JOG(1480) ふるさとが人を育て、人がふるさとを支える ~ 白駒妃登美さんの2冊の新著から

日本の文化
JOG(1480) ふるさとが人を育て、人がふるさとを支える ~ 白駒妃登美さんの2冊の新著から
郷土の偉人の生き方を学ぶことが、教育基本法と学習指導要領が目指す「国家及び社会の形成者」への道。 ■転送歓迎■ R08.07.12 ■ 85,055 Copies ■ 9,521,685Views■ 過去号閲覧: 無料受講申込み: __________ ■■■本編の内容をより詳しく、対話的に伊勢雅臣がお話しします■■■     天命追求型(R)…

JOG(1480) ふるさとが人を育て、人がふるさとを支える ~ 白駒妃登美さんの2冊の新著から

郷土の偉人の生き方を学ぶことが、教育基本法と学習指導要領が目指す「国家及び社会の形成者」への道。

■1.「ふるさとが人を育て、人がふるさとを支える」

伊勢: 博多の歴女、こと白駒妃登美さんが出された二冊の新刊で、日本各地の偉人たちの物語を感銘深く読んだ。そこで学んだことを私なりに要約すると「ふるさとが人を育て、人がふるさとを支える」となる。

花子: それは、どういう意味ですか?

伊勢: まず「ふるさと」とは、単なる地理的な概念ではない。その地域の自然、気候、風土、人々、土地柄、歴史、文化などの全体を指す。そのような特定の「ふるさと」の中で、我々は生まれ育つ。言わば、自分の一部と言っても良い。花子ちゃんは『ふるさと』という小学唱歌を知っているよね。

花子: もちろんです。小学校の卒業式でも歌いました。

伊勢: 歌詞の中に、「いかにいます父母 つつがなしや友がき」とあるのは、自分の家族や友達だね。「山は青きふるさと 水は清きふるさと」は、自分が過ごした山河を指す。そして、冒頭の「うさぎ追いしかの山 小ぶな釣りしかの川」は、その自然の中で過ごした自分の子供時代の思い出だ。

 こうした記憶と愛着を含めて、ふるさとの中で、人は生まれ育ち、やがてふるさとを支えていく存在となる。

花子: ちょっと難しいんですけど、具体的な例で話していただけません?

■2.「ふるさとが人を育てる」

伊勢: 白駒さんの著書で、まず「ふるさとが人を育てる」例から見ていこう。

 一つ目は徳島県の板東だ。四国巡礼者を真心込めてもてなす「お接待」という伝統文化があってね、それが板東の人々の心を来訪者に対して開放的にしたんだ。

 第一次世界大戦のとき、捕虜となったドイツ兵を温かく迎え入れ、対等な人間として接したのも、この土地柄によるものだ。そしてその風土があったからこそ、収容所内での「第九」交響曲の日本初演という、国境を越えた奇跡の交流が生まれたんだよ。[白駒R0807、p160]

花子: 「お接待」の文化が、外国の人への接し方にまでつながっていたんですね!

伊勢: そうなんだ。二つ目は宮崎県の高鍋だ。高鍋藩の藩校「明倫堂」以来の「身分の上下なく人を育てる」という風土が、地域に深い慈愛の精神を根付かせていた。

 この地で育った「児童福祉の父」石井十次は、その教えを体現して、生涯で3,000人以上の孤児を救ったんだ。十次自身も「高鍋こそが理想的な人間を養成するのに最も適した場所だ」と確信していたそうだよ。[白駒R0807、p198]

花子: 3,000人以上もの孤児を救ったんですか!すごいですね。

伊勢: 三つ目は青森県の弘前だ。異国との交流が盛んな港町に近い弘前では、新しいものを積極的に取り入れる「進取の気風」が育まれていた。

 明治期、この土地の気質に背中を押された若者たちは、東京を経由せず、私費で直接アメリカへ留学するという大胆な行動に出たんだ。帰国後は高度な英語力と学識を武器に、外交官として激動の日本を支える人材へと成長したんだよ。[白駒R0807,p18]

花子: 土地の「気風」が、若者の行動力にまで影響するんですね。

■3.「人がふるさとを支える」

花子: では逆に「人がふるさとを支える」例はどんなものがありますか?

伊勢: こちらも面白い例がたくさんある。まずは山梨県の武田信玄だ。繰り返される水害から領民を救うため、20年もの歳月をかけて「信玄堤」を築いた。400年以上経った今も地域の治水と農業の安定を支え続けているんだよ。[白駒R0807、p88]

花子: 400年以上も!本当に地域のことを思っていたんですね。

伊勢: 次は大阪の成安道頓(なりやす・どうとん)だ。安土桃山から江戸初期にかけて、湿地帯だった土地に私財を投じて掘削工事を行い、現在の大阪を代表する河川の一つ「道頓堀」を築いたんだ。[白駒R0807、p122]

花子: あの有名な道頓堀って、一人の人物が私財を使って作ったんですか!

