使用人のように見受けられる。この点においては、東洋の他の諸民族のみならず、我等ヨーロッパ人よりも優れている。」
「国民は有能で、秀でた理解力を有し、子供達は我等の学問や規律をすべてよく学びとり、ヨーロッパの子供達よりも、はるかに容易に、かつ短期間に我等の言葉で読み書きすることを覚える。また下層の人々の間にも、我等ヨーロッパ人の間に見受けられる粗暴や無能力ということがなく、一般にみな優れた理解力を有し、上品に育てられ、仕事に熟達している。」
「牧畜も行なわれず、土地を利用するなんらの産業もなく、彼等の生活を保つ僅かの米があるのみである。したがって一般には庶民も貴族もきわめて貧困である。ただし彼等の間では、貧困は恥辱とは考えられていないし、ある場合には、彼等は貧しくとも清潔にして鄭重に待遇されるので、貧苦は他人の目につかないのである。」
「日本人の家屋は、板や藁で覆われた木造で、はなはだ清潔でゆとりがあり、技術は精巧である。屋内にはどこもコルクのような畳が敷かれているので、きわめて清潔であり、調和が保たれている。」
「日本人は、全世界でもっとも面目と名誉を重んずる国民であると思われる。すなわち、彼等は侮蔑的な言辞は言うまでもなく、怒りを含んだ言葉を堪えることができない。したがって、もっとも下級の職人や農夫と語る時でも我等は礼節を尽くさねばならない。」
「しかして国王及び領主は、各自の国を能うる限り拡大し、また防禦しようと努めるので、彼等の間には通常戦争が行なわれるが、一統治権のもとにある人々は、相互の間では平穏に暮らしており、我等ヨーロッパにおけるよりもはるかに生活は安寧である。それは彼等の間には、ヨーロッパにおいて習慣となっているような多くの闘争や殺傷がなく、自分の下僕か家臣でない者を殺傷すれば死刑に処されるからである。」
「日本人はきわめて忍耐強く、飢餓や寒気、また人間としてのあらゆる苦しみや不自由を堪え忍ぶ。それは、もっとも身分の高い貴人の場合も同様であるが、幼少の時から、これらあらゆる苦しみを甘受するよう習慣づけて育てられるからである。」
「また彼等は、感情を表すことにははなはだ慎み深く、胸中に抱く感情を外部に示さず、憤怒の情を抑制しているので、怒りを発することは稀である。」
イギリスの旅行家・探検家イザベラ・バード

「上陸してつぎにわたしが感心したのは、浮浪者がひとりもいないこと、そして通りで見かける小柄で、醜くて、親切そうで、しなびていて、がに股で、猫背で、胸のへこんだ貧相な人々には、全員それぞれ気にかけるべきなんらかの自分の仕事というものがあったことです。」
「その後わたしは本州奥地と蝦夷の一二〇〇マイル〔約一九二〇キロ〕を危険な目に逢うこともなくまったく安全に旅した。日本ほど女性がひとりで旅しても危険や無礼な行為とまったく無縁でいられる国はないと思う。」
「これほど自分の子供たちをかわいがる人々を見たことはありません。だっこやおんぶをしたり、手をつないで歩いたり、ゲームをやっているのを眺めたり、いっしょにやったり、しょっちゅうおもちゃを与えたり、遠足やお祭りに連れていったり、子供がいなくては気がすまず、また他人の子供に対してもそれ相応にかわいがり、世話を焼きます。」
「なぜか子供は男の子が好まれるとはいえ、女の子も同じようにかわいがられます。子供たちはわたしたちの抱いている概念から言えば、おとなしすぎるししゃちほこばってもいますが、外見や態度は非常に好感が持てます。」
「ヨーロッパの国の多くでは、またたぶんイギリスでもどこかの地方では、女性がたったひとりでよその国の服装をして旅すれば、危険な目に遭うとまではいかなくとも、無礼に扱われたり、侮辱されたり、値段をふっかけられたりするでしょう。でもここではただの一度として無作法な扱いを受けたことも、法外な値段をふっかけられたこともないのです。それに野次馬が集まったとしても、無作法ではありません。」
「ついきのうも革ひもが一本なくなり、もう日は暮れていたにもかかわらず、馬子は一里引き返して革ひもを探してくれたうえ、わたしが渡したかった何銭かを、旅の終わりにはなにもかも無事な状態で引き渡すのが自分の責任だからと、受け取ろうとはしませんでした。」
「彼らは丁重で、親切で、勤勉で、大悪事とは無縁です。とはいえわたしが日本人と交わした会話や見たことから判断すると、基本的な道徳観念はとても低く、暮らしぶりは誠実でも純粋でもないのです。」
「わたしは野次馬に囲まれ、おおむね礼儀正しい原則のたったひとつの例外として、ひとりの子供がわたしを中国語で言うフェン・クワイ――野蛮な鬼――と呼びましたが、きつく叱られ、また警官がついさっき詫びにきました。」
「しばらくそのまま馬を引いていたところ、鹿皮を積んだ荷馬の行列を連れたふたりの日本人に会いました。ふたりは鞍を元に戻してくれたばかりでなく、わたしが乗るあいだ鐙を支えてくれ、別れ際には丁重にお辞儀をしました。これほど礼儀深くて親切な人々をどうして好きにならずにいられるでしょう。」