伊勢: 北海道の高田屋嘉兵衛も忘れてはならない。寂しい漁村にすぎなかった箱館、今の函館を商売の拠点として整備し、港の整備や道路の改修、函館山の植林など、都市の発展に心血を注いだんだ。[白駒R0807、p14]

花子: 一人の商人が、街全体を作り上げたんですね。

伊勢: そしてこれまた弘前の内山覚弥と菊池楯衛だ。廃藩置県後に荒廃した弘前城に、周囲の反対を押し切って桜を植えたんだ。現在では日本屈指の「弘前の桜」として、地域の誇りとなる美しい景観を創り出している。[白駒R0807、p16]

花子: 反対を押し切ってまで植えた桜が、今では地域の宝になっているんですね。「ふるさとが人を育て、人がふるさとを支える」ということが、よくわかった気がします!

■4.「弘前の桜」を育てた人々

伊勢: 「弘前の桜」は感動的な物語だし、「ふるさとが人を育てる」のと「人がふるさとを支える」の両面で弘前が出てきたので、もう少し詳しく見てみよう。その章は、こんな美しい光景から始まる。
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日本屈指の桜の名所・弘前(ひろさき)城。満開の時期には、こぼれんばかりの花びらが幾重にも重なり、花が散り始めると、まるで桜の絨毯(じゅうたん)のように「花筏(はないかだ)」が濠(ほり)を埋め尽くすー。その美しさは、一度目にしたら忘れられないほどに、壮麗で印象的です。[白駒R0807、p16]
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伊勢: この美しい光景も、ふるさとを支えようという志をもった二人の人物の賜(たまもの)だった。
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しかし、ここに至る道のりは容易(たやす)いものではありませんでした。明治初頭の版籍奉還と廃藩置県により城主が去ると、城は行政機関としての機能を失い、手入れもされずに荒廃していきました。弘前城も例外ではありません。
その姿に心を痛め、私財を投じて桜を植えた人物がいます。旧・弘前藩士の内山覚弥(かくや)(生年不詳~1933)と、青森りんごの開祖でもある菊池楯衛(たてえ)(1846~1918)です。[白駒R0807、p17]
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伊勢: 彼らは明治13(1880)年から、桜の木を寄贈して城の周りに植え始めたけど、当初はせっかく植えた桜が折られたり、抜かれたりして無残な姿になった。当時はまだ武士の気風が強く残っていて、「城に桜を植えて花見酒など、もってのほか」と考えた人も多かった。

 それでも内山は諦めずに、日清戦勝記念に百本、大正天皇のご成婚記念に千本と、植樹を続けた。「きっと彼らは、後世を担う者たちが美しい城郭と桜を仰ぎ見ながら、輝かしい明日に希望を抱いて歩んでいくことを願い、祈りを込めたのでしょう」という白駒さんの文章は心に響くね。

 その言葉通り、進取の気風に恵まれた弘前からアメリカに留学した若者は明治期だけでも40名を超えるという。その一人、珍田捨巳(ちんだ・すてみ)は外務省高官として活躍した。駐米大使の時に、東京市から日米友好の証として3千本の桜が寄贈され、首都ワシントンのポトマック川の河畔に植樹された。

「きっと捨巳は、故郷の桜をそこに重ね、感慨にひたったことでしょう」と、白駒さんは結ぶ。

花子: へー、なんとも素敵な物語ですね。「ふるさとが人を育て、人がふるさとを支える」ということがさらによく分かりました。

■5.後藤新平が遺してくれた東京に、今、私たちは暮らしている

伊勢: 「ふるさとが人を育てる」ということが分かれば、郷土の偉人を学ぶことの意味が分かってくる。都内のある中学校で地理の時間に関東大震災からの復興を牽引した後藤新平を学んだ生徒たちの感想文を紹介しよう。
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 私は生まれ育った墨田区が大好きだ。大きな公園で友達と遊べる上に、景観が美しいからである。しかし、百年前の墨田区は焼け野原であった。

 後藤新平がまず初めに取り組んだのは、橋の建設である。当時規制の多かった陸上より先に、川の上の復興を始めたのだ。そして次に行ったのは、区画整理である。関東大震災での死者・行方不明者の9割以上が火災によるものだったため、延焼しないためのまちづくりに力を入れた。現在も昭和通りや錦糸公園として残っている。

 もしも今、後藤新平に会えるなら、迷わずこの街が好きだと伝えたい。彼が残したものはこれまでもこれからも多くの人を救うと思う。だから私は後藤新平と墨田区が大好きだ。[歴史人物学習館]
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花子: 今の錦糸公園や昭和通りは、復興で作られたものだったんですね。

伊勢: そうなんだ。自分が毎日過ごしている場所に、そういう恩人がいたと知ると、見方が変わってくるだろう。もう一つ、男子生徒の感想文も見てみよう。
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 東京に今も残る数々のものを生み出した後藤新平。僕はその後藤新平の実行力に胸を打たれました。

 塾の帰りに初めて靖国通りを通った時、こんなに大きな道を作ったのは戦後しかありえないと思っていました。関東大震災からちょうど百年という節目の年に、後藤新平にまつわる動画を見て驚きました。何故ならその靖国通りが当時東京市長であった後藤新平の帝都復興計画に際して作られたからです。後藤新平は馬車ばかりの時代に自動車社会が来ることを見通して靖国通りを作ったそうです。

 後藤新平が百年も先も安心して暮らせるように築いた東京を僕たちがしっかり守るとともに、次の世代のためにも安心して暮らせる東京を築いていこうと思います。[歴史人物学習館]
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花子: 馬車の時代に、自動車社会を見通して道路を作ったんですか!百年先を考えて行動できるなんて、すごい人だったんですね。

伊勢: そうだ。この二人の中学生に共通しているのは、昭和通りや錦糸公園、靖国通りといった、自分が育った場所をふるさととして感じているということだ。そして、それを遺した後藤新平の志に感動し、感謝している。

花子: 身近な場所の歴史を知ることで、ふるさとへの愛着がもっと深まるんですね。

伊勢: まさにそこが大事な点だ。郷土の偉人を学ぶことが、「郷土が人を育てる」のを助けるんだ。そうして育った子供たちは、将来「ふるさとを支えるために何かをしよう」と志すようになる。このように感動・感謝・志を育てる、それが歴史教育の正道だと思う。

花子: ただ年号や出来事を覚えるだけじゃなくて、自分のふるさととつなげて学ぶことが大切なんですね。私も自分の住んでいる街の歴史を、もっと調べてみたくなりました。

■6.「平和で民主的な国家及び社会の形成者」を育てるために

伊勢: 歴史教育の目的は、教育基本法と学習指導要領に「平和で民主的な国家及び社会の形成者」を育成することと定められている。だから、「ふるさとを支える人」を育てることは、まさにこの目的に合致しているんだよ。

花子: 「国家及び社会の形成者」というのは、どういう意味なんですか?

伊勢: ここで、「国家及び社会」という表現をしている点に注意する必要があるんだ。「国家」だけでなく「社会」も含めることで、地域社会や学校など、国家より小さな単位も対象に含まれている。人間は、家庭-学校・職場-地域-国家-国際社会という幾層もの共同体の中で生きている。

 そして「国家及び社会の形成者」になるためには、まず自分が「国家及び社会」の一員であるという自己認識が出発点なんだね。よく「アイデンティティ」という用語が心理学で使われるね。「自分が何者か」、「自分探し」などとも言われるけど、花子ちゃんたちが大人になっていく過程で、自分は、自分の家族、学校や地域、日本国、ひいては21世紀の人類社会の一員だという認識が必要だ。

 その中で、自分の「国家及び社会」の恩人の生き様に感動して、自分も「次の世代のためにも安心して暮らせる社会を築いていこう」という志を立て、そのために今の自分はどんな人生を目指して、どんな勉強をしていけばよいか、考える。それが「国家及び社会の形成者」に成長するためのステップだよ。

花子: 先人の生き様から、自分の将来を考えるんですね。

伊勢: そうだ。自分が帰属する共同体の一員であるとはっきり自覚して、その中で処を得て、自分の一隅を照らしていく。そういう人々が集まって、明るいふるさとや国家が実現していくんだ。

 よく「自分探し」のために見知らぬ外国の土地を放浪する、などという人があるけど、私に言わせれば、これは実は「自分探し」の一つの過程なんだね。自分が帰属しない外国の土地を放浪することによって、自分には帰属するふるさとや国家が必要だ、と気づくことは、意味のある出発点だからね。そこから自分の根っこを見つけてこそ、生き甲斐のある人生を歩み始めることができる。

 私は「仕合わせ」という言葉が好きなんだけど、これは共同体の中でお互いのために「仕(つか)え合う」ことが、「幸せ」の本質だという大和言葉の深い意味合いが籠もっている、と私は解釈している。そうした「仕合わせ」な「国家及び社会」を築くためにも、一人ひとりの人間が、自分の処を得て、その一隅でお互いに照らし合っていくことが大切なんだ。

花子: 一人ひとりがそれぞれの場所で周囲を照らすことが、大切なんですね。

伊勢: その通り。そのために、まず、自分のふるさとを支えてきた先人たちの生き様を学ぶことはとても大事なステップだと思う。花子ちゃんも、ぜひそういう目でふるさとの歴史を学んでほしいな。

花子: はい、先人たちのことをしっかり学んで、自分の根っこを見つけていきたいと思います!

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