ギリシア生まれのジャーナリスト・作家ラフカディオ・ハーン『日本の面影』の作者

「日本の生活にも、短所もあれば、愚劣さもある。悪もあれば、残酷さもある。だが、よく見ていけばいくほど、その並外れた善良さ、奇跡的と思えるほどの辛抱強さ、いつも変わることのない慇懃さ、素朴な心、相手をすぐに思いやる察しのよさに、目を見張るばかりだ。」
「日本がキリスト教に改宗するなら、道徳やそのほかの面で得るものは何もないが、失うものは多いといわねばならない。これは、公平に日本を観察してきた多くの見識者の声であるが、私もそう信じて疑わない。」
「まるでなにもかも、小さな妖精の国のようだ。人も物もみんな小さく、風変わりで神秘的である。」
「田舎の人たちは、外国人の私を不思議そうな目で見つめる。いろんな場所で私たちがひと休みをするたび、村の老人が、私の洋服を触りに来たりするのである。老人は、謹み深く頭を下げ愛嬌のある笑みを浮べて抑えきれない好奇心を詫びながら、私の通訳に変わった質問をあれこれぶつけている。こんなに穏やかで優しい顔を、私はこれまで見たことがない。その顔は、彼らの魂の反映であるのだ。私はこれまで、怒鳴り声をひとつも耳にしたことがないし、不親切な行為を目にしたこともないからである。」
「この村落は、美術の中心地から遠く離れているというのに、この宿の中には、日本人の造型に対するすぐれた美的感覚を表してないものは、何ひとつとしてない。花の金蒔絵が施された時代ものの目を見張るような菓子器。飛び跳ねるエビが、一匹小さく金であしらわれた透かしの陶器の盃。巻き上がった蓮の葉の形をした、青銅製の茶托。さらに、竜と雲の模様が施された鉄瓶や、取っ手に仏陀の獅子の頭がついた真鍮の火鉢までもが、私の目を楽しませてくれ、空想をも刺激してくれるのである。実際に、今日の日本のどこかで、まったく面白味のない陶器や金属製品など、どこにでもあるような醜いものを目にしたなら、その嫌悪感を催させるものは、まず外国の影響を受けて作られたと思って間違いない。 」
「これまで立ち寄った小さな田舎の村々と変わらず、ここの村の人たちも、私にじつに親切にしてくれた。これほどの親切や好意は想像もできないし、言葉にもできないほどである。それは、ほかの国ではまず味わえないだろうし、日本国内でも、奥地でしか味わえないものである。彼らの素朴な礼儀正しさは、けっしてわざとらしいものではない。彼らの善意は、まったく意識したものではない。そのどちらも、心から素直にあふれ出てきたものなのである。」
「この国の人はいつの時代も、面白いものを作ったり、探したりして過ごしてきた。ものを見て心を楽しませることは、赤ん坊が好奇心に満ちた目を見開いて生まれたときから、日本人の人生の目的であるようだ。その顔にも、辛抱強くなにかを期待しているような、なんともいえない表情が浮かんでいる。なにか面白いものを待ち受けてる雰囲気が、顔からにじみ出している。もし面白いものが現れてこないなら、それを見つける旅に、自分の方から出かけてゆくのである。」
「神道は西洋科学を快く受け入れるが、その一方で、西洋の宗教にとっては、どうしてもつき崩せない牙城でもある。異邦人がどんなにがんばったところで、しょせんは磁力のように不可思議で、空気のように捕えることのできない、神道という存在に舌を巻くしかないのだ。」
「と同時に、同じような理由で、日本の古い庭園がどのようなものかを知った後では、イギリスの豪華な庭を思い出すたびに、いったいどれだけの富を費やしてわざわざ自然を壊し、不調和なものを造って何を残そうとしているのか、そんなこともわからずに、ただ富を誇示しているだけではないかと思われたのである。」
「私が思うに、日本の生徒の平均的な図画の才能は、西洋の生徒より少なくとも五十パーセントは上回っている。この民族の精神は、本来が芸術的なのだ。」
「しかし、心得るべきことは、どんなに貧しくて、身分が低いものであろうと、日本人は、不当な仕打ちにはまず従わないということである。日本人が一見おとなしそうなのは、主に道徳の観念に照らして、そうしているのである。遊び半分に日本人を叩いたりする外国人は、自分が深刻な誤りを犯したと思い知るだろう。日本人は、いい加減に扱われるべき国民ではないのである。あえてそんな愚挙に出ては、あたら命を落してしまった外国人が何人もいるのである。」
「日本人のように、幸せに生きていくための秘訣を十分に心得ている人々は、他の文明国にはいない。人生の喜びは、周囲の人たちの幸福にかかっており、そうであるからこそ、無私と忍耐を、われわれのうちに培う必要があるということを、日本人ほど広く一般に理解している国民は、他にあるまい。」
